セレニティカウンセリングルーム

月別: 2007年8月の記事一覧

カウンセリングより教育技術

最近は、学校の先生方に対する心理やカウンセリング分野の研修が盛んにおこなわれているようです。

一昔前に比べて、先生方は個別に、よりきめ細かく子ども達に対応しなくてはならず、集団行動にしても、子どもの内面的なことも理解しておかないと指導が難しくなってきたからだと思われます。

確かに、現場の先生方からお話を聞くと、内面的な複雑な問題も少なくないようですね。先生方も教師になったり、カウンセラーになったりではたいへんだなあと思います。

ただ、学校の先生方がそんなに深くカウンセリングを学ぶ必要はあるのだろうかと、その点はちょっと疑問です(あちこちでそうしたプログラムが組まれているようですが)。

なぜなら、先生方はカウンセラーや臨床心理士が持っていない教育上の指導という枠組と、そのための方法を持っていらっしゃるのですから。

それらを存分に生かすこと、そのための基礎知識としてカウンセリングを身に付けておけば、それで十分ではないかと私は思っています。

子ども達にとっても、教師は教師、カウンセラーはカウンセラーとして、方向は同じでも違った方法で対応してもらえれば、より幅のある成長の機会を得ることができるわけです。

私はむしろ、カウンセリングの場面で「こんなとき教師だったら、集団指導で効果的な対応ができるのだろうなあ」と、教育指導で対応できる先生方をチョッピリうらやましく思うときすらあります。

臨床心理士やカウンセラーとは違った対応ができるところにこそ、教育の醍醐味と価値があるのではないでしょうか?

餅は餅屋、先生は先生!

「先生でなくてはできないことを」です。…先生方、どうかよろしくお願いします!

植物の育て方に学ぶ

テレビの園芸番組を見ていたときのこと。画面は北海道の夏の庭園を映している。庭園に咲いたハマナスの花の濃いピンク色がみずみずしい。

番組案内役の園芸家の柳生さんが、感心したようにハマナスの葉っぱを手にとって言う。

「ウチで植えているのより葉っぱが小さいなあ。ウチのは手を掛け過ぎなのかもしれない。ここのは葉っぱが小さくて、その分こんなに花の色が濃いでしょう?」

肥料・水・土など、生育条件を人間が整えてやりすぎると花よりも葉っぱが立派になる。花や種が立派に育つには、必死に子孫を残そうとする植物自身のエネルギーが必要だからだ。条件が整い過ぎると、植物はがんばる必要がない。

「ウチのハマナスは育てているっていう感じだけど、ここのは育てられているんじゃなくて、自分で生きているっていう感じだ。」

いっぽう、シバザクラを育てているおじいさん、手入れのコツを柳生さんに聞かれてこんなふうに答えた。

「いつも畑を見回って、よく見てやることが大事。愛情持ってみてやるちゅうことかなあ。」

植物も人間も、何だか似ている。
いつも見守っていながら、しかし、手を掛けすぎない。

その、どこまで手を掛けるか、掛けないか、<頃合い>が難しい。