カテゴリー 『 環境・エコロジー 』
部屋の中までキンモクセイの香り
久しぶりに部屋の片付けをしていたら、
「あれ?この香りは・・・・」
「なんか懐かしい香り、なんだったかな~これ」
「そうだ、キンモクセイ!」
窓を開けて周囲を見回してみても、それらしき木は見えません。そんな見えない遠くから、どこかから風に乗って部屋の中までやってきた香り。
この日から、駅までの道でも、スーパーの入り口でも、電車を待つホームでも、キンモクセイの香りが優しくかぐわしく、季節の変化を楽しませてくれました。
ほんの数日のできごとで、あっという間に過ぎてしまったけれど、毎年間違いなく訪れて私を束の間楽しませてくれる季節の贈り物です。
今年は暑い日が長く続いたので、例年より数週間遅い開花だったようです。写真は2017年9月25日の大学のキャンパスで撮影。今年は今週ようやく開花していました。銀杏並木もやっと何本かが黄色味を帯びてきたところです。
以前は、秋になると一斉に銀杏並木が美しい黄葉を見せてくれたのですが、最近のように気温の高い日がぶり返したりすると、葉は黄色く変化しきれず、かといって落葉もせずに、薄茶色に乾燥した葉が枝に残ったまま冬を迎えることが珍しくなくなりました。あの壮観な黄色の銀杏並木を毎年楽しみにしているのですが、去年も目にすることはできませんでした。今年はどうでしょう?
こういう変化も気候変動の身近な証と言えるかもしれませんね。日本に四季があることは当たり前だと思っていましたが、決してそうではないこと。私たちは、ほんの一瞬、たまたま地球の安定期に、たまたま穏やかな気候風土の土地を借りて暮らしているに過ぎないことをもっと意識した方が良さそうです。
四季の変化は、地球に起きた偶然の産物みたいなものですね。自然界の変化は当たり前としても、人為的で過剰なエネルギー消費による加速度的変化はできる限り防ぎたいものです。グレタさん達若い世代の鋭敏な感性と勇気に敬意を払いつつ、おばあちゃん世代もできることをしなくてはと思います。
だって、私たちは子どもの頃から十二分に四季の変化を楽しませてもらってきたのですから、せめてもの恩返しに何かしなくては。無理せず、できることを!なんてことを思わせるくらいキンモクセイの香りは私にとってうれしい秋の贈り物なんです。
世界が一変した今、満開の桜に思うこと
かれこれ20年、ずっと続けてきた瞑想会。会場もほとんど毎回同じ場所を借りて開催してきました。その会場に向かう駅前にある八重桜。毎年美しい彩りで楽しませてくれます。
その桜が一年で一番美しいこの時季。
こんなに満開なのに、今年は瞑想会の参加者の皆さんに見てもらうことはできませんでした。
3月も、4月も、会場が一斉に閉館になってしまい、必然的に瞑想会はお休みに・・・。
コロナの影響はまだまだ先が見通せません。あと数年は覚悟しなくてはいけないみたいです。そんな中、世界中のあちこちで、人間が消えた街の中、川の中で、いろいろな生き物の活動が見られるようになったとか。鹿が街中を歩いていたり、クラゲが運河を優雅に泳いでいたり。人間がいると出て来られなかった生き物たちが、珍しい空間を探索しているかのごとくです。
先日、たまたまテレビをつけたら「マトリックス」を放映していました。あの有名なアクションシーン以外、私はストーリーもろくに知らなかったのですが、前半のある登場人物が言う台詞にこんなのがありました。
「この地球上の生物はみんな互いに均衡を保って生きている。人間だけが他の生物を浸食している。ただ、宇宙には人間以外にもう一つ浸食してくる生物がいる。ウィルスだ。」(だいたいこんな感じ。意訳)
なんとタイムリーな!それを狙っての放映かどうかわかりませんが、まさに今の状態がそれですね。たった数ヶ月前とは世界が一変してしまいました。
この感覚。東日本大震災の時に近いものがあります。地震、津波、それに続く原発事故。放射能汚染。あの時よりは、コトの脅威を多くの人が共有できているように感じています。ウィルスの脅威は放射能より視覚化されやすく、体感されやすいからなのでしょう。放射能の危険もまだまだ解決しないどころか、何世代にもわたる課題ですが・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
コロナの後の世界は今までと同じではないし、同じにもなれないと言われています。ではどんな世界になるのか、どんな世界にしたいのか。私たち一人ひとりが問われています。こんなに一気に、直球ど真ん中を突いてくる課題もそうそうありません。自分の生き方が、人との関わり方が問われている今。
と言いつつだらだらと過ごしている私。それでも頭の?心の?身体の?どこかでいつも何かを模索し続けているような不思議な感覚がずっとあります。
もうすぐ大学の授業も始まり、相談業務もオンラインと、電話対応という慣れない業務形態に高齢者(私)がついて行かれるのかと緊張と不安を抱えつつ過ごす日々。
ほんとうに、まとまりないおしゃべりになりました。
皆様、くれぐれも、本当にくれぐれもお身体に気をつけて、健康第一にお過ごし下さいませ。この危機をみんなでいたわり合い、助け合って乗り越えましょう。そのためにもまず自分自身を大切に、嬉しいこと、楽しいことを忘れずに!
瞑想と、「アサーション」もね~~^^)!
台風の一夜
皆さん、先日の大雨や台風、大丈夫でしたか?
埼玉でも大学近くの川が氾濫して浸水した地域もありました。統廃合で使われなくなった小学校の校庭に、被災ゴミが山と積まれていました。
我が家はトイレの水が逆流するのでは?とヒヤヒヤしながら過ごすという、70年弱の人生で初めての体験をしました。
初めて耳にした聞いたことのない音がまず怖かったです。建物(マンション)のどこかからゴボゴボ、ガガンというような音が突然聞こえてきて、時間をおいて再び鳴る。最初はどこからの音か出所がわからない。たどっていくと、どうやらトイレのあたり、、、。ドアを恐る恐る開けると、便器の水が引いたり戻したりプクプクしているではありませんか!
逆流したら大変だ~!大急ぎでネットで対策を調べ、水嚢を作って(大きなポリ袋に水をためる)トイレの排水溝に水嚢で蓋をする。キッチンや洗面所はどうなのか?と心配しつつも、ひとまずこれで様子を見ることにする。
この頃になると、緊急メールが度々入るようになり、川の上流では警戒警報やら避難指示が出され、緊迫感が否が応でも増幅されます(←情報の多いことがいいような悪いような)。眠れぬまま時間が過ぎていく。そのうち雨が少しずつ収まり、風も弱まったので台風の目かな?と思いつつ、それでもまだまだ警戒は解けない。
ネットの天気図や警戒情報を参照しながら過ごすうち、どうやら台風の圏外に出たとわかり、ようやくホッと一息つくことができた。ここまでの緊張感でドッと力が抜けた感じで、気づくと身体のあちこちがこわばっているのがわかりました。大きな被害がなくてこれですから、被災された方達はどんなにか心身ともに大きく傷つくことか。。。。
「百聞は一見に如かず」ではないですが、どんな小さなことでも実際に自分が体験してみると、目や耳から入る情報だけでは得られないものがあるな~と痛感しました。
10月に大型台風が次々に来る・・・気候変動の影響で、これからこういうことが増えていくのかもしれませんね。最近、国連でも喫緊の課題として取り上げられている気候変動は他人事ではない、まさにそんな体験でした。
ビッグバンから3分間
子どもたちの夏休みがあと数日で終わりという日の午後、上野の科学博物館へ行ってきました。
数年ぶりでした。前回も途中でくたびれて出てきてしまったのですが、今回も同じく、でした。
大体いつも、どこか一か所で興味を惹かれると、そこで長時間使ってしまうパターンなので、全部見学しようなどという大それたことは端からあきらめていましたけれど・・・。
ピークは過ぎたのでしょうが、それでもさすがに夏休みの終盤とあって結構な混みよう。メインの展示は入り口での待ち時間が長かったので、パスして、その他のメニューから興味のありそうなものを探して入りました(なんと65歳以上は無料ですと!うれしい)。
恐竜関連は今回はパスして(先日孫たちと別の場所で見たので、ちょっとお腹が一杯感あり)、地球誕生の360度CG展示にしました。
CG映像は竹中直人さんの解説で、地球の誕生から宇宙への誘い。
ビッグバンから地球の誕生、生物の進化へ。
そして、人類の誕生から科学の発達、現在のスマートフォンの誕生まで、文字とビジュアルで一望できるようになっています。
印象に残っているのは、「ビッグバンから3分間で、宇宙を構成しているあらゆる物質の元が作られた」という1節です。「あらゆる」ですよ。すべてはここから始まりあとから付け足されたものは一切ないということ。
なんというシンプルさ!圧倒されました。
いつも宇宙のことを思うと私たちが気づかされる「人間てなんて小さいのだろう」という思いは、この日も例外ではありませんでした。
でも、それをさらに上回る「3分間で宇宙に存在するすべての物質のもとができた」という衝撃と感動(ヘリウムとか水素とか出てきますが、苦手な化学記号も結構面白かったです)。
地球上の差別や争いって、なんなのだろう?
争っても、差別をしても、しょせん、皆3分間の申し子なのに・・・。なんて思ってしまいました。
星々にも誕生があり、死があり、太陽系そのものもやがては消滅する。生き物も生まれては消え、そして長い時間をかけて進化し、違う種類が誕生し、また消滅し・・・。人の一生はその流れのほんのほんの一部。そしてかつ立派な一部分。
地球から宇宙へという空間の広がりと、百数十億年前の彼方から未来へと続く時間的な広がり。展示のCG画面を眺めたり、解説文を読みながら、こんな思いにゆらゆらと揺られていました。
生まれては消えていく生き物の歴史に・・・、
その延長上にある人類の歴史に・・・、
そして今を生きる私たち現代の人々に、いとおしさをも、また感じながら・・・。
博物館、なかなか面白かったです。
沖縄(嘉陽)の浜辺
またもやすっかりご無沙汰してしまいました。
もうすぐ雛祭りですね~ ^ ^;
季節は梅から、桃へ。。。
まだまだ寒いけど、春を感じるときもありますね。
☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆
写真は11年前に訪れた沖縄の名護市嘉陽(かよう)の海岸です。
当時、まったく偶然にブログを通じて知り合った沖縄のお友達と、知り合ってから一週間後に沖縄で催されたライブにご一緒しました。おまけに彼女のご主人の車で沖縄本島北部まで案内してもらいつつドライブするという「おんぶに抱っこ」の旅程を過ごさせてもらったのでした。
Bさんとご主人様、その節は本当にどうもありがとう!
何しろ、ライブ会場の前でお互い顔も知らずに携帯番号を頼りに電話を掛け、行列の中から携帯電話を耳に当ててキョロキョロしている相手を見つけて、「あ、いたいた!!」と手を振り合ったのが初対面でした。でも、昔から知っていたかのように意気投合。
そして席に着くや否や、彼女が「明日夫の車で辺野古に行くんですけど、よかったらいかが?」と誘ってくれたのです。
「え?いいんですか?」と、一応は遠慮がちに言って見つつ、心はもうすっかりその気に。。。
そんなこんなで、辺野古の米軍基地反対の座り込みをしているおじぃやおばぁの所へ、彼女の持参した差し入れを持参して、その後大浦湾を回ってこの美しい海辺に連れて行ってもらったのです。
もちろん、もちろん、辺野古もこの海と同じように美しい海でした。あの海を実際目にすると、そこに基地を造ることなど、どんな理由を付けられても首を縦に振る人はいないでしょう。一人の生身の人間として考えた場合。
国家や政治やお金やら権力やらで、人間が自分の大事な感性に頼らないで決めたときに判断を誤るのでしょうね。
毎日、調査や工事のための重機やオモリで、珊瑚が潰されていくのが辛いです。
珊瑚の生きられる海でないと、ジュゴンのエサもなくなってしまいます。
一人ひとりにできることは小さくても、未来の世代にもやっぱりこの美しい海と、そこに生きる人々の生活を守りたいと、祈りつつできることをしたいです。
11年前の春、この海で2時間もなん~んにもしないで、ボンヤリ座っていました。時々近所の人が犬を連れてお散歩に来たり、親子連れが網打ち際で遊んだり。。。2時間もいて、私たち二人以外に、ほんの数人だけ。ご主人はお仕事で私たちだけ落っことしていってもらったのです(拾ってもらって帰りました。お世話になりっぱなしでした)。
おしゃべりしながら、石ころや砂でいたずら描きしたり、波の音とサヤサヤ草を渡る風の音だけが聞こえる、ただただ至福のひとときでしたよ。
そう、絶対この海は残さなくては!!!