カテゴリー 『 雑感 』
紙芝居屋さんに後継者
東京下町で紙芝居屋のおじいさんが高齢のため引退し、若者が後を継ぐことになったという新聞記事を読みました。
若者は紙芝居に魅せられておじいさんに弟子入りし、今日まで紙芝居屋修行に励んできたそうです。
「これからも子ども達に夢を届けていきたいです」と後を継ぐことになったお兄さん。路地裏の一角には、紙芝居に集中する子ども達の後ろ姿に混じって、子どもを抱っこしたお母さんやお父さんの姿も見えます。子ども達の歓声まで聞こえて来そうな写真です。。。。。
後継者ができて良かった!これからもずっと続いていってほしいなあと思います。
今では紙芝居を知らない子もいるかもしれませんが、私が子どもの頃はホントに身近な存在でした。
紙芝居屋のオジサンが道ばたに自転車を止めて、駄菓子などを売りながら子ども達を呼び集めます。ある程度人数が集まったら、「さあ始まり、始まり~」と、紙芝居の世界が展開されていきます。
紙芝居の面白さは、なんといってもあの紙を引き抜く瞬間ではないでしょうか。「さあ、次はどうなるの?」と、ハラハラ、ドキドキしながら、オジサンが紙を引き抜く手元に、子ども達の目が集中します。
わずか10分足らずの「子ども劇場」でしたが、終わるとそれなりの余韻と満足感があって、小規模ながらやっぱり「一種の観劇」だったのだなあ、と今になって気づきます。
友だち同士オシャベリしたり、駄菓子を食べたりしながら、肩寄せ合って、肉声での語りに引き込まれていたあの頃。のどかな時代の産物で、このスピードのご時世にはそぐわないのかもしれません。
しかしだとしても、いつまでもすたれないでいてほしいと思います。
実は、孫がもう少し大きくなったら、紙芝居を見せてやりたいなあと思っているんです。………な~んて言いながら、孫をダシに私が楽しもうというコンタンなんですけどね。
派遣村のニュースに光…新年のご挨拶
あけましておめでとうございます!
晴れた元日になりました。
新しい年の青空です。
自然界は変わりなく、昨日の続きの青空ですが…。
それでも、人間にはやっぱり区切りがあるほうがいいですね。延々と毎日が続いていたら、どこかで息切れがしているに違いないと、自分の日常を振り返っても思います。
何はともあれ、気持ちも新たに、この一年をスタートしたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
大晦日のニュースで、派遣切りされた人達へ、ボランティア団体が炊き出し支援した様子を伝えていました。
温かい食事を振る舞われた男性の一人が、目を潤ませて「本当にありがたいです。自分がここから立ち上がれたら、何かの形で必ずこのお礼をしたいと思います。来年もこれをやっていたら、自分もここに来てボランティアで手伝いたいと思っています」と、湯気の立ち上るドンブリを片手に語っていました。
人の輪(和)のありがたさを、一緒になって感じてしまいました。
どうかこの一年が良い年になりますように………。
もういくつねると…年末雑感
もうあと一週間で、2008年も終わりなのですね。
すっかり日記のほうもご無沙汰してしまいました。
一昨日大学が冬休みに入り、気がゆるんだせいか、ドッと脱力感が押し寄せてきました。今年前半も早かったけれど、秋から以降も、あっという間に12月になっってしまった気がします。
この間、カウンセリングルームや大学の相談室では、個々の内面の問題だけでは処理しきれない、揺れ動く時代の様相を反映したいろいろな展開が次々にあって、まさに時代は大きな転換期に来ていることを肌で感じる日々だったような気がします。
私自身が自分の心のあり方や健康の維持も含めて、より柔軟に、よりしっかり研鑽を積んでいく必要があるのだろうと思います。
さまざまなことに偏見を持たず、素直に真摯に学ぶこと、子どものように無心に遊ぶこと、楽しむこと、そして静かに自分に向き合う時間も……。
こうしたことのバランスが、きっと自分を健康に維持するためにとても大事なことなのでしょうね。
と、殊勝な心がけとは裏腹に、現実は自分の期待を裏切って、ホントすぐ怠けるのでね…。そう、せめて大掃除くらいは怠けずに(形だけでも!)やらなくては、と心に決めつつ、「まだ来週もあるし~」と先送りにしている今日この頃です。
メリークリスマス!
化粧とカップラーメン…香りの誘惑
前回「ビパサナ」という瞑想について書きました。ブッダが考案した呼吸に注目する、とても簡単な瞑想法です。
目を閉じて、吐く息・吸う息に注目すればよいので、どこでもできます。
で、ある時、電車に乗っているときに試みることにしました。その日の車内はほぼ座席が埋まるくらいの混み具合で、混雑していると言うほどでもありません。当然、乗客の話し声もしますし、電車の機械音や外の音も耳に入ってきます。
でも、それらの音は車内全体の音として聞こえてはいても、目をつむって呼吸に注目すれば、そんなに意識の妨げにはならないように思いました。
私は座席に座って、電車の揺れと、適度な騒音に身を任せながら目を閉じました。
そして呼吸に注目します。
呼吸が、ゆっくりと気持ちを落ち着かせるリズムのように感じられ始めたちょうどその時、ツーンと鼻腔を刺激する匂いが漂ってきました。
きつい香水のような匂いです。
目を開けると、隣りに座った若い女性が化粧道具を取り出しています。そして、今まさに目のお化粧に取りかかろうとしているところでした。
この時わかったこと。
騒音は意識から遮断することはできても、匂いは無理だということです。化粧品の強い香りは気持ちを集中しようとしても、何の遠慮もなくこちらの意識を刺激してきます。
匂い・香り、これらは音よりももっとダイレクトに感知されてしまうのだと気づきました。それだけに、うまく使えば効果的だけれど、逆にマイナスに働くと、ある意味暴力的なくらいに相手に不快感を与える場合もあるかもしれないなあと…。
そういえば、帰宅途中の中学生(高校?)男子の一団が、車内でスナックやハンバーガーを食べる場面に出会うこともあるのですが、その時の匂いもけっこう強烈です。この間などカップラーメンです!
電車内がラーメンの匂いで一杯。
育ち盛り、伸び盛りだからお腹のすくのは分かるんですけど…。
こんなふうに、車内が化粧室や食堂になるのはどうなのでしょう?公共の乗り物でのマナーという意味で。
そんな疑問を持ちながら、注意するべきか否かで迷ったり、悩んだりするそんな自分にも歯がゆい。
ヘッドフォンの音漏れなら、指摘して音量を下げてもらうけれど、こういう場合はどうなのだ?アサーション・トレーニングだったらどうなるか?………などなど。
悩みます!
ビパサナどころではなくなってしまったのでした。
彼岸花の群落
夏の間開け放っていた窓を、しっかり閉めてもまだ寒いこの頃です。虫の音も弱々しく、震えるように聞こえてきます。
一昨日は大学へ通うバスの窓から、彼岸花の群落を見ました。田んぼや畑の広がる真ん中を、一筋、川が流れています。その緑の土手に、真っ赤な彼岸花の群れがあっちにもこっちにも。あんなにたくさんの彼岸花は見たことがありませんでした。なかなか壮観な眺めでした。
このところ、11月の催しの内容についてなど、いろいろ検討しています。久しぶりの「セレニティ瞑想会」の内容や、「アサーション・トレーニング」のご案内についても。
良い内容をお届けできるようがんばります!