教頭先生もたいへんだ
ここ何年か、東京都の先生方から、現場の大変さを訴える声が数多く聞こえてきます。
「キャピタルプランと言って10年後の計画について文書を出せと言われる。明日の授業の準備をしたいのに。」
「人事考課制度ができてから息苦しくなった」
「授業の合間や放課後など、休み時間も細切れに管理される」・・・・。
また昨年だったか、ある地方の教頭先生のご家族から、仕事のストレスから体調を崩し、学校に行くのもままならない状態だとのご相談も受けました。
最近の文科省の調査では、教頭先生になったものの、仕事の重圧からと思われる、一般教員に降りる先生が増えているそうです。わかる気がします。
校長先生に代わって学校内部のとりまとめや親への対応に追われ、多忙で子ども達との接触もほとんどなくなってしまう。そんな状況では、心身の疲労と同時に、教育に情熱が持てなくなってしまってもおかしくありません。
調査によると2001年度は26人、05年度は71人で3倍近くに増え、そのうち69人は教頭になったばかりの方たちだそうです。
この状況に対してこんな意見もあります。
降格願いは管理職としての能力不足とみなし、人材を育ててこなかった現場の責任だと指摘する声です。そして管理能力のある人材が育つまで、つなぎとして企業から人材を募って全国に配置すればいいというのです。
学校経営を企業原理にゆだねるということなのですが…。本当にそれで良いのでしょうか?
学校と一般企業は同じなのでしょうか?
目標も、計る物差しも違うように思うのですが…。
学校は非効率でも良いというのではありませんが、何をもって効率的とするかであり、非効率のものは全部捨て去って良いのかという疑問もあります。
とても難しい問題です。本来、個別の(差異のある)人間に対して、何を教育の成果とするかなど、基本的なことを抜きにして経営面だけを論じるのは危険です。
もう一つは、ストレス増加の原因が単に経営能力の不足からくるのではなく、親や地域社会の多様なニーズ、文科省・教育委員会からの圧力、といった社会状況の変化による面も大きいと思います。
実際、今回の調査で降格希望者の多かったのは東京都がトップ。管理の強まる教育行政のあり方の問題とも無縁ではないように思うのです。
いずれにしても、先生たちがもっとラクにならないと、結局は子ども達が苦しい思いをするんですよねえ。
あ、もちろんお母さん、お父さんもですけど。
そうした子ども達が大きくなって大学に進学し、社会に出る直前で逡巡している。私の出会う学生達もまさにそのまっただ中にいるのだなあと思うこの頃です。だから、がんばらなくっちゃ。(がんばりすぎないように、ね)!