月別: 2007年5月の記事一覧
学校における子どもの人権
今日は、以前に学校の先生から頂いたお便りを抜粋してご紹介します。今読み返しても、あるいは今だからこそいろいろ気づかされることも多いように思います。
実は数年前に私は、アンケートのような形で何人かの先生にご意見を伺ったことがあります。今思えば、一言では答えにくいこんな質問をよくもお送りしたものだと我ながら恐縮してしまうのですが、その時頂いたお返事の一部です。
(「子どもの人権」をもっと教育に取り込むことはできないかと伺ったところ・・・。以下、お返事のメールから抜粋)
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かつての同和教育から一歩進めて「人権教育」をしようという流れが現勤務校にもあるのですが、果たして教師がどの程度人権について理解しているか疑問です。
今の学校では「子どもの権利条約」は学校教育とは相容れないものだと豪語している輩もいますし、先日地元に「子どもの権利を守るネット」みたいのが生まれた際も、「退学者も人権侵害を訴えてそういう相談機関に相談に行く可能性があるから学校は気をつけないといけない」とか言ったりして(ちなみに彼は生徒指導主任です)まったく???です。生徒の方がよっぽど健康な人権感覚をもっています!
日々いろんな先生たちとの感覚のずれを感じ孤立感を感じていますが、アメリカ人のAET(英語指導助手)だけは私の疑問とか不満を理解してくれて助かっています。
それに、生徒たちが何より私を支援してくれるのがありがたいです。授業の方も、まだまだだけれど、「勉強が楽しくなった」と休み中に勉強するからと放課後プリントをもらいに来る生徒もいたりしてほんとにありがたいです。まだまだ道は長いけれど、自分を信じてやっていくしかありません。
なんだかまとまりませんが、今日はこのへんで。
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(お返事ここまで)
子ども達に寄り添い、教育の本質に沿って日々励んでいらっしゃるこうした先生達がおられればこそ、毎日の学校は廻っていくのだとつくづく思います。
久しぶりの瞑想会…自分を「見る」
終わって外に出ると、昼間の暑さが残るものの風はさわやか。夕方5時と言っても今は明るいですね。土曜の夕方だからか、道行く人も何となくのんびりしていて街がゆったり感じられます。
瞑想会の後のこのリフレッシュした自分をいつも感じられたらいいと思うのだけれど、すぐにいつものバタバタとした日常にもどっってしまうのですよね。
とはいえ、ふだん「自分を見る」ことなんてまずないので、とても貴重な時間になっています。
瞑想会では毎回、「自分を見る」ということをします。いろんな方法で。
この場合、「見る」のは、反省したり、評価したりということじゃなくて、ただ「見る」ということ。
良いとか悪いとかじゃなくて「見る」だけ、なんです。
ちょうどお母さんが見ていてくれると子どもは安心して遊んでいられるのに似ています。自分で自分を見てあげることで、安心して自分が自分でいられるということ。
何だかわかんないなあ、雲をつかむような話だ、って思われますか?
う~ん、そうかも…。
もし機会があったら、ぜひ一度体験してみてくださいね。実感をつかんでいただけることと思います。
言葉の力(激励メール)
このところ「セレニティ通信」の編集をしています。といっても、あれやこれややりながらなので、なかなか進みませんが…。
編集に行き詰まると、ずっと以前にいただいたお便りやメールを読んだりしています。頂いた当初、何かしら心に残るものがあって、そのまま保存してあった文章は、今読んでもやはり心に響くものがあります。
時間が経っても、古くならないもの、価値は変わらないということなのですね。それは言葉の力と言っても良いでしょうか。
(ある友人のメールより)
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私の感想は
自分自身の決心を判断をあるいは決意を尊重してあげることだと思います。
それが自分を大切にすることとなると思います。
たとえ結果がどうであろうとも
自分自身のためにエネルギーを注いであげられるのならそうするべきでしょう。
(略)
自分自身を信頼すると言うことは
このような状況からはぐくまれます。
もちろん現実的なことも必要ですが
少なくとも「今現在」大本さんが問われているのは
自分自身を信頼するということでしょう
成功とか失敗は実はどちらでもよいのです
自分自身に従うことが成功であり多くの学びとなっていきます。
生はいつもチャレンジの連続です。
そしてそれは人を育んでいきます。
しかしチャレンジは自分自身の決意から生まれた
チャレンジであるべきです。
そして
どのような決断であれ
決断した自分自身を信頼し力を貸してあげて下さい。
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実はこれ、私自身が仕事ですごく悩んでいたときにある友人から受け取ったメールです。
「結果よりも自分の本当の必要性から下した決断・決意こそ、自分の糧である。」…その後、体験によって本当にその通りだなあと多くを学びました。案外、当の本人は「そんなこと書いたっけ?」と、忘れていると思いますが…。
「アサーション・トレーニング」の中でも、<決断・決意>は重要なポイントです。言葉を発するのはある意味での小さな決断の連続です。その自分自身の決断を積み重ねる体験が、より<自己肯定>へとつながっていきます。
皆さんからいただいたお便りやメールは、私の宝物であり、成長の糧にもなっています。
映画「博士の愛した数式」“今、ここ”に生きること
新しくブログを開設しました。「セレニティ日記」として、セレニティの活動を中心に、気づいたことや日々の雑感を書いていかれたらと思います。
(「はるのかんたんふ」も個人のブログとして続けていくつもりです。)
ということで、これからもよろしくお願いいたします。
さて、早くも五月半ば。時の経つのは早いなあと思うのは私だけでしょうか?
時間の長さの感じ方は状況によってさまざま。旅の充実した一日は、たった一日が何日分にも感じられたり、そうかと思えば楽しい時間はあっという間に過ぎてしまったり…。かと思えば、退屈な時間や苦痛な時間はとても長い…。
「博士の愛した数式」という映画があります。博士は事故の後遺症で記憶が80分しか持ちません。この状況だけを見れば、とても悲惨な状況です。
今日出会った人のことも約束も、みんな翌日には忘れてしまうのです。いつも初対面、いつもゼロからスタートなのですから。
でも記憶されることのみが私たちの生のすべてではないことが、博士の生き方を通して語られます。
たとえ記憶に残らなくても、一瞬一瞬を誠実に精一杯生きていることは、限りない魅力があるのだとわかります。時間はこの映画の重要なキーワードのようです。
そうそう、「セレニティ瞑想会」が今週の土曜日26日にあります。もしよろしかったらお出かけ下さい。静かに座って過ごす時間は長いでしょうか、短いでしょうか?
あれれ、最後は宣伝になってしまったかな?失礼しました!