セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 雑感 』

こんなふうに書けたら・・・。

もうすぐ2月。

寒さの中にも、日だまりの空気には

春の気配がほんのすこ~し

混じっているのが感じられるこの頃です。

もちろん、風はまだまだ冷たいんですけれどね。

☆   ☆   ☆

さて、ちょっとさかのぼって年賀状の話題です。

これ、たぶん、今でなくては書けない一生に一度の年賀状だな、と。

見てると、心もからだも、ホワ~ンとゆるんでくる・・・。

誰にもこんなときがあったんですよね。

特に、「れ」と「と」が最高!!! \(^^)/

 

「人に何かを伝えたい原点はこれなんだ!」って思い出させてくれました。

間違えたってちゃんと気持ちは伝わるんだよ。

そのときの自分の最高の一生懸命で書いたらいいんだよってね。

 

 

 

2015という数字

2015年。
もう21世紀になってから15年目なんですねえ。
ふ~、早いなあ!

20世紀の真ん中に生まれた私としては、2000年という数字そのものが、現実離れした数に思えていた時期がありました。19〇〇年は実感できるけど2000年以降はSFの世界、みたいな感覚だったのです。さすがにこの頃は2000という数字にも慣れましたけれど・・・。

ところで、

20世紀から21世紀へと切り替わった当時は、戦争の世紀と呼ばれた20世紀から、平和なミレニアムへと変わることを期待した空気が自然に生まれていたように思います。平和なミレニアムの創造はいつどんな形で始まるのか?淡い期待を抱きつつ、何かを待っていた自分もいました。

そのまま月日が過ぎて・・・

2011年、私たちは東日本大震災という未曾有の惨禍を経験するに至ります。
「これで何かが変わる!」と思ったのも束の間、
惨禍の痛手から気づいたことや学んだことを忘れ去り、
再び何ごともなかったかのように20世紀の続きを歩いている、
そんな2015年の年頭です。

☆ ☆ ☆

 

でも、考えてみれば当たり前ですね。
私たち一人ひとりが変わらなければ、
本当の意味での社会の変化は起きないのですから・・・。
どこからか変化がひとりでにやってくるなんてことはないですから。

 

権力を持った人たちが好きなように力をふるってきたのが
20世紀までの歴史だとしたら、
それを超えるには権力者ではない人たちが、
今までに発揮できなかった力を使って乗り越えるしかないのでしょう。

 

そして、乗り越えることのできる力があるとすれば、
それは権力者と同じような種類の力ではなく、
自分を生かし、人と人とをつなぐことのできる力であるはずです。

 

「自分を生かし、人と人とをつなぐことのできる力」を使う。
それは誰にも教わったことのない方法だから、
不安に駆られるかもしれません。
でも、そのもとになるのは、誰もが本来持ち合わせている力です。

 

誰かの指示を待つのではなく、
自らの魂の声に耳を傾けて動くとき、
きっと何かが少しずつ変化し始めます。
魂の声に耳を傾けることは、
もしかしたら勇気のいることかもしれないけれど、
自分自身の生を生きるただ一つの道ではないでしょうか。

 

そんなことを考えながら明けた今年のお正月。
少しでも形にしていけたらいいなと思っています。

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

キャンパスの秋

こんにちは!

巷ではけっこう風邪がはやっているようですが、皆さん、お元気ですか?

私はおかげさまで元気にしています。

今年も後2ヶ月だなんて嘘みたいですね。

あんまりいろいろなことがありすぎて、つい1ヶ月前にあったことも随分昔のことに思えてビックリすることがあります。

そんな中でも季節の変化は、慌てず騒がず順調です。

☆ 


 
写真はキャンパスの秋。

秋は空を見上げたくなりませんか?

☆ 

澄んだ空気。

冬の始まりの冷たい空気はまだ震えるほど寒くはなくて心地よい。

☆ 

木の葉も日ごとに色づいて、銀杏並木が黄色に染まる日も近いです。

桜の木がバッサリと。。。

9月下旬のある日のこと。
朝、電車に乗るため、最寄り駅に着いてビックリ!
何と、駅前の桜の木がバッサリと切られていました。

ご覧のように一抱えもある太い幹が、です。
切り口が太陽にさらされて痛々しい!
夏の間に茂った枝が邪魔だったのでしょうか?

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

もちろん、理由もなく切られたのではないでしょうが、それにしても無惨な姿になってしまいました。
果たして来年は花を咲かせてくれるかしら?
駅が建て替えられる前は、なかなか見事な枝振りで楽しませてくれ、花吹雪の舞う駅前の雰囲気は風情があって好きでした。

もともとは駅舎の脇に2本あったうちの1本で、駅のホームにも太い切り株だけが残っている所が何カ所かあるので、このあたりは駅ができる前は桜の木がたくさん植わっていた場所だったのかもしれません。

駅ができた当時、ホームを造るのに邪魔だった何本かは切り倒されたようで、今でも切り株の一部がホームの隅にそのまま残っています。その駅舎も古くなった数年前、立派な今風の駅に建て直され、その時に駅前の2本がバッサリと枝を落とさました。そして今回は、さらにこのような姿に・・・。

3枚目の写真は、数年前に駅が新しくなった後、駅の2階から見たところです。

大きな枝を切られた後も、残った枝からはこんなに花が咲いていたのです。でも、来年の春はどうなることか?

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」ということわざがあるそうですが、梅は無駄な枝を切ってやることでよく咲くようになるが、桜は切るとそこから腐って咲かなくなってしまうことから来た言葉だとか。
このまま腐って咲かなくなってしまうのでしょうか?

いやいや理屈上はそうでも、樹木にも個体差はあるでしょうし、種々の条件もあるでしょう、腐らずにすむかもしれません。どうにか乗り切って咲いてくれますように・・・。
私が気をもんでも仕方のないこととわかりながら、やっぱり来年の春が気になってしまいます。

キンモクセイ

キンモクセイが香ると秋です。
いよいよ秋だなあと感じます。

写真はピンぼけでごめんなさい。
(大学のキャンパスにあるキンモクセイを、朝、急いで通りながら写したのですが、後で見たらこんなにピンぼけでした)

どこを歩いていても、どこからともなくキンモクセイの香りが漂ってくる時季です。
昨日は、ホームで電車を待っていたら、キンモクセイの香りがしてきたのであたりを見回したのですが、近くに住宅もなければ、駅の植え込みもありません。ホームから目を転じて視線を遠くにやると、ありました!線路を隔てた道路脇の住宅の庭にオレンジ色の点々が見えます、あれがたぶんキンモクセイの花です。

あんなに遠くから香りがやってくるんですね。
そこからは距離にして70メートルくらいあると思うのですが、そんな遠くから風に乗って駅のホームまでやってくるなんて・・・。何もないホームも退屈しませんね。
五感をフルに使って季節を感じながら過ごしたいと思います。秋は、ふとそんな気持ちにさせる季節です。