カテゴリー 『 雑感 』
もういくつねると…年末雑感
もうあと一週間で、2008年も終わりなのですね。
すっかり日記のほうもご無沙汰してしまいました。
一昨日大学が冬休みに入り、気がゆるんだせいか、ドッと脱力感が押し寄せてきました。今年前半も早かったけれど、秋から以降も、あっという間に12月になっってしまった気がします。
この間、カウンセリングルームや大学の相談室では、個々の内面の問題だけでは処理しきれない、揺れ動く時代の様相を反映したいろいろな展開が次々にあって、まさに時代は大きな転換期に来ていることを肌で感じる日々だったような気がします。
私自身が自分の心のあり方や健康の維持も含めて、より柔軟に、よりしっかり研鑽を積んでいく必要があるのだろうと思います。
さまざまなことに偏見を持たず、素直に真摯に学ぶこと、子どものように無心に遊ぶこと、楽しむこと、そして静かに自分に向き合う時間も……。
こうしたことのバランスが、きっと自分を健康に維持するためにとても大事なことなのでしょうね。
と、殊勝な心がけとは裏腹に、現実は自分の期待を裏切って、ホントすぐ怠けるのでね…。そう、せめて大掃除くらいは怠けずに(形だけでも!)やらなくては、と心に決めつつ、「まだ来週もあるし~」と先送りにしている今日この頃です。
メリークリスマス!
化粧とカップラーメン…香りの誘惑
前回「ビパサナ」という瞑想について書きました。ブッダが考案した呼吸に注目する、とても簡単な瞑想法です。
目を閉じて、吐く息・吸う息に注目すればよいので、どこでもできます。
で、ある時、電車に乗っているときに試みることにしました。その日の車内はほぼ座席が埋まるくらいの混み具合で、混雑していると言うほどでもありません。当然、乗客の話し声もしますし、電車の機械音や外の音も耳に入ってきます。
でも、それらの音は車内全体の音として聞こえてはいても、目をつむって呼吸に注目すれば、そんなに意識の妨げにはならないように思いました。
私は座席に座って、電車の揺れと、適度な騒音に身を任せながら目を閉じました。
そして呼吸に注目します。
呼吸が、ゆっくりと気持ちを落ち着かせるリズムのように感じられ始めたちょうどその時、ツーンと鼻腔を刺激する匂いが漂ってきました。
きつい香水のような匂いです。
目を開けると、隣りに座った若い女性が化粧道具を取り出しています。そして、今まさに目のお化粧に取りかかろうとしているところでした。
この時わかったこと。
騒音は意識から遮断することはできても、匂いは無理だということです。化粧品の強い香りは気持ちを集中しようとしても、何の遠慮もなくこちらの意識を刺激してきます。
匂い・香り、これらは音よりももっとダイレクトに感知されてしまうのだと気づきました。それだけに、うまく使えば効果的だけれど、逆にマイナスに働くと、ある意味暴力的なくらいに相手に不快感を与える場合もあるかもしれないなあと…。
そういえば、帰宅途中の中学生(高校?)男子の一団が、車内でスナックやハンバーガーを食べる場面に出会うこともあるのですが、その時の匂いもけっこう強烈です。この間などカップラーメンです!
電車内がラーメンの匂いで一杯。
育ち盛り、伸び盛りだからお腹のすくのは分かるんですけど…。
こんなふうに、車内が化粧室や食堂になるのはどうなのでしょう?公共の乗り物でのマナーという意味で。
そんな疑問を持ちながら、注意するべきか否かで迷ったり、悩んだりするそんな自分にも歯がゆい。
ヘッドフォンの音漏れなら、指摘して音量を下げてもらうけれど、こういう場合はどうなのだ?アサーション・トレーニングだったらどうなるか?………などなど。
悩みます!
ビパサナどころではなくなってしまったのでした。
彼岸花の群落
夏の間開け放っていた窓を、しっかり閉めてもまだ寒いこの頃です。虫の音も弱々しく、震えるように聞こえてきます。
一昨日は大学へ通うバスの窓から、彼岸花の群落を見ました。田んぼや畑の広がる真ん中を、一筋、川が流れています。その緑の土手に、真っ赤な彼岸花の群れがあっちにもこっちにも。あんなにたくさんの彼岸花は見たことがありませんでした。なかなか壮観な眺めでした。
このところ、11月の催しの内容についてなど、いろいろ検討しています。久しぶりの「セレニティ瞑想会」の内容や、「アサーション・トレーニング」のご案内についても。
良い内容をお届けできるようがんばります!
34度は暑くない?
暑中お見舞い申し上げます。
暑さにちなんで思い出すエピソードがあります。
昔(といっても20年くらい前でしょうか?)、
真夏の午後に・・・、住宅密集地の二階の部屋(エアコンの廃熱と、西陽が射しこむ暑い部屋)で・・・、アイロン掛けをしていた時のことです。
(↑この状況を想像しただけでも、汗がにじんできそうではありませんか?)
あまり汗カキでない私ですが、その時はさすがに汗だくで、ほんとうに頭がボーッとして、目が回りそうでした。ふと、温度計を見ると、34度だったのを覚えています。
その時の暑さと、温度の記憶から、私の中では34度は「暑い!」というイメージが、長年定着していたのです。
ところが、最近のお天気ときたら、38とか39という数字が珍しくなくなってしまいました。時には、気温40度などということもあります!(あの温度計は壊れていたのだろうか?)
かつては想像もつかない数字だったのが、今や、珍しくもない数字になってしまったと思うと、気温の上昇を実感できるし、それに順応していく人間はスゴイ!と思うのですが、喜んでばかりもいられません。
東北でミカンが収穫できたり、熱帯の病気が日本で発生したり、生態系のバランスがメチャクチャになってきている証拠もチラホラ見聞きするようになりました。
それに、真夏ばかりが長くなって、初夏や晩夏といった季節の趣が減っていくのは、やっぱりちょっと淋しい気がしてなりません。
「個人で出来ることは、まず省エネかな。まずエネルギーを効率よく使うことが必要ね。」
なんて考えていたら、「自分の頭も体力も効率よく使う。これも省エネよね」と、耳元でささやかれている気がしてきて…。
確かに、サッサと文章を書いてパソコンを閉じれば、省エネです!
・・・・・と、
暑さのせい(?)で何が言いたいのかわからない文章になりました。
ともかく、皆さま、お元気で!
役に立つとは
先日、新聞の投書欄に次のような記事が載っていました。
80代のお年寄りの元へ、市役所の高齢福祉課から「生活機能評価」という調査票が届いたそうです。その中に「あなたは、世の中の役に立っていると思いますか」という項目があったそうです。
この方は、体調が悪く、地域の役員も断ってしまっているし、特にボランティアもしていないので、「役に立っていない」に印を付けて提出したそうです。以来、「役に立つとはどういうことか」ということを考え続けていると…。
それにしても、すごい質問があるものだと絶句しました。もし私がこの質問をされたなら、なんて応えたらよいのでしょう。
「私は役に立っているかしら?」もし、役に立っていないと思ったら、そんな自分に対して、何をどうすればよいのでしょう。
「もっとしっかり世の中のためになることをしなさい」という意味なのでしょうか?それは、お年寄りに向けて、「もっと働け」という意味なのでしょうか?高齢で、身体の具合が悪くても、まだ働けと?
この投書の主も書かれています。
役に立つとはそもそもどういうことをいうのでしょう。
人の価値には、何かが出来るとかではなく、その人の存在そのものが価値であることだっていっぱいあります。むしろ、人間の価値というか存在意義とは、本来そういうものではないのでしょうか。
役に立つとか立たないとか、また、役に立つとはどういうことか、この質問の意味は、今でも私にはよくわかりません。
赤ちゃんの笑顔は役に立ちませんか?
病気でも、
歳をとっても、
働けなくても、
たとえ寝たきりだったとしも、
その人がいることで周囲が支えられ、生きる意欲をもらえることはありませんか?
質問を作った人に訊いてみたくなりました。