日別: 2014年8月6日の記事一覧
8月6日に思うこと
暑中お見舞い申し上げます。
本当に暑いですねえ!
朝から気温がぐんぐん上昇し、こちらでは連日35度超えです。とは言いながら、セミの声が聞こえてくると、もう夏も後半になるようで、暑ささえ名残惜しいような気がしてくるのが不思議です。子どもの頃の「あと少しで夏休みが終わっちゃう~!」という記憶が染みついているのでしょうか・・・。
そうした暑いこの時季、今年も巡ってきます。
今日は広島の原爆忌です。その三日後には長崎、そして終戦記念日へと続きます。8月は祈りの月、平和を誓う月とも言われます。
私はこの頃の社会の空気がとても気がかりです。
「平和とはどんな状態?」と問われれば、戦争がない状態というだけでなく、人々が飢えや貧困から解放され、人権が守られるなどして初めて平和と言えるという見方もあります。その意味では日本も手放しで平和とは言えないかもしれません。が、それでも紛争の絶えない世界情勢から見たら、爆弾が降ってきたり命令で人殺しをしたりしないですむ日本は、やはり平和な国と言って間違いないでしょう。
ではあるのですが。。。。。最近はこの日本の平和な状態が脅かされていると感じることがあまりにも多くなっている気がするのです。
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たとえば、ここさいたま市でも、つい最近ありがたくない出来事が報道されました。公民館の俳句サークルが選んだ句が、毎回「公民館便り」に掲載されていたのですが、7月号では『世論を二分する内容を詠んでいるから』という理由で、「公民館便り」への掲載を拒否されたのです。
「梅雨空に 『九条守れ』の 女性デモ」
この俳句が許されないとは?!ビックリです!
もちろんいろいろな受け取り方があって良いと思います。だからこそ、これをどう受け取るかは人それぞれに任せるのが表現活動の醍醐味であり、芸術や文化なのではないでしょうか。皆さんはどう思われますか?
本来、公民館は市民の自由な表現活動を推進する場として設けられた場所です。にもかかわらず、その公民館が政治的な判断で市民の活動に制限を加えたことはとても問題です。政治が教育に介入することを厳しく禁じた「教育基本法」の主旨から大きく外れているからです。
そもそも公民館とはどういうところでしょう?
少し調べてみました。
公民館は「社会教育法」の下に設置されます。「社会教育法」は「教育基本法」の下に制定されています。その「教育基本法」は憲法の理念を具体化するために制定されたものです。したがって公民館活動は、いわば憲法の実践編なわけです。
市民が自由な表現活動を通して成長できるよう、環境を整え、学ぶ場を提供することが公民館の役割です。公民館が、そこでの市民の活動や発表の中身について制限することは越権行為なのです(もちろん宗教や政治団体の使用については制限されますが、今回のケースはそれに当たりません)。
作者や多くの市民から抗議があったにもかかわらず、結局、さいたま市では、全公民館に対して『世論を二分するテーマを扱った表現活動については、掲載を見送るべき』という通達を出しました。公民館側が、逆に公民館活動に政治的判断を持ち込んでしまったことになります。市長もこれを支持しました。
市長も職員も「世論を二分するテーマ」かどうかを判断すること自体が、政治的行為であることに気づいていないことは残念なことです。人権や憲法擁護の意識の低さを物語っています。さいたま市の教育全体に関わる重要な問題と思います。今後も、この問題は引き続き考えていかなくてはならないでしょう。
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このさいたま市の例だけでなく、全国各地で表現活動の制限が少しずつ出てきているようです。それに加えて、国民の声を無視した政策や法律改正が次々と進められ、とどまるところを知らない勢いなのも大いに不安です。
そんな中、先日、幼いお子さんを持つ30代のお母さんとお話しする機会がありました。そのお母さんがある時、ママ友と次のような言葉を交わしたそうです。
お母さん「子どもの将来が心配!日本が徴兵制になったらどうしよう」
ママ友「心配し過ぎよ。そうなったら、その時に考えればいいじゃない」
ママ友だけでなく、周りの反応は大体がそんなふうだそうで、「心配している自分は考えすぎなのだろうか?」と、お母さんは一人で深刻に悩まれていました。
「そうなったら、その時に考えればいい」。
今だから言える言葉だと思います。平和な今だから「そうなったら、その時でも言える」と思ってしまうのですが、戦争になれば自由な発言はできなくなります。現在でさえすでに、公民館での掲載拒否のように、言いたいことが言いにくくなってきているのですから・・・。
「その時になってからでは遅い」と私は思います。「言えるときに言い、行動できるうちに行動しないと」と思います。私にも3人の息子と、3人の孫がいます。彼らが戦争で犠牲になるのはゴメンです!人殺しをさせたくもありません!
私の父母は戦争体験者ですが、私自身は戦争を知らずにここまで生きてくることが出来ました。それは平和憲法のおかげだったのだと思います。まるで空気のように、憲法が当たり前のように平和な社会を保障してくれていたからです。憲法の恩恵は当たり前すぎて気づかないくらいだけれど、実は貴重な財産だったのだと、今になって改めて気づかされています。
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この「空気のように」で思い出すエピソードがあります。
。。。。。
思いがけず長くなってしまったので、続きは明日に回しますね。ここまで、長々と読んでくださってありがとうございました。ではこの続きはまた明日。