静寂と喧騒
落ち着いてパソコンに向かう余裕がなく(時間的にというよりは気持ち的に)、気がつくと2ヶ月以上もご無沙汰していました。
(写真は大学のキャンパスで仰いだ青空)
5月下旬に弟が亡くなり、闘病中だったとはいえ突然のことでショックでした。訃報を聞いて真っ先に思ったことは、死って静かだなぁということ。
訃報を耳にする一瞬前までは、希望・期待・不安・怖れなどなど、いろいろな感情が交錯して気持ちはザワザワしていました。そこに飛び込んできた訃報、亡くなったと聞いた瞬間、時が止まり物音一つない静寂の世界に一人ポツンと佇んでいる感覚。
本当に静かで、ただひたすらな静寂。
思えば生きていくことそのものが饒舌な世界での営みなのだと今さらながら知ることとなりました。絶え間なくおしゃべりを続けているかのような喧騒の世界に生きているのが私達の日常なのかもしれません。
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多少なりとも、ふだん瞑想に親しんでいれば、身近な人の死に臨んでも死の受け入れ方も悲しみも薄らぐのではないかと思っていたのですが、そんなことは全然ありませんでした。ショックなものはショックだし、悲しいものは悲しいままでした。
でもそれでよいのだと・・・。
悲しいときは悲しむしかない。そして、そういう自分を見ていればよいのだと。
瞑想とはそういうものだそうです。
ただ、こんなふうには思います。瞑想を通して、死を深いところで受け止められているのかもしれないと。重層的にと言うのでしょうか・・・。やはりなんだかんだ言っても、瞑想は私にとって欠かせないものになっていることは間違いないようです。
近所の田んぼ。冴え冴えとした緑が美しい。
田植えの季節には子どもたちがカエルを覗きに来ていました。