セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 セレニティの活動・お知らせほか 』

瞑想会の後で見上げる空は広い

5月初旬の連休の中日。

定例となっている瞑想会を開催しました。
コロナ禍以後では本当に久しぶりに、複数人数のご参加で開催することができました。

とはいっても、もともとが少人数の会なので、総勢5名でしたが、一時は主催者(私)とリード役の講師(ソハム)だけということも珍しくなかったので、5名は嬉しい人数なのです。

もちろん瞑想は一人でも二人でも、本質的なところでは何も変わらないのですが、複数の人が参加することでその場の空気やエネルギーはやはり微妙に変化します。

ここが人間の面白いところですね。やることは変わらないのに、起こることは微妙に変化する。数字や理屈では計れないプラスアルファの作用があります。実際に瞑想を複数人数でやっていると、人の動きや言葉から得るものや影響されることは少なくないですし、それらが刺激となってさらに自分の言葉や振る舞いが変化しているように思います。この相互作用の妙は、複数の参加があって初めて起きることです。

一人で座る瞑想の実りはそのままに、さらに大きなエネルギーと安心感に包まれている感覚を持つことができる、そんな感じでしょうか。もちろんこれは、あくまでも私個人の受け取った感覚で、皆さんそれぞれの感じ方がおありとは思います。

終わって会場の外に出たときに見上げた空の広さ、空気のすがすがしさは今も鮮やかに思い起こせます。

これから少しずつ、コロナ前のように、ご参加の人数がもどってきてくれますように…。

 

 

生と死と瞑想

冬の朝はキーンと冷たくて・・・。
手足は凍えそうでも、
抜けるような青空を見ると、
そんなことも忘れて思わず深呼吸したくなるくらい気持ちがいい。
———————–
今年も数日で幕を閉じます。相変わらずせわしない一年でした。皆様はどのような思いでこの年の瀬をお迎えでしょうか?

私くらいの年齢になると、元気だった人が急に体調を崩したり、身近な人が亡くなったりという報に接する機会が増えてきます。そしてその度に、命や健康について考えさせられます。そこにはおのずと、「生きる」とは何なのかという問いも含まれて。

一般に私たちの感覚では、生と死は対極にあると思われています。少なくとも日常の感覚ではそうです。

一方、毎月セレニティで開催している瞑想会では、「死は日常のことであり、生と死は一体で切り離すことができないもの」として扱われます。そして私たちは日ごろ、生の側にだけ目を向けて生活していて、死は見ることさえ拒否しているのではないかと・・・。

その結果、身近な人の死や自分に健康不安が生じたときに突然、死について考えるようになり、そしてまたその不安が去ると日常に紛れて忘れてしまう、ということを繰り返しているのではないかと。

私自身を振り返ってもまさにそれです。ただ、少しずつの変化も感じられます。心もとないながらも続けている毎日15分の瞑想と、月に一度の瞑想会を通して、(ほんのちょっぴりですが)生と死の両面に目を向けられるようになってきたかな、と思う時も出てきました。

日ごろ見ることを拒否していた部分(死)を見ることで、生きることの両面(生と死)に目を向けることができ、「ねばならない」と縛っている自分から解放されて自然体で生きられたら・・・。そして、自分なりの幸せや喜びをさらに見つけられるようになれたらいいな~。

瞑想をしながらいつも雑念に振り回されてばかりいる私には、まだまだほど遠いことは確かです。それでも、生と死の両面をちゃんと見られたら世界がどんなふうに見えてくるのか?という好奇心と、多少の向上心(?)とで、このまま雑念に振り回されるとも、ジタバタ瞑想をし続けようと思っています。

とまあ、こんなことを思いつつ、年の瀬を過ごしています。

今年もあまり日記が更新できませんでした。というより、以前よりも間隔が開いてしまったかも・・・。本当にこの一年は気づくとあっという間に一か月が経ってしまっていて、時間の感覚が昨年よりもさらに短かった気がします(モロ言い訳!><)

来年はもうちょっとマメに更新できたらと思いますが(←毎年言っている)、期待せずに見守っていただければ・・・。

何はともあれ、今年も一年何とか無事に過ごすことができました。
本当にありがとうございました(世の中の諸々に対して感謝を込めて・・・)
皆さま、どうぞ佳いお年をお迎えくださいませ。

 

2015という数字

2015年。
もう21世紀になってから15年目なんですねえ。
ふ~、早いなあ!

20世紀の真ん中に生まれた私としては、2000年という数字そのものが、現実離れした数に思えていた時期がありました。19〇〇年は実感できるけど2000年以降はSFの世界、みたいな感覚だったのです。さすがにこの頃は2000という数字にも慣れましたけれど・・・。

ところで、

20世紀から21世紀へと切り替わった当時は、戦争の世紀と呼ばれた20世紀から、平和なミレニアムへと変わることを期待した空気が自然に生まれていたように思います。平和なミレニアムの創造はいつどんな形で始まるのか?淡い期待を抱きつつ、何かを待っていた自分もいました。

そのまま月日が過ぎて・・・

2011年、私たちは東日本大震災という未曾有の惨禍を経験するに至ります。
「これで何かが変わる!」と思ったのも束の間、
惨禍の痛手から気づいたことや学んだことを忘れ去り、
再び何ごともなかったかのように20世紀の続きを歩いている、
そんな2015年の年頭です。

☆ ☆ ☆

 

でも、考えてみれば当たり前ですね。
私たち一人ひとりが変わらなければ、
本当の意味での社会の変化は起きないのですから・・・。
どこからか変化がひとりでにやってくるなんてことはないですから。

 

権力を持った人たちが好きなように力をふるってきたのが
20世紀までの歴史だとしたら、
それを超えるには権力者ではない人たちが、
今までに発揮できなかった力を使って乗り越えるしかないのでしょう。

 

そして、乗り越えることのできる力があるとすれば、
それは権力者と同じような種類の力ではなく、
自分を生かし、人と人とをつなぐことのできる力であるはずです。

 

「自分を生かし、人と人とをつなぐことのできる力」を使う。
それは誰にも教わったことのない方法だから、
不安に駆られるかもしれません。
でも、そのもとになるのは、誰もが本来持ち合わせている力です。

 

誰かの指示を待つのではなく、
自らの魂の声に耳を傾けて動くとき、
きっと何かが少しずつ変化し始めます。
魂の声に耳を傾けることは、
もしかしたら勇気のいることかもしれないけれど、
自分自身の生を生きるただ一つの道ではないでしょうか。

 

そんなことを考えながら明けた今年のお正月。
少しでも形にしていけたらいいなと思っています。

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

ホームページのリニューアル

久々にホームページをリニューアルしました。
随分前に「ただいまリニューアルの準備中です」とお知らせしたと思いますが、本当にあれはいつのことだったでしょうねえ。
皆さんもうお忘れですよね。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

部屋の片付けを始めるとあちこちの戸棚から思いがけない物が出てきて、写真に見入ってしまったり、新聞の切り抜きを読み始めてしまったりして、整理するつもりが逆に家中に物が広がってしまった・・・・な~んていう経験、どなたもお持ちかと思いますが、ちょっとそれに近い感じだったような気がします。

整理し始めると次の課題が見えてくるんですよね。そんなこんなで、まだまだ整理しきれなかったり、手つかずだったりの所があちこちに・・・。

ということで、サイトの中身はそんなに変わっていないかと思いますが、古い日記帳や大事な物をしまった引き出しを開けるようなつもりで、この間のセレニティの活動を振り返りながら再構築してみました。

これを機に、また新たな気持ちで、次の一歩を「よっこらしょ!」とばかりに踏み出せればと思っています。
<さっそうとー!>でないところがミソですよ ^^)

お時間のあるときに、ときどき覗いてみていただければ嬉しいです。

4月のセレニティ瞑想会

連休の前半初日は瞑想会でした。八重桜が散り始め、そしてハナミズキが見頃を迎えるという春爛漫の一日でした。

写真は会場近くの駅前ロータリーでパチリ。もう一枚は瞑想会会場の和室です。広々とした和室の、自然光の柔らかな光が落ち着きます。この日の瞑想会について、ちょっとした感想を書きました。もしよかったらお立ち寄りください。→こちら