月別: 2008年10月の記事一覧
銀杏の葉もいろいろ、子どもの成長も…
今年は秋がゆっくりゆっくりやってきているような気がします。それでも銀杏の葉っぱが数日見ないうちに、緑から黄緑に、そして黄色へと変化していました。
並木道にズラッと並んだ銀杏の木は、まだ緑色が濃いものあり、すっかり黄色に変わってしまったものあり、場所によっても違えば、一本の木の中でも緑と黄色が混じっているものもあり、とさまざまです。
ちょっとした陽の当たり具合や、風通しなど環境や状況によって、木もさまざまなんだなあと思いながら、並木道を歩きました。
大村はまさんの本でだったか、「何頭もの馬をいっせいに走らせたら、同時にゴールするなどと言うことはありえない。子どもも同じことです」(私なりの要約です)という言葉があります。
はまさんは、「だから、一人ひとりの成長を大事にした教育を」と言われます。銀杏の木を見ていて、ふとそれを思い出しました。
何頭もの馬が脇目もふらず、同時にゴールしたら気味が悪いです。人間はともすると教育によってそれに近いことをやろうとしているのかもしれませんね。
人間だって生きものの一種と考えれば、もともとバラバラの方向へ走り出して当たり前だし、進むスピードもそれぞれだと納得できます。「早く早く」「みんなと同じに」とせきたてなくてもすむということです。
銀杏の葉っぱの、ひとひら、ひとひらにも、それぞれの葉っぱの一生があるんですね。
そうそう、葉っぱのフレディを思い出しました。
フレディは、静かに豊かに幕を閉じます。
秋の香りとアサーション
っと言っても、「松茸」ではありません。
窓を開けるとキンモクセイの香りが飛び込んできます。どこからくるのかな?周りにはそれらしい木はないんですが…。
こうしたちょっとした季節の変化に触れられるのはうれしいですね。やっぱり四季の変化があるのはいいものです。
。。。。。
秋から冬へ、講演の機会を二ついただいています。11月は神奈川で、12月は東京で。どちらも学校の先生を中心としたアサーション・トレーニングをベースにしたワークショップです。
先生方と、子ども達や親御さんとのコミュニケーション。それぞれの現場でのご苦労をいろいろ伺うと、マスコミが伝えるような一面的なとらえ方はできなくなります。
「教師の質が云々」「モンスターペアレントが~」「子ども達が変わったから~」などなど、いろいろ言われます。でも、誰かを悪者にしなければならない見方では、根本的に解決していかない気がします。
たとえ、そうした事実があるにしても、一人ひとりが一生懸命とりくんでいることに、ちゃんと真正面から向き合えば、お互いの回路はつながるはず。誰だって、悪い方向へ行かせようと思ってやっている人はいないはずですから。
アサーション・トレーニングがそのための回路を造る一手段として、お手伝いできればいいなあと思います。
そして人と人、同じ時間を過ごすなら、楽しくやりたいものです。楽しく学んだほうがよく身につくと言いますもの。
ということで、
新鮮な気持ちで、ちょっとワクワクしながら(もちろん緊張もしているんですが)、出会いを楽しみながら出かけることにしています。
でも、教育予算って少ないんだなあってしみじみ思います。限られた予算の中で研修を企画する方は大変。とっても恐縮されて報酬の話をされます。私もつい、少しでも役に立てればとお引き受けします。
本当はちゃんと国が教育に予算をつけなくてはいけません。
瞑想とは?
瞑想って、なんでしょうね。
今「瞑想を理解する」というテーマで、ご案内の文を作ろうと四苦八苦しています。同時に、いろんなことを考えさせられます。
日頃、自分の内側を見ないで、外の世界ばかり見て生活しているなあと、自分のせわしなさを振り返らされます。また、瞑想会の参加者の方達の中には、ふだんから瞑想を生活に取り入れている方もいらっしゃるというのに、主催者の私がほとんど怠けていてできていません。
それでも、静かに座れば誰でも瞑想はできますし、やっぱり瞑想会をやってよかったと、毎回開催できたことをありがたく思います。
「瞑想とは、何かのためにするのではない。瞑想をすることで何か報酬を得ようとしてはいけない。瞑想はただ瞑想することそのものに意味があるのです」
と、あるお坊さんの講話にありました。
「瞑想を理解する」のがむずかしかったとしても、そうでなかったとしても、気持ちが良くなることはやっぱり理屈抜きでいいものですね。「いいものはいい」で、続けられたらと思います。