セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 言葉 』

ある日の電車で・・・

すっかりご無沙汰してしまいました。ほぼ2ヶ月も更新できていませんでした。すみません。

そんなこんなで、時はすでに梅雨の真っ最中。

キャンパスの緑も雨上がりのしっとりした空気に包まれて、朝は気温も高くなく、すがすがしささえ感じるこの頃です。

でも、明後日からは気温がグッと高くなるとか・・・。猛暑の夏の始まりでしょうか。

皆様、お互いに、水分・塩分補給しつつ夏を乗り切りましょうね~。

さて、先日、電車の中でこんな場面に遭遇しました。

夕方のラッシュまでにはまだ間のある時間帯。座席はすべて埋まり、半分ぐらいの乗客は立っていました。

私は、車両の端の3人掛けの座席の真ん中に座っていました。途中の駅で、私の斜め左前方に、初老の女性が乗って来て立ちました。荷物を床に置いて、吊革につかまり周囲を見回している様子から、空席を探している模様。

替わる?替わらない?一瞬迷いました。というのも、女性は年齢的には私より少し上くらい、同年齢くらいの私に席を譲られて不快に思われないかしら?失礼でないかな?などと迷っているうちに電車は動き出しました。

すると、車両の右方向からツカツカと靴音高く近づいてくる男性が・・。目の前に来たのは体格の良い外国人男性でした。

私の前で立ち止まると、身体をかがめて、私の左隣に座ってスマホを覗いていた若い男性(大学生?)に声を掛けました。立っている女性を指し示しながら、「席、替わってあげてください」と一言(日本語で)。

男性はすぐに立ち上がって私の目の前の吊革につかまると、今まで通りスマホを見始めました。外国人男性はそれを見届けると戻っていきました。立っていた女性は恐縮して「え?、いえいえ、いんですよ」

「まあ~、すみませんねえ。何だか悪くて・・・。」「ありがとうございます。すみませんね」

と何度も男性に頭を下げながら、戸惑いつつも座りました。

私「よかったですね。私もお声を掛けようかと思ったのですが、あまりお歳が変わらないのに失礼かと思ってしまって・・・(などと、言い訳^^;)」

女性「い~え、いいんですよ。私は譲ってくださったら有り難く座らせてもらうことにしているんですけどね」
「でも、すごいわね。わざわざ言ってくださるなんて。」

私「本当ですよね。目の前ならともかく、遠くから。なかなかできないですよね」

などと、二人で話していると・・・。

コツコツと靴音がして、先程の男性が再びやってきました。あまりに颯爽とした足音なので、一瞬何事かと構えてしまったのですが、私の目の前に立った若い男性の所まで来ると、耳元で話しかけました。それは大きな声ではないけれど、私にもハッキリ聞こえました。

「さっきはありがとう」・・・と。小さくニコッと笑顔を残して、落ち着いた足取りで戻っていきました。

すばらしい!かっこいい~!

無理に立たせてしまったかな?と気遣ってのフォロー。私としてはけっこう感動しました。

すばらしいですよね~と、周りを見たら、誰も何も気づかないのか、関心がないのか、顔を上げる人も振り返る人もなく・・・。この一連のできごとに何の反応もしていないように見えました。少なくとも外見からは・・・。

実際はどうかわかりません。何か思った人もいたかもしれないですし、席を譲ることをごく当たり前のことと受けとめていたからこそ、何の反応もなかったのかもしれません。それならむしろ嬉しいことではあります。

声を掛けられた男性も、すぐに立ち上がっていたし、男性から「ありがとう」と言われて軽くうなずいてはいたけれど、スマホから一瞬目を上げただけで、ほとんど反応無し。さりげないと言えばさりげない行為、照れくさいのかもしれません。

一方、私は、目の前で起こったことについて、誰かと何かおしゃべりしたい心境でした。

「席を譲る」という些細なことに、あれこれ思いを巡らすのもおかしいのかもしれませんが、私には今でも気になるエピソードです。同時に、思い出すたびにホンワカ温かい気持ちになります。

素直な気持ちで声を掛け、譲ったり譲られたりができる社会がいいですね。そしてできれば、小さな感動を、見知らぬ誰かと分かち合えるともっといいな~。

ほめられたときは控えめに拒否?

先頃、2012年のロンドンオリンピックに向けて、英国観光局が旅行者に接する際のマナーについて発表したそうです。ロシア、日本、カナダ、中国等々、各国の特徴に併せてどう接したらよいかが列挙されていました。おおむね当たっていそうな気がするものもあれば、ちょっと首をかしげたくなるものや、なるほどそうかもしれないなあと納得できるものなどなど、面白く読みました。いろいろあった中で、私の一番気になったのはこれです。

・中国人にほめられたときには、「ありがとう」と喜んではいけない。謙虚に、軽く否定するのがよい。(大体こんな感じの内容)

これは日本人に当てはまりそうな気がしますが、中国の人もそうなんでしょうか。中国と言っても広いし、民族によっても違うでしょうが・・・。以前、(名前から推測してたぶん)ウイグル自治区方面の出身と思われる若い女性とお話ししたことがありますが、とてもつつましやかで、彼女の語る家族や周囲の様子からも、謙虚な民族性を感じました。

それはさておき、ほめられたときに「ありがとう」ではなく、「いえ、そんなことありません」などと軽く拒否をするのは、私たち日本人に馴染みのやり方ですね。では、素直にありがとうと言ったときはどうなのか。ほめた人はどう感じるか、どんな印象を持つか、言った人は言ってみてどうだったか。そんなことをロールプレイで体験してみることを、毎月ワークショップでやっています。その結果、素直に「ありがとう」と言ってみると、ほめた方も嬉しいことが多いということが、実際にワークショップの感想で多く語られます。

アサーション・トレーニングはもともと欧米から入ってきたものなので、個人の自己表現を尊重するこのトレーニングでは、日本人からすると、こういう言い方はどう逆立ちしてもできないだろうと思うような表現の仕方に出会うこともたまにありますが、しかしその違いに気づくことで、逆に私たちのふだんの表現方法の特徴や問題となりそうな点を浮き彫りにしてくれることにもなります。

本家本元の英国が東洋人の表現方法に併せてくれたのでは、せっかく文化の違いに気づくチャンス、違いの面白さを味わう機会が失われてしまわないかしら、とちょっぴり気になります。「郷に入っては郷に従え」、事件やおおごとにならない範囲でなら、「意外!」「ビックリ!」といったお国柄による接客のズレも、また旅行の楽しさでもあるし・・・。客人をもてなす基本姿勢としては◎、と思いますけどね。

いずれにせよ、接待にあれこれ気をもむのは、個人も国も同じなのですね。

ジョニー・ウィアー選手と糸井重里さんの対談

今年2月、カナダで行われたバンクーバー冬季オリンピックで、とても魅了されたスケーターがいました。アメリカのジョニー・ウィアー選手です。特に、そのフリープログラムは感動的でした。技術と芸術性の高さを併せ持つ、魅力的な世界を創りだして見せてくれました。

そんなジョニーが糸井重里さんと対談をしました。二人の話の内容がステキです。二人を包むオフィスの雰囲気もいい感じ。詳細はこちらを→「ほぼ日刊イトイ新聞」
写真もいっぱいありますよ。+動画も。

(「ジョニー」って呼び捨てなのに、糸井さんには「さん」付け・・・。ジョニー、ごめん!)

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フィギュアスケートはぼくの表現であり、
芸術であり、絵であり、ファッションであり、
ぼくのすべて、ぼくの言葉なんです。
ぼくはそこで魂から伝えます。
氷から離れたとき、どちらかというと
ぼくは心(ハート)によって行動します。
ぼくにとって、魂と心は、違うものです。
魂は、生まれてからずっと自分の奥にあって、
死ぬとき最後にそれを感じるようなもの。
ハートは、「その人らしさ」をつくっている。
顔だったり、個性だったり、生きる力だったり。

(糸井)
「あのなかで、あなたを批判する、 こんな発言が出てきますよね。『彼は、私たちのコミュニティを代表していない』って。でも、誰もなにかのコミュニティを代表することなんて、ほんとはできない。それを誰よりも表現しているあなたが、みんなの前に立っている。それがぼくはすばらしいなと思ったんです」

ぼくが代表できるのは
「ジョニー・ウィアー」だけ。
誰かにについていくことには興味がなくて、
自分がついていきたいなと思うのは、
自分の魂とハートだけです。
ぼくにはそれで十分。
誰かに受け入れてほしいとも思わない。
I don’t represent any community because I represent Johnny Weir. I have no interest in following anyone. I follow myself. I follow my heart and soul, and that’s enough for me. I don’ feel I need to be accepted by anyone.

それぞれの人たちがいて、
それぞれのコミュニティがあるってことを
認め合って、尊重し合うような
世界になってほしいなと思います。
There are different communities and different people. I ask the world to accept and respect that.

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古い体質のスケート界やメディアから、差別的で容赦ない攻撃にさらされても、子ども達に「差別に負けず、個性を生かし、自分らしく生きよう」とのメッセージを、静かに、キッパリと送り続けるジョニーは、芯の強さと美しさを持っていると思う。今季も、一団と磨きのかかった素晴らしいパフォーマンスを期待したいなあと思います。

「批判なき真面目さは・・・」

写真は、先週末、カウンセリング学会に出席したときのものです。手前の橋の欄干には「ここからの眺めが、春日部で一番美しい風景・・・」との看板がかかっていました。

なるほど、橋から望む風景は、両岸の緑が川面に映り、青空の下を、川が緩やかに弧を描いて岸辺の草の陰に消えていく・・・。そんな心和む風景でした。

ところで、カウンセリング学会は、教育、心理、福祉、医療、子育て、行政、司法などなど、実にさまざまな分野の構成員からなるので、研修会や講演会のテーマも非常にバラエティに富んています。それらバラエティに富んだテーマの研修を受け、次々と講演を聞くにつれ、当然のことながら、人や社会のことについてさまざまな角度からいろいろなことを考えさせられます。

「幸せって何なのかなあ?」とか、「社会のあり方は?」とか、「自分自身の問題としてどうなんだろう?」というように、出てくる疑問や課題は尽きません。研修や講演会に参加して何かが解決したというよりも、課題や問いをもらって帰ってきたという方があっているかもしれません。

そんなモヤモヤした頭の中に、ふと手にした新聞記事の一行が目に飛び込んできました。

「批判なき真面目さは悪をなす」

評論家の吉武輝子さんが敗戦後の旧制女学校で、岡本先生という50代の女性教師から聞いた言葉だそうです。

ある時、先生は授業中にふと黙りこくり、ぽろぽろと涙を流し、そしてこう言われたそうです。
「皆さん、批判なき真面目さは悪をなすことを忘れないでください。私はどれだけ、生きたいと思う若い人を殺すことに手を貸したか分かりません」

しばらくして先生は、「人を教える資格がない」と言って、学校を去り、実家に戻る決心をしたそうです。先生は駅で見送る生徒達に、重ねて「批判なき真面目さは悪をなす。忘れないでね」と何度も繰り返したそうです。

吉武さんは言います。
「思えばこのころ、学校は先生と生徒が目線を平らにして向き合うことができる場所でした。これこそ本当の戦後民主主義教育です」

岡本先生のとった行動と言葉は、きっと生徒達の胸に深く刻まれたことと思います。教育に限らず、人と人とが平らな目線で向き合うことができたら、言葉には血が通い、相手の心に届くはず。そうした言葉を使っての教育は上辺の知識ではなく、深い理解と効果を持つものになるのではないでしょうか。そして何より嬉しいのは、そんな人間関係の育まれる社会は、人がもっと自分自身を大事にできて、なおかつお互いが思いやりを持てる、そんな社会になる気がします。

批判をするには自分の頭で考えなくてはなりません。考えたことは言葉で相手に伝える必要があります。・・・自他を尊重しつつ、言葉でちゃんと意思表示していく、アサーション・トレーニングにも通じる言葉だと思いました。岡本先生の言葉、しっかり心に留めておきたいと思います。

どんなお天気でも心はserenity

(画像はクリックすると大きくなります)

2月に「近いうちに、ブログをリニューアルします」と書いたため、その後ブログを開くたびに「どこが変わったの?見えないところで変更があったのかな?」と、気にして見てくださっていたという声を聞きました。同じように、気に掛けてくださっていた方がいらっしゃいましたら、ホントにお騒がせなことですみませんでした。

さて、先週の木曜日(祝日)は瞑想会でした。その一週間くらい前、瞑想会に参加申し込みをいただいた方々に確認のメールをお送りしたときのことです。私は次のような言葉で始めました。

「風は冷たいですが、今日は気持ちの良いお天気ですね。
木曜日もこうだと良いのですが、この頃のお天気はわかりませんね。
どんなお天気でも、心はserenity(平安)といきたいものです。」

そうしたところ、返信メールにこんなふうに書いてくれた方がいました。

「<どんな天気でも心はserenity>=良いフレーズですね。大本語録に載せましょう」

何気なく書いたひとことでしたが、こんなふうに見てもらえて、私自身ハッとさせられました。そして、「serenity(セレニティ)」という言葉について改めて大事にしたいと思いました。

ちなみに、serenityの元々の意味は、晴れた日に、海が凪いで、静かな状態を表しているそうです。そこから、「平安」とか「静穏」という意味で使われています。

晴れて、波のない静かな海。セレニティのイメージを思い浮かべていただけるでしょうか・・・。私自身、落ち込んだり、心がザワザワしているとき、そんなセレニティのイメージに助けられています。

(写真は、沖縄県、嘉陽(かよう)の海です)