セレニティカウンセリングルーム

月別: 2008年8月の記事一覧

お坊さんの講話(「ために」でなく)

ついこの間まで、暑くてフーフー言っていたのに、何という変わりようでしょう。朝晩など肌寒いくらいです。

またまた、ご無沙汰続きの日記になってしまいました。

ふと耳にした言葉が、心に残ることってありますね。
何気なくテレビをつけたら、こんな言葉が耳に飛び込んできました。

「『ために』やってはいけないんです」

 ???

画面には、お坊さんが映っていました。

「『食べるために働く』といいますね。食べなくてはいけないからその『ために』働くと。そうではないんです。」

 ???

「働くときは、その日精一杯ただ働く、ただそれでいいのです」

 ・・・・・

確かに、振り返ってみるとそうかもしれないと思い当たる節がある。

現実には働かないと食べられない。だから、「食べるために働く」ということになる。

では、食べているときはどうかというと、「働くために食べなければ」となっているかもしれない。

食べるために働く→ 働くために食べる→ 〇〇のために□□する→□□のために〇〇する→……………

これではいつもいつも、次の何かのために、今これをやらなくてはと思ってやっていることになる。だとしたら一体いつになったら、「~のために」ではない、それ自体を正面に据えて取り組むことをするのだろう?

そんなことを思いながら聞いていました。
セレニティの瞑想会でもよく「『今、ここ』を大事に」、ということが言われますが、これにも通じるように思います。

お坊さんの話は、道元の説法を引用しての話でした。
「報いを求めるな」「すでに自分の中にすべてあるのだから、外に求めなくても良い。それでもなお求めるのは、<水の中にいて、のどの渇きを訴えているようなもの>」なのだそうです。

「報いを求めるな」…とはいえ、現実にこれを実行に移すのは難しい~!
でも、
心がすがすがしくなるから好きです、こういう話。「ありがたがって聞いているだけではダメでしょ」、と言われそうですが…。

この後、聞き手が興味深い質問をしたのですが、それについては次回に…。

テレビには大勢の人が登場しますが、話の内容もさることながら、話し手の人相、表情や全体の雰囲気なども含めて聞くと面白いです。テレビ画面って意外に正直かもしれません。

この場合も、お坊さんがとても良い表情をして話していらしたので、つい引き込まれて聞いてしまいました。

次回は、座禅についての話だそうです。
<こころの時代~宗教・人生「道元のことば~正法眼蔵随聞記にきく(5)報いを求めず」>
駒澤大学教授…角田 泰隆
NHK教育テレビ 日曜早朝、翌週午後に再放送

他愛ないオシャベリ

夏休み間近のある日、大学の学生相談室に、ヒョッコリ、A君がやって来た。A君は今年の卒業生だ。心身の不調で卒業できるかと成績を心配していたが、何とか無事卒業できたようで、私もホッとしていた。でも、就職先が決まらないと言っていたので、気にはなっていた。

「ちょっとだけ話していいですか?誰か来たら、すぐ帰ります。」

遠慮がちに言うA君。

持病もあり、対人関係も苦手、家族ともコミュニケーションがとれていないという状況で、一刻も早く仕事を見つけて自活したい。でも、仕事が決まらない。と、暗中模索の堂々巡りが何ヶ月も続いていた。

その日も、イスに座るやいなや、
「ダメです。決まらないッス。就職先、何度面接受けても、みんな落ちちゃって」

質問しながら、いろいろと現状を聞いていくが、聞けば聞くほど八方ふさがりの状態で、私としても掛ける言葉もない。学生相談なら、相談に乗りようもあるけれど…。卒業生では、話を聞いてあげるのがせいぜいだ。

「そう、困ったわね」と、一緒に考えこんでしまった。

すると、「迷惑がってません?」と訊いてきた。

「別に迷惑とは思っていないけど、何か有効なアドバイスもできないし、どうしたらいいのかと考えているのよ」
と正直に言った。

そして気持ちを切り替え、ズルッとした姿勢でイスに腰掛けたA君を見て、ふと、こんな言葉を投げかけたくなった。

明るい調子で笑いながら、問いかけた。
「もしかしたら、面接の時、そういう態度で行っていない?」

「ええー?行ってませんよ。そんなことはないっす。絶対にないッス。今だけですよ」と、笑いながら、「ありえない!」というふうに、猛烈に否定している。

私「そう、ならいいけど、態度は大事だからね。気持ちがあるなら、それをちゃんと表さなくちゃ。」

すると、

A「あ、もしかしたら、読まれてるかも、相手に。そんなにその会社で働きたいとか思ってないから。とりあえずどこかにと思っているから」

私「無意識のうちに気持ちが態度に出ているかもしれないわね。少なくとも、今仕事が欲しいなら、『やらせてもらえるなら一生懸命やります』という態度で面接に臨まないとね」

「とにかく、態度の大きいのはダメよ!」と、こっちも笑いながら、ビシッとクギを刺す。

A君、それは分かってますと何度も言いながら、

「あー、ラクになった!ずっと誰とも話してなかったから~。」
と、ほんとに肩の力の抜けたような一言。

私「誰でもいいから、話ができる相手がいるといいね。売店のオバサンでも誰でもいいから、ちょっとしたオシャベリができるだけで、違うでしょ」

「無理ッス」と、首を振りながら、立ち上がったA君。

「仕事見つかるように祈ってるからね」

「はい、ありがとうございました」
来たときよりは、少しだけ元気な後ろ姿に、私もホッとする。

他愛ないオシャベリのできる、家族、友人、同僚、誰でも良いから、話せる相手がいれば…と思う。

日本中に、日頃、誰ともオシャベリすることのない多くの若者が、悶々と一人で苦悩を抱えているのだろうな。
人に話したからと言って、問題が解決するわけではないかもしれないけれど、少なくとも一時元気を取り戻せれば、また自分で歩き出そうという気持ちにもなれるだろう。

対人関係が苦手で、一見、人を遠ざけているように見える若者も、心の底では人との触れあいを望んでいる。A君に限らず、学生達の中には、日頃、家族とも友人とも会話をほとんどしないという者も、珍しくないことが彼らの話から伺える。

どうかほんの少しでいいから、人のつながりがゆるやかに結べる社会になってほしいとつくづく思う。
今日もまだA君は、面接にと向かっているのだろうか。

日本中のA君、とにかく生き抜いて!
自暴自棄にならず、このつらい一時を何とかやりすごそうよ。
がんばれー!

(日頃、相談室で学生達の悩みを聞く中で感じていることを、A君個人の出来事に絡めて書いたものです。趣旨を変えない範囲で設定に手を加えてあります)

34度は暑くない?

暑中お見舞い申し上げます。

暑さにちなんで思い出すエピソードがあります。

昔(といっても20年くらい前でしょうか?)、
真夏の午後に・・・、住宅密集地の二階の部屋(エアコンの廃熱と、西陽が射しこむ暑い部屋)で・・・、アイロン掛けをしていた時のことです。
(↑この状況を想像しただけでも、汗がにじんできそうではありませんか?)

あまり汗カキでない私ですが、その時はさすがに汗だくで、ほんとうに頭がボーッとして、目が回りそうでした。ふと、温度計を見ると、34度だったのを覚えています。

その時の暑さと、温度の記憶から、私の中では34度は「暑い!」というイメージが、長年定着していたのです。

ところが、最近のお天気ときたら、38とか39という数字が珍しくなくなってしまいました。時には、気温40度などということもあります!(あの温度計は壊れていたのだろうか?)

かつては想像もつかない数字だったのが、今や、珍しくもない数字になってしまったと思うと、気温の上昇を実感できるし、それに順応していく人間はスゴイ!と思うのですが、喜んでばかりもいられません。

東北でミカンが収穫できたり、熱帯の病気が日本で発生したり、生態系のバランスがメチャクチャになってきている証拠もチラホラ見聞きするようになりました。

それに、真夏ばかりが長くなって、初夏や晩夏といった季節の趣が減っていくのは、やっぱりちょっと淋しい気がしてなりません。

「個人で出来ることは、まず省エネかな。まずエネルギーを効率よく使うことが必要ね。」

なんて考えていたら、「自分の頭も体力も効率よく使う。これも省エネよね」と、耳元でささやかれている気がしてきて…。
確かに、サッサと文章を書いてパソコンを閉じれば、省エネです!

・・・・・と、

暑さのせい(?)で何が言いたいのかわからない文章になりました。
ともかく、皆さま、お元気で!