セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 社会 』

「自力で生活できないとき」ある国際比較から

私はツイッターアカウントは持っているのですが、未だに使い方がわからず、ひたすらタイムラインに流れてくる情報を眺めるだけの現状です。ですが、あの情報量は半端ではないですね。気楽に書き込めるだけに内容によっては真偽のほどが疑わしいものもありますが、情報が向こうからやってくるといった感じです。

先日はこんな内容の記事がありました。

ある国際比較の調査によると、日本では「自力で生活できない人を政府が助けてあげる必要はない」と考える人が38パーセントで、これは調査した中で最も多かったそうです。個人主義の徹底していそうなアメリカでさえ、28パーセントだそうで、イギリス・フランス・ドイツ・中国・インド・ブラジルなどは8~10パーセントくらいとなっていて、大多数の人が政府が面倒を見るべきだと考えているというのです。

世界の中では、日本やアメリカの考えは特殊であり、中でも日本はその傾向が顕著です。地域社会が崩壊して助け合いの精神が薄れてしまったと言われて久しいですが、このように数字で表されると現実を突きつけられた感じがします。ましてや世界の中でも一番隣人に冷たい人たちとされるのはショックです。

私の幼少期、まだ高度経済成長期の初期には、助け合いの地域社会が存在した気がします。今から20年ほど前でも、まだ私の子育て期にはかろうじて地域社会が機能していたように思います。東京のほぼど真ん中といえる地域に住んでいましたが、近所の八百屋のおじさんが、道路を渡ろうとした息子と一緒に車が通りすぎるのを見守ってくれたり、親の留守中に鍵が無くて家に入れなかった子どもをお隣りさんが預かってくれたり・・・。それがいつの間にか、そうした地域で触れ合う機会そのものがどんどん減っていった気がします。

「政府が助ける必要はない」と思っているということは、自分も助けてもらえないとみているわけですから、とても高い緊張感の中で暮らしていることでもあります。一言で言えば、気持ちに余裕が持てないということです。人は助けたり助けられたりする存在なのだと思えたら、ずっと気持ちはラクになるはずなのですが・・・。

社会がこうであれば、その中で育っていく子ども達はどのような価値観を持って大きくなっていくのでしょうか。若者の思考や価値観とも関係しているように思います。

「私はここにいてもよい存在ですか?」
「何のために生きるのですか?」
「死んではだめですか?」
「長く生きたいとは思いません」
相談室やその他の場所で、若い人の口からこんな言葉を聞くときほど、悲しく、無力感にさいなまれることはありません。同時に、ここに至るまでにどれほど彼らが傷つき、存在を祝福されてこなかったかを知らされます。

それは接する周囲の大人が彼らに未熟な接し方しかできなかったとかいうことではなく、おそらく周囲の大人自身にも余裕がないほどの、社会全体がもたらした弊害なのだと思います。

カウンセリングの中では、「人を信じても大丈夫。人は信じられる存在なのだから」と心の中で叫びたいくらいの思いを抱えつつ、彼らが今日まで抱えてきた重荷をゆっくりと一緒に解きほぐしていく作業を続けるのみです。言葉で命が大事と言ってもそれは生きた言葉として染み通っていきません。自分の命を人から大事にされた体験があって初めて、他者の命を大事にできます。

助けたり助けられたりができる、大人も子どもも安心して暮らせる社会をとりもどしたいと思います。

上記の国際比較については、元情報を探したのですが、日本語で読める情報源は見つからず、こちらのサイトのPDF資料に掲載されているもよう。調査は2007年とあるので、その後の5年間で、特に311を経験した後、状況の変化があったかもしれません。改善されてきているとよいのですが・・・。

「What the World Thinks in 2007」The Pew Global Attitudes Project

晩夏のつれづれに

今日から9月。すっかりブログの更新がお留守になってしまって、失礼しました。連日の猛暑は、「これでもか、これでもか」と体力テストを強いられている感がありますが、どうにかこうにかやっています。
皆さんはお変わりありませんか?

天下国家の動きもここのところすごいですねえ。目まぐるしい速さでいろいろなことが展開し、十分に吟味したり、考えをまとめたりできないまま、日々の流れに乗せられていく感じです。昨年の3月11日から、ものごとの本質が露わになってきたように思います。

そして、こうした混沌とした時代であるからこそ、基本的なこともまた露わになってくるとも言えます。それは、どんなときも基本は一人ひとりの心の中から始まるということです。必要なのは、耳目を惹きつける大げさな言葉や、他者の声をかき消すような大声ではなく、真摯で誠実な言葉なのだと思います。それは、心の底からの、本質を捉えた静かな訴えの中にこそあると思っています。つまり、一見、非力に思われる私たち一人ひとりの心からの願いや希望がこの混沌とした世界を変えていく源泉になると信じています。

ときどき連絡をくれる福島の青年S君が、先日こんなことを言っていました。
「村興しをするに当たって、何から始めるか、何をめざすかを考えていくと、むしろ全体の大きな枠で考えるのではなくて、一人ひとりの個人がどんなことを考えているのか、何を大事にしているかを考えていくことになるんじゃないかと思っています。一人ひとりが大事にしているものを大事にできる共同体をつくること、そういうことなのかなあと」

一から始める復興は(というより失ったものの癒しと回復から始める、むしろマイナスからの復興かもしれないけれど)、立ち上がる一歩はそこ(=個人の声に真摯に耳を傾け、思いを共有するところ)からしか始まらないし、それこそが今現在待望されていることだと思います。
ことは福島だけに留まりません。日本全体、ひいては世界に共通する課題として、個人の願いと希望に光を当てていくところから始まっていくのではないかと思います。

話が大きくなってしまいましたが、混沌としているときこそシンプルに捉えることで本質が見えてくる気がします。一人ひとりの声を聞くことの最初の作業といったらなんでしょうか?それは自分自身の声を聞くことですね。自分に正直であること、自分の声に耳を傾けて言葉にすること。嫌なものはイヤとハッキリ言い、おかしいことにはおかしいと意思を表明し、嬉しいことや喜びを表現すること。そんな当たり前と思えることをコツコツと、できるところからやっていくことが、急がば回れの近道ではないかと、そんなことをS君との電話の後で思いました。

長々と述懐してしまってすみません。つい、気になってしまうんです、将来の日本のこととか(明日の自分のことも分からないのにね・・・苦笑)。年齢的なこともあるかもしれませんね。この歳になると、孫やその次の世代のこととか、気になるものなんですよ。ということで、独白的言及、お許しください!

残暑もきっとあと少し、ご自愛くださいませ。

いじめの問題

~緑のカーテンが着々と育っていますよ~
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心理臨床の現場にいると、大なり小なり幼少期から学童期に至る人間関係、中でも友人との関係が、その後の人間関係や社会との関わりにおいて、とても重要な要素を占めていると実感させられることが多くあります。とりわけいじめの問題は、思春期以後、傍目には特にこれといった支障がないように見受けられる場合でも、本人にとってかなり根深い課題となっている場合があるように思います。

「当時はそれほどとは思っていなかったけれど、今になって思い返すと憤りでいっぱいになる」とか、「いじめられた自分を認めてしまうとつぶれそうだったので、自分の状態を見て見ぬ振りしてやり過ごしていた」とか、「その場を切り抜けるのに精一杯で自分のダメージを思いやる余裕さえなかった」など、後になって振りかえったときに初めて、当時の傷の深さに気づくこともあります。すでに過去のことだと思っていたいじめが、カウンセリング中に、今日的な問題となって浮上してくることも珍しくありません。

人が存在する限りいじめがなくなることはないのかもしれません。でも、だとしても、いじめで受けた心の痛手が、成長のどこかで徐々に解消でき、癒されていくような緩やかなつながりと余裕のある社会になれば、いじめの被害者のみならず加害者も救われるのに、と思ってしまいます。実際、かつての被害者が加害者になることも多く、被害者・加害者の線引きは難しいものがあります。巷で起きる悲惨な事件を見聞きするにつけ、子ども時代のいじめが遠因になってはいなかっただろうかと、気になってしまうのは私の職業ゆえでしょうか?、

被災地の体験を聞く

先日、カウンセラーの研修会で、福島の被災地で地震直後に救護に当たられた看護師さんのお話を聞く機会がありました。石巻の公立病院に勤務中、地震が起き、物資も人手も不足する中でどうやって被災の日々を過ごしてこられたかを、写真を見ながらお話しくださいました。

同僚の看護師さんの一人は、夕方からの勤務に備え、病院に向かっている途中で車ごと流されて亡くなったそうです。講演者の看護師さんは責任ある立場の方らしく、論旨も明快で気丈な雰囲気の方でしたが、話の途中でときどき言葉に詰まり、涙をこらえながらお話ししてくださる姿にはこちらも胸が苦しくなるほどで、被災状況の深刻さと、その過酷な状況の中であらゆる努力をした現場の鬼気迫る様子が切迫感を持って伝わってきました。会場のあちこちでハンカチを取り出す姿も見られ、講演が終わってもシンとして皆言葉もないような状態でした。

一方、現在でもこんなことがあるのかと唖然としたのが、大量に送られてきた物資を開けてみたら、汚れた下着や破れた服など捨てるしかない物が大半で、人手が足りない中、3人の看護師が一日がかりで仕分けしてみれば、19箱のうち使える物は6箱しかなかったということもあったとか。

また、公立病院の医師や看護師は公僕なので、物資が送られてきても自分たちに分けてはいけないと言われ、着替えもなく、危険な瓦礫の中を歩くにもナースシューズ以外は履く靴もない状態だったそうです。やっと個人的なツテを頼って物資を送ってもらい、急場をしのぐような状況だったとか。孤立状態であることを知らせたいと、事務長が一日がかりで徒歩で救援要請に行ったところ、病院長の要請ではないから救助は出せないと言われたというに至ってはまさに絶句!

とにかくこんな調子で、モノも人手もない中で工夫に工夫を重ねてしのぎ、何とか患者さん達には少しでも良い状態をと努力されたご苦労は、想像を絶するものがあったと思います。

そうやって、せっかく出来た訪問ケア先とのつながりも、復旧に伴う配置替えで、また一からの出直しになってしまったということにも、現場の苦労が報われていかない辛さ、やりきれなさを感じました。ついつい講演が強い告発の口調になっていくのは正直こちらも聞いていて辛かったです。

でも、どこにもぶつけどころのない現場の生の声なのだと思うと、しっかり受けとめなければと気を引き締めました。ましてやカウンセリング学会の研修会なのだから、こういう場でこそ話をしてもらって、少しでもラクになって帰ってもらえたらいいなあと思いました。

こんなに苦労をしつつ、せっかくつながりができて元気になってきたお年寄りに、「来月からは来られません。担当者が変わりましたので」と伝えるのはどんなにか悔しかったことでしょう。

一方、辛いことの中にも、看護師仲間の連帯感の強さや、日本や海外の遠くから支えてくれる理解ある仕事関係の知人のありがたさなど、人の本当の姿がまざまざと見える体験だったと締めくくられました。福島では、震災はまだ今日ただいまの出来事であり、復興は始まったばかりであることを強く印象づけられた講演でした。

関東に住んでいると、震災はすでに過去のことのように思いがちですが、人間は忘れやすい動物だということを胸に刻まなければと改めて思いました。とても貴重な機会でした。辛い体験を語ってくださったことに感謝しました。

被災地の焚き火を囲む声

新聞にこんな記事が載っていました。今回の震災被害で復興の遅れているある地域の避難所で、記者が一泊を過ごした体験記事です。

場所は岩手県大槌町、人口一万五千人のうち今も五千人以上が避難生活を強いられています。小学校の避難所での状況は過酷です。6月に入っても冷え込むので、夜は7時ともなると布団に。眠れない人達が校庭の隅で焚き火を囲んで話し込むのだそうです。

記事にはドラム缶を切った中に赤々と炎が上がり、焚き火を囲んだ男性達が缶ビールを手に談笑している写真が。奥のテントにも数人の男女の姿が見えます。一見すると、楽しい集いの一場面のようにも見えるその語らいの中身は、悲痛な思いの吐露で、3ヶ月近い避難所生活の苦労がしのばれます。

朝は4時になると起き始め、6時には皆布団を片付け終わっているそうです。これを聞くだけても私などとても耐えられないだろうと思います。でも、そこで耐えられなければ生き延びられないのですから、これは辛いです。

「自分はいびきをかくから端っこで寝てる」という男性、奥さんを亡くした男性は、教室に行くと辛いからと、焚き火を囲む。

ウニ漁ができない男性は「今頃はウニ捕ってる時期だなあ」としんみり。

そこに10代のミクちゃんがやってきて、「仮設のトイレが真っ暗で恐い」。それで場が和んで、みんなに笑顔が広がる。ミクちゃんのおかげでみんなの気が紛れるんだそうです。こういうとき、若い人の明るい存在は貴重ですね。

「俺の部屋では受験生が勉強してる。ピリピリしてっから、戻れねえ」と語る人。ジャージー姿の男の子がうつむいて隅に座っている。「学校でいじめられてんだ」と一人がつぶやく。

「こんな思いすんなら、俺は次はもう、助かりてえとは思わねえ」という言葉に、数人が頷く。「皆、今疲れがピークじゃねえかな、もう3ヶ月だもんね」「大槌は町長が死んで復興計画も立っていない。・・・皆、先が見えなくて不安なんだ」午前0時を廻ったころ、焚き火を囲んだ人達もそろそろ引き上げ始める。

こんな風に記事は続き、次の一言で結ばれています。避難所を出るときに、記者が皆に言われた言葉。
「ここを忘れないで」

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避難所の様子など被災地の現状が、だんだんとマスコミに取り上げられることが少なくなってきていますが、決して過酷な状況が改善されてきたわけではありません。3月11日の衝撃を受けて私たち一人ひとりが感じたこと考えたことを思い続けること、忘れないでいることが、まず被災地以外の私たちにできる最初のことではないかと気づかされました。

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「眠れぬ夜 たき火囲む」2011年6月6日(月)東京新聞夕刊、加藤美喜記者の記事を基に書きました。