セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 社会 』

車内のほのぼの会話から思う、年越し派遣村

今年も今日で最終日となりました。

バタバタと年末を過ごしておりますが、皆さまはいかがお過ごしですか?セレニティ日記の更新が滞っているのが気になり、キーボードの前に座ること1時間、やっと書き上げてアップ、という時に、ボタンを押し間違えて全部消滅!!意気消沈しつつも、気を取り直して、書き始めたところです。

先日、電車の中でのこと。

夕方早い時間で、学校が休みに入り、車内も空席があるかないかという混雑具合でした。数人の男子高校生の隣の席が微妙に空いていたので、「すみません」と声を掛けつつ座ると、床に置いた大きなバッグを足でズルズルと動かしながら席を空けてくれました。

その彼は、大きなカップ麺の器を手に、そろそろ食べ終わるという様子でした。

カップに残ったおつゆからは、フワ~ッとおいしそうなラーメンの匂いが…。
「いい匂い!!」と思わず声に出てしまいました。
「今日、試合だったんで、今やっと食べてるんです」とカップから顔を上げずに、高校生。
「あ、そうだったんだ。・・・で、勝ったの?」と私。
一心に最後の中身をかき込みながら、「はい」と何度も頷く彼。
「そう、それはよかった!」

彼と私の会話を聞きながら、仲間の高校生もニコニコ。これだけの他愛ない会話でしたが、何だか心がポカポカしたひとときでした。

やがて、お腹がいっぱいになった彼らはこっくりこっくり…。夕日の射す車内は、心なしかのんびり穏やかな風景に見えたのでした。

その時、ふと思い出したことがありました。
大学の相談室に来たA君、B君…、彼らはどうしているかなあ。当時、話し相手が誰もいないって言って、束の間、相談室で他愛ないオシャベリをして帰って行ったけれど、その後話し相手は見つかっただろうか。仕事は見つかったかな?体調もよくなさそうだったけど、その後良くなっただろうか…などなど。

せめてA君、B君の近くに、たわいのない会話でいいから、話し相手になる誰かがいてくれますように。そんなことを思いながら電車に揺られたひとときでした。

一方、「年越し派遣村」が今年も各地の自治体によって設置されたそうです。職のない人、ホームレスの人達のために宿泊と給食を提供するための場所です。「屋根のある所で年を越せるのがありがたい」とは入居者の切実な声です。

でも4日には退去しなくてはならず、その後はまた寒空に転々とする生活が待っているわけです。1年半前は普通のサラリーマンだったという人もいて、誰にとっても他人事ではありません。

この場合も、仕事や住居がないだけでなく、人とのつながりが切れてしまっていることが、状況を一層深刻にしているように思います。誰かと話ができれば、同じ状況にあっても元気が湧いてきて、前向きな思考にもつながるはずです。

ささやかでも人とのつながりがあれば、人は何とか生きていくことができるものではないでしょうか。見知らぬ人とのささやかな会話も、もしかしたら意外に効果のある手だてになるのかもしれない、そんなふうに思ったりもします。

とりとめない内容になってしまいましたが、来年もささやかな実践をめざして、一歩一歩やっていきたいと思います。

今年一年多くの方にお世話になり、いろいろな形でお力添えを頂き、ここまでやってくることができました。ありがとうございました。
皆さま、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

指先をケガして気づいたこと

「一般的に〇〇だ」と言いたいとき、自分自身もその中に含めた上で、よく「私たちは」という表現をします。でも、ふっと思ったのです。この「私たち」ってすごく大ざっぱだなあって。「私たち」と言うとき、「私たち」とはどんな人を想定しているのでしょう。考えてみると、とても曖昧なくくりであることがわかります。

言ってみれば、この「私たち」は「多数派」ということに過ぎないように思います。私自身、「私たち」と安易に使ってしまうのですが、そのとき、私は自分を多数派の側に身を置いて使っているわけです。そして「私たち」と何気なく使うことで、「私たち=多数派」に属さない人達を知らず知らずのうちに除外してしまう結果になっているのではないだろうか、とも思うのです。そんなことに気づかされた出来事がありました。

先日、料理をしていて包丁でほんの少し指先を傷つけてしまいました。たいした傷ではなく、「バンドエイドを貼って、ハイおしまい!」という程度のものでした。ですが、そんなたいしたことのない傷であっても、ドアの取っ手をつかんだり、重い物を持つときに力が入らず、とても不便な思いをしました。

ささいなことから不便が生じたり、何かができなくなってみて初めて、世の中は「元気な人=心身共に不自由のない人」を基準につくられているという現実に直面することになります。そこで初めて、ふだん何気なく使っている「私たち」という表現は、決してすべての人を意味する「私たち」ではなく、「元気な人=心身共に不自由のない人=多数派」を表している言葉に過ぎなかったということにも気づかされます。

指先の切り傷は、数日でほとんど不便なく使えるようになりました。「私たち」が意味するもの、忘れないように、何かしらの形で常に意識させることが必要なんだろうなと思います。自分の忘れっぽさ、を思うと…。

ジェネレーションギャップ?…携帯にメモする

ジェネレーションギャップという言葉を時折耳にします。ある年代では当然と思われることが、別の年齢層の人達にはまったく違って受けとられる、みたいなことですが、私はそれをコミュニケーションの手段について時々感じています。会話や伝達の手段として何を使うか、ふだんどんな手段になじんでいるかは、けっこう世代や年齢層によって、異なるように感じるのです。

実際に、こんな経験があります。
大学の相談室で、「次回までに、〇〇について気がついたことがあれば、メモしてきてくださいね」とお願いしたことがあります。

その時、私の頭の中には、「メモする=紙と筆記具」のイメージがありました。なので、次回は学生が持参したメモを一緒に見ながら、カウンセリングを進めていこう、そんな心づもりでいるわけです。ところが、そのとき実際に学生がメモしてきたのは携帯電話のメモ機能をつかってでした。

私にとっては、ちょっとしたカルチャーショックでした。今まで、同じように「メモしてきてください」とお願いする場面は何度も経験していますが、携帯電話というのは思いもよらなかったのです。メモと言えば「紙に書く」であったのが、「メモは携帯に」が当たり前になっている事実が(少なくともある年代では)あることを知らされたのでした。

もちろん、若い人たちばかりでなく、日頃携帯を使い慣れている人であれば、携帯電話にメモをすることはあるでしょうから、厳密に世代によるギャップとは言えないかもしれませんが、携帯の機能を使いこなしている若い人ほど「紙より携帯にメモ」の確率が多いと言うことは言えそうです。

カウンセリングの場面で、私が想定していたのは、お互いにそのメモを見ながら、話をするキッカケにしたかったのですが、携帯の小さな画面ではそうもいきません。

そこで、その時は紙を渡し、携帯画面から改めてメモの内容を書き写してもらって、それを見ながらカウンセリングを続けました。

紙にメモしてもらうと、付随的にメモに書かれた内容以外の情報も受けとることができるというメリットもあります。字のうまいヘタということではなく、その人の個性が文字や書き方には自ずと現れているからです。

そんなこともまた話のキッカケにすることもできますし、ささやかなことが大事な情報源になる場合もあります。

いずれにしても、コミュニケーション手段一つにしても自分の思いこみを捨てて、それを使いこなしている人達の日常感覚についても、ちゃんとキャッチできる状態でいたいものだと思ったことでした。

変化はどこから…カウンセリングと政治

もうすぐ夏休みも終わりです。そのせいか、最近、街中で子ども達の声があまり聞かれなくなった気がします。家で宿題に追われているのかな?

さて、近々衆議院選挙が行われます。カウンセリングの現場と政治とは、何の関係もないように思われそうですが、それがそうでもないのです。

大学の相談室の場合ですと、相談に来る学生さん達の家計を気遣う度合いが、グッと切迫感を持ってきた気がします。

進路・成績・人間関係など、学生達はいろいろな悩みを持って相談室に来るわけですが、「親の生活が苦しいので留年はできない」という、いわば背水の陣で、悩みを抱えて相談室にやって来る学生が増えた気がします(相談そのものが金銭的なことではなく)。

なので、じっくり相談するとか、精神的なケアを優先させるというよりも、経済的理由で解決の選択肢が限られる中で、じゃあ当面どうしたらよいかといった方向づけになってしまいます。

また、大学の経営上の生き残り策が、大学教育のあり方をゆがめ、結局それが学生の意欲の減退につながるという、個々の学生にしわ寄せが来ている面も少なくないような気がします。

こうしたことは、相談室では解決のつかない根深い問題で、国の教育政策に絡んで起こってくることです。

女性の方のカウンセリングの場合は、明に暗に、いろいろな形で社会の矛盾を背負わされた部分が多いのは、今に始まったことではありません。

男性が育児休暇をとれない、残業続きで夫も疲労の限界、だから夫の手助けは得られない、……お子さんの教育のこと、学校とのやりとり、ご夫婦の会話、……カウンセリングの現場には、社会の矛盾が噴出します。こうして「政治」はさまざまな場面に顔を出してきます。

と、こんな風に言ってしまうと、何だか絶望的な状況のようですが、そんなことはありません。
社会が変わらなくても、個人の日々の生活を変えることはできる…と始めるのがカウンセリングです。

そして実際、たとえ小さな変化でも変化が起きれば、人はそこに希望を見出して歩き出すことができるし、それが大きな歩みの一歩になるチャンスもいっぱいあるのです。

カウンセリングによる自分の一歩も大事にしながら、政治への希望や期待も忘れないでいたいなあと思います。

国産小麦の給食パン…継続の力

今から20年ほど前、都内の某所に小若順一さんを訪ねて話を聞く機会がありました。当時の団体の名称は忘れました(現在「日本子孫基金」と改称)が、食品の放射線照射やポストハーベスト(収穫後の農薬散布)など、食品の安全性について啓発する市民団体で、小若さんはその団体の代表でした。

輸入小麦の安全性への疑問、国産小麦のおいしさ、そんな話をしながら「学校給食に国産小麦パンを導入できないだろうか」というような話題を持ち出した記憶があります。

小若さんの話では、価格その他の面で(ふわふわしたパンにならない国産小麦の特性が理解を得られるかどうかとか、それを克服する技術の面で難しいとか)、現状では非常に難しいという話でした(予想通りの答えではあったのですが、それでも聞きに行ってしまうところがしつこいというか、私のアホさ加減だなあと…)。

「安全性を考えたら国産小麦のほうがいいに決まっている。だけどどう考えても今は難しい」必要性と同時に現場の困難も知っている人の発言なので説得力がありました。「ヤッパリ無理か」とガッカリしたのを思い出します。

というように、学校給食に国産小麦パンを導入することは、当時としては考えるのも愚かといって良いほど、まったく現実離れした問題だったのです。

しかし、あれから20年。
今では学校給食に国産小麦パンを導入している学校があちこちで見られます。4~5年前、初めてそのニュースに接したときは感慨深いものがありました。
「変わるんだ!変われるんだ!」っと。

同時に、たぶんこれは給食の問題だけではないはず、とも思いました。

教育にしても、子育てにしても、問題と思っていることや疑問に思っていることは、地道に変える努力をしていけば、きっと変えることができる、そう気づかされたのです。

もちろん、何もしないでいては変わりません。

学校給食での国産小麦パン導入にしても、そこに至るまでには、多くの関係者のひとかたならぬ努力があってのことです。消費者の安全な食べ物を求める気持ちや環境問題への関心などが、政治を動かし、社会を変え、実現への力になったのだと思います。

あきらめないで、進むこと。
給食パンが教えてくれました。