カテゴリー 『 教育 』
分かち合い
すっかり更新が滞ってしまい、失礼しました。
書きかけのエントリーが幾つかあったのですが、時間が経つとなぜかそれを手直ししてアップしようという気にはならなくなっています。また新たな気分で書きたいと思ってしまうので…。
と言うわけで、書きためておいてそれを順番にアップさせるというわけにもいかず、書きたいときに書くという気まぐれスタイルなので、更新の間が開くことになったりしますが、どうかご容赦くださいませ。
そして、あきらめずに(^^;ときどき覗いてみてくださいね。
。。。。。
先日の手塩研で、参加された先生のお一人が「『分かち合い』を授業で使っています」と言ってくださり、とても嬉しく思いました。
セレニティのセミナーでは「分かち合い」という方法で自分の思いや気持を語ることがあります。セミナーの始まりと終わりに「分かち合い」を入れると、場が共感的になって、一人ひとりが穏やかなエネルギーになることができます。
教室で先生が子ども達一人ひとりの声にゆっくり耳を傾けることができない場合でも、グループの友達同士で「分かち合い」をやると、クラスを良い雰囲気で授業に持って行くことができるのだそうです。
「分かち合い」をやると、一人ひとりの気持ちがみんなに受けとめられて、ありのままの自分でいて良いのだと安心でき、個人個人が大事にされるからなのだろうと思います。
分かち合いでやることといえば、ただ自分のことを「私メッセージ(わたしは・・・です)」で語る、それだけです。聴く方は、途中でも終わってからでも口を挟まない、ただ聴くだけです。一人ひとり順番に語っていき、他の人はただ聴くだけです。
「なあんだ、そんなことか」と思われるかもしれませんが、<聴く効果><語る効果>は絶大ですよ。
殊に、「ただ聴く」という行為がこれほど意味のあることなのか!
と驚きます。
同時に、こんなに難しいものなのか!とも。
なぜかというと、ついひとこと質問や感想を言いたくなってしまうのが私たちの日常会話ですから…。黙って聞くのはとても難しいのです。
口を挟まずに、最後まで聞いてもらえる。…とにかく、この体験は貴重です。
コミュニケーションの基本なのだろうなあと、今ではつくづく思います。←このことに、母親になりたての頃に気づいていれば、もっとよく子どもの話が聴けたのに、とも。←深く反省 (- -)
ということで、この教訓(?)を、おばあちゃん世代として次の世代に生かせたらなあと、若いパパママと赤ちゃんを目にするたび、思っているこの頃です。
教頭先生もたいへんだ
ここ何年か、東京都の先生方から、現場の大変さを訴える声が数多く聞こえてきます。
「キャピタルプランと言って10年後の計画について文書を出せと言われる。明日の授業の準備をしたいのに。」
「人事考課制度ができてから息苦しくなった」
「授業の合間や放課後など、休み時間も細切れに管理される」・・・・。
また昨年だったか、ある地方の教頭先生のご家族から、仕事のストレスから体調を崩し、学校に行くのもままならない状態だとのご相談も受けました。
最近の文科省の調査では、教頭先生になったものの、仕事の重圧からと思われる、一般教員に降りる先生が増えているそうです。わかる気がします。
校長先生に代わって学校内部のとりまとめや親への対応に追われ、多忙で子ども達との接触もほとんどなくなってしまう。そんな状況では、心身の疲労と同時に、教育に情熱が持てなくなってしまってもおかしくありません。
調査によると2001年度は26人、05年度は71人で3倍近くに増え、そのうち69人は教頭になったばかりの方たちだそうです。
この状況に対してこんな意見もあります。
降格願いは管理職としての能力不足とみなし、人材を育ててこなかった現場の責任だと指摘する声です。そして管理能力のある人材が育つまで、つなぎとして企業から人材を募って全国に配置すればいいというのです。
学校経営を企業原理にゆだねるということなのですが…。本当にそれで良いのでしょうか?
学校と一般企業は同じなのでしょうか?
目標も、計る物差しも違うように思うのですが…。
学校は非効率でも良いというのではありませんが、何をもって効率的とするかであり、非効率のものは全部捨て去って良いのかという疑問もあります。
とても難しい問題です。本来、個別の(差異のある)人間に対して、何を教育の成果とするかなど、基本的なことを抜きにして経営面だけを論じるのは危険です。
もう一つは、ストレス増加の原因が単に経営能力の不足からくるのではなく、親や地域社会の多様なニーズ、文科省・教育委員会からの圧力、といった社会状況の変化による面も大きいと思います。
実際、今回の調査で降格希望者の多かったのは東京都がトップ。管理の強まる教育行政のあり方の問題とも無縁ではないように思うのです。
いずれにしても、先生たちがもっとラクにならないと、結局は子ども達が苦しい思いをするんですよねえ。
あ、もちろんお母さん、お父さんもですけど。
そうした子ども達が大きくなって大学に進学し、社会に出る直前で逡巡している。私の出会う学生達もまさにそのまっただ中にいるのだなあと思うこの頃です。だから、がんばらなくっちゃ。(がんばりすぎないように、ね)!
差別についての「カナダの実験授業」
カナダの小学校でおこなわれた実験授業のドキュメンタリーを見ました。
「特別授業 差別を知る~カナダ ある小学校の試み~」
子ども達に「差別」について考えさせる授業でした。先生はクラスの子ども達を、差別する側、される側に分けます。翌日にはお互いの立場を入れ替えて、差別を体験させます。
意欲的な「実験(授業)」でしたが、授業としてはあまり賛成できる内容とは思えず、後味の悪さが残りました。
子ども達の仲が良く、先生と子ども達との信頼関係ができていたので、それが救いでしたが、だからこそよけい子ども達は傷ついただろうとも思いました。いずれにしても差別は胸が痛みます。
でも、いろいろ考えさせられる内容で、その意味ではドキュメンタリー映画としては秀作なのかな?(だから受賞したのでしょうが)
とても印象に残っている場面があります。
先生は、背の高さで二組に分け、高い方のグループには赤いベストを着用させます。
この時点で、すでに子ども達はとまどいの表情。背の高い子ども達のグループの表情は暗く、不安そう。
やがて先生が黒板の問題をやらせます。背の高い子がまちがうと、すかさず先生が、
「ヤッパリ背が高いからなのね。〇〇〇はまちがえたわ。誰か直せる人は?」
すると、背の低いグループの△△△くんが得意げに正解を言う。先生は、
「ヤッパリ背の低いグループね。正解だわ」
と言う調子。
(ナレーション)
—-いつもは間違えたことのない○○○。今日はどうしたことか自信を持って答えることができません。—-
カメラは黒板の前でしょんぼりする○○○くんを映す。
○○○君だけではなく、背の高いグループの子は、いつもできていたことができなくなったり、自信なさそうな雰囲気になったりしたのです。
差別されたことで、いつもは解けるはずの問題が解けなくなってしまったり、振る舞いにも自信がなくなった子ども達の反応に驚きました。
差別するということは、それだけで相手に自信を失わせる行為なのです。
差別される側は、自分自身差別される前と何も変わりがないにもかかわらず、差別されたとたんに自信がなくなり、表情も変わり、態度もおどおどしてミスをおかしてしまう。
差別する=さげすむ行為が、どんなに人を傷つけ、人の行動まで束縛するものであるか、あまりに鮮やかに現れていて驚きました。
差別が許されないのは、心を傷つけるからだけではないのです。
子どもだったら、勉強の理解度や進み具合、運動能力など、成績や生活全般にわたって大きく影響するものなのだと感じました。
同様に、世界中のさまざまな差別も、差別される側の多くのパワーを奪ってきたということですね。
子ども・女性・障碍者・黒人・性的少数者・老人などなど、本来の力を発揮できないでいる人達が劣っていると見なされてきたのは、自信を失わせる位置に置かれ、力が発揮できなかったからであって、本当のところは対等でなければ比べようがありません。
授業で問題が解けずにおどおどしている子どもがいたら、まず伸び伸び解けるように安心させてあげること、そうしてから教えたほうがきっと、うまくいくだろうと思いました。
ウン十年前、黒板の前で問題が解けずに固まってしまった私自身を、チラッと思い出したそんな映画でした。
(昨夜、書きかけで保存したものがアップされてしまっていたようで、7日夜までわけのわからない文章がアップされていました。失礼しました。)
ごんぎつね 続きの続き
友人が「ごんぎつね」について、「うちにある絵本(偕成社)では『うなずきました』と」なっていたとコメントをくれました。
そこで、新美南吉の最初の草稿と、「赤い鳥」掲載の鈴木三重吉が手を入れた版との違いを、どこがどんな風に違うのを幾つか抜き出してみることにします。(原文の仮名遣いのまま)
ちなみに、現在出版されている絵本も教科書も「赤い鳥」掲載版がもとになっています。
●「赤い鳥」版
○南吉の最初の草稿
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<盗んだウナギが首に巻きついたまま逃げ出したごんが、[追って]を振りきって、ホッとしてウナギを首からはずす場面。>
●「ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはづして穴のそとの、草の上にのせておきました。」
○「権狐は、ほっとして鰻を首から離して、洞の入り口の、いささぎの葉の上にのせて置いて洞の中にはいりました。」
<自分のせいで鰯屋にひどい目に会わされた兵十に、そっと栗の実を届ける場面>
●「つぎの日も、そのつぎの日もごんは、栗をひろっては、兵十の家へ持って来てやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二三ぼんもっていきました。」
○「次の日も次の日も、ずーっと権狐は、栗の実を拾って来ては、兵十が知らんでるひまに、兵十の家に置いて来ました。栗ばかりではなく、きの子や、薪を持って行ってやる事もありました。そして権狐は、もう悪戯をしなくなりました。」
<ごんが兵十に撃たれた場面>
●「『ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。』」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまゝ、うなづきました。
兵十は、火縄銃をばたりと、とり落としました。」
○「『権、お前だったのか…、いつも栗をくれたのはー。』
権狐は、ぐったりなったまゝ、うれしくなりました
兵十は、火縄銃をばったり落としました。」
———–
「きのこ」が「まつたけ」に!
これらはほんの一例です。
それぞれたいした違いではないと言えば、言えなくもありませんけど…。やっぱり違うと、私には思えてしまうのです。
ごんの性格描写、なんのために栗の実を届けたのかなど、教科書の場合は、そこから何を読み取るかを子ども達に問うわけですから、教材としての「ごんぎつね」に、ついこだわってしまったというわけです。
南吉の最初の草稿はこちらに掲載されています。
【「ごんぎつね」をめぐる謎
~子ども・文学・教科書~ 】
府川源一郎著 教育出版(2000/5)
ごんぎつね 続き
前回、ごんぎつねについて書きましたが、訂正があります。
訂正箇所↓
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鈴木三重吉と言えば、日本で最初の児童文芸誌「赤い鳥」の主宰者です。当時新美南吉は18歳の新人ですから、手を入れられても異を唱えることはできなかったでしょうね。
私は別に南吉ファンでもなんでもありません。でも、今回原文と教科書の文と両方を比べてみると、新美南吉が生きていたら、不本意なんじゃないかなあと同情したくなりました。
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調べてみてわかったことは、三重吉の手の入った「ごんぎつね」については、南吉自身が了承していたらしいので、教科書の「ごんぎつね」についてもその線で考えた方が良いと思いました。推測で書いてしまったので訂正します。失礼しました。
ということで、南吉が書いた最初の草稿「権狐」と、三重吉の手の入った「ごんぎつね」の二つは、別の作品と捉えた方が良さそうです。
前者が昔話に近いとすれば、後者は言葉や体裁の整理され洗練された近代小説に近いといった感じでしょうか。二つは味わいがかなり違います。別物と考えれば、どちらが良いかというよりも好みの問題になりますね、きっと。
ごんぎつねが繰り返し教科書に取り上げられ、教材として成長していること自体はすごいことだと思います。でも同時に、そこに盛られた日本人の精神風土(たとえば死の美学のような)にも自覚的でいたいと思うのです。
その点で、私の感じた違和感とは、教科書に掲載されている「教材」だからこそなのだとわかりました。絵本や読み物としてみれば、ごんぎつねはとても魅力的なお話だと思います。
教材は子どものものの見方・考え方を養います。感性を育てると同時に、自分を見つめ、社会との関わりを探る力を育てるのも言葉の力です。
いじめや学級崩壊も、そうした言葉の力と関係している気がして、もっともっと子ども達にダイナミックな国語教育をと思うのです。