カテゴリー 『 社会 』
チャイルドライン(子ども電話相談)
もう5~6年前のことです。確か、福井県ででしたか、子どもチャイルドラインという無料の子ども電話相談が始まった頃、運営主体が発行するNPOの機関誌で、チャイルドラインの担当相談員の報告を読む機会がありました。その中の一つに、ちょっと考えさせられた報告がありました。
子ども達からの相談の内容について書かれていました。もちろん、悩みの相談が寄せられるのは当然のことながら、相談員もビックリしたのは、日常会話のような電話もけっこうたくさん掛かってきたことだったそうです。たとえば・・・
「ボク、今日、サッカーをやったよ。」
「私ピアノを習っているの。」
「ウチのネコの名前はねー…」
などなど。
ふだん家族と交わすような会話の内容だったとか。
そんなとき相談員が「お留守番なの?」と尋ねると、たいていは家族の誰かが家にいたそうです(相談日は休日でした)。
家に家族はいるけど、家の人と会話しないで外部の相談電話に電話を掛ける。
そんな時代になっているんだ!と相談員の報告同様、私もちょっとショックでした。
今、大学の相談室で学生に接していて、彼らにも同じ状況を感じています。こちらは子どもだから問題はいっそう深刻。で、「大学の彼らは一応おとななんだから…」と思ってみたりもしますが………。
それでも、何だかモヤモヤと気持ちは晴れません。あれこれ考えても、簡単には答えは見つかりません。でも、一つハッキリしているのは、子どもや若者達に静かに起きている「異変」が自分の身の回りにないかセンサーを働かせること。そして気づいたらまず、身近な彼らに一声かけることではないのだろうか、そんな気がしているのですが・・・。
遠慮しないで、ママさん達
先日、電車でドア付近に立っていた時のこと。途中から、赤ちゃんを抱いて、男の子を連れたお母さんが乗って来ました。同じドアの、私と反対側に立ちました。
お母さんはスリング(でしたっけ?ダッコ紐のことです)で赤ちゃんをダッコ。赤ちゃんは気持ちよさそうな寝顔です。
男の子は3歳と4歳くらいかな?お兄ちゃんの方は小さな布の手提げ袋からペットボトルを取り出すと、一口飲んで、お母さんも一口。兄弟はドアの窓からおとなしく外を見ています。
それほど混んでいるわけではないけれど、座席はどこも空いていません。若いお母さんは、駅が来ても座席を捜すふうもなく、最初から座らないつもりのように見えました。
とにかくじゃまにならないようにと、ドアが開くたびに優しく男の子の頭に手をやって、端に寄るように促しています。
“ボクたち”おとなしいなあ、エライなあと見ていました。そうこうするうちにお兄ちゃんの方が、ドアの隅にしゃがんで座席の壁によりかかって眠り始めました。駅に着いてドアが開くたび、立ち上がってよけています。
お母さんが、「見えなくて危ないから立っていなさい」と注意します。
やがて私の降りる駅になりました。3人はまだ座れません。でも、きっと次の駅では座れるはずです。次は乗り換え駅だから、ドッと乗客が降りるんです。私もちょっとホッとしました。
子どもが立っているのはけっこう賛成です。でも赤ちゃんや幼児を連れたお母さんは座らせてあげたい気がします。この間は、臨月近い妊婦さんが、混んだ電車の中で、やはりドア近くに立っていました。赤ちゃんや幼児を連れたお母さん、それに妊婦さん達、きっと迷惑にならないように気を遣っているのではないかなあ、そんな気がするんです。
遠慮しないで、「“迷惑”をかけ合おう」でいきましょうね。
“迷惑”をかけ合おう
時々、若いお母さんがこんなふうに言うのを聞くことがあります。
「子どもを預かってもらえるのはありがたいんですが、そうすると今度は自分が預からなくちゃいけないって思うと、気持の負担になって、お願いできないんです。」
何かしてもらったら、すぐにそれにお返ししないといけない、そんなふうに思いこむとすごく人間関係が堅苦しくなってしまうことってありますね。
持ちつ持たれつ、困ったときはお互い様、そう考えて、お互いに助け合えるといいなあと思います。
何かしてもらったらすぐにお返ししなくてはいけないというのではなく、相手が困っているときに自分のできることがあったら、別のことでお返しするのでも良いと思うのです。
それは直接、親切にしてもらった当人にではなくても、自分が出会った困っている誰かに力を貸してあげるのでもお返ししたことになるのではないでしょうか。
福祉の仕事で実績を積まれ、参議院議員になられた黒岩秩子さんに名刺をいただいたことがあります。名刺には「“迷惑”をかけあおう」と書かれていて、ハッとさせられました。福祉の現場の長かった黒岩さんの実感がこもっていると思いました。何らかのハンディがあって支援を必要とする人が、安心して「迷惑」をかけることのできる社会こそが、誰にとっても安心して暮らせる社会でしょう。
<人に迷惑をかけてはいけない>だけが強調されてしまうと、困っている人や助けを必要とする人が「手を貸して下さい」と言えない社会になってしまいそうな気もします。
と言いつつ、自分の子育てを振りかえると、あーホントに迷惑のかけっぱなしだったなあ。Eさん、Kさん、Sさん…それに数え切れないくらい多くの方に文字通り迷惑かけたし、お世話になったなあと、反省しきりです。私の場合、本当の迷惑だったような気が・・・。
でもどうかその分、今がんばっている若いお母さん達にお返ししていきますからね、ゆるしてね!
二人がけシートに一人ずつ
週に二回、大学の学生相談室を担当しています。大学へは最寄り駅から教職員用バスが出ますが、時間帯によっては学生達と同じスクールバスを利用することもあります。
そんな時、以前からとても不思議だったのは、学生達は二人がけのシートに一人ずつしか座らないということ。もちろん、ふだんから会話している(と思われる)友人同士の時は、二人がけに隣り合って座り、おしゃべりしていますが、二人がけのシートに座っているのが、日頃話したことのある相手でないと、空いていても座らないみたいなのです。
ギッシリ混んでいても、席は一人分ずつ空いている、なんてこともたびたびです。
もちろんたまに、そうでない学生もいますが、大半は二人がけシートに一人ずつ座っています。
ある時、顔なじみの学生達に、
「こういうの、なんかヘンじゃない?」と聞いてみると、
「僕もそう思います。」
「僕は気にせず座っちゃいますよ。」
と、彼らからはキッパリした返事が返ってきて、ホッとしたことがあります。「ヘン」だと思っていたのは私だけじゃなかったと。(ちなみにここのキャンパスでは90パーセント以上が男子学生です)
先日、いつものように大学に向かうバスに乗り込んだときのこと。
私が座ると、すぐ前の席に一人男子学生が座りました。その日車内はすいていて、二人がけに一人ずつが座った後、数人が立っている状態でした。
そこへ一人の女子学生が乗ってきて、後方の空席をサッと確かめた後、私の前の空いた席に何のためらいもなく座りました。男子学生の隣りだったので、友達同士かと思ったのですが、そうではなかったようです。大学までの10分間、二人の間に会話はなく、女子学生も、隣の席の男子学生に格別注意を払うでもなく、そのまま降りて行きましたから・・・。
たったそれだけのことですが、私の目にはなぜか新鮮で、気持ちよい光景として映りました。
何が言いたいのかと言うと、男子学生の隣りに女子学生がサッと座ったことが珍しく、そして頼もしい感じがしたのです。それまで、男子学生達が、隣り合ったシートになかなか座らないのを、不思議でもあり、ナーバスで過剰な振る舞いのように思っていたものですから・・・。
もちろん、女子学生の行動は、ごく自然で当たり前のことなんですけど、ふだんそういう光景を目にしていなかったので、さわやかで溌剌とした印象を受けました。バスを降りる彼女の背中を見送りつつ、「どんな人かなあ?話してみたいなあ。」と、一瞬興味を持ったくらいです。
一方で、多くの学生達はものすごく人間(友人)関係に気を遣っているんだなあと、気の毒な気さえします。これは、うちの大学だけのことなのでしょうか。むしろこの大学に限らず、大なり小なり、若い人達の中に人間関係に過剰に反応してしまう傾向があるということではないかとみているのですが…。彼らは窮屈な思いをしているように見えます。
「みんな、もっと気楽にしていていいんだよ!そんなに壁を作らないで、もっと人を信頼しあおうよ。」と言ってあげたい気がします。本当は彼らだって、そう願っているに違いないし、そうなれるように後押ししたり、援助するのが私の仕事ですし、・・・・何とか力になりたいものです。
こんな送迎バスでの往復ですが、私にとっては、いささかありがたいこともあるんですよ。・・・それは、どんなに混んだバスでもたいていは座れる=二人がけのシートは空いていることが多いのですからね。「失礼!」とかき分けていき、二人がけの空いた席に座ることができます。果たして、喜んでいいのでしょうか?(^^;;;