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やっとキンモクセイが…
キンモクセイの香りで秋を感じる人は少なくないようで、私の周囲でも「やっと咲き始めましたね」の声がチラホラ聞かれます。
この写真、実は七年前の9月27日に大学で撮ったものです。以前に比べ一ヶ月近くも秋の到来が遅れているのがわかります。
長い夏、短い秋。。。。これから毎年こんな感じなのでしょうか。。。あの夏の酷暑を思うと憂鬱になります。季節感が薄れていくのも淋しいし、何より猛暑、酷暑はつらい!
でもまあ嘆いていても仕方がないので、身の回りに小さな秋を見つけながら、時には深呼吸をして肩の力を抜いて、同時にちゃんと地に足を付けて過ごせたらなと思います。
1週間後には衆議院選挙。
能登は地震と豪雨の片付けも終わっていないところに選挙ですから、たまったものではありませんね。
おまけに投票所の数も減らし、早く閉鎖するとか。
被災した人々に対する温情のかけらもない政府。
経済だけでなく様々な分野で活力が失われていく日本の現状に、少しでも光が見いだせる選挙結果になるよう念じながら一票を投じたいと思います。とにかく投票には行きましょう!有権者の半分近くが棄権しているなんてもったいなさ過ぎます。
とにかく投票所にGO!!
ただし白票はNO!
白票に意味はなく「このままでいいよ」という現状の追認でしかありませんから。
お米のありがたみ
スーパーの棚から消えたと話題のお米。
今、着々と育っていますよ!
確かに先日行ったスーパーには茨城産のお米一種類のみが
普段より高い値段で棚に積まれていました。
私達の胃袋を満たす大切な主食となるお米。
大事な農業に、国はもっと手厚い政策をと思います。
数十年前に日本と同じように食糧自給率の低かったイギリスもフランスも、その後自国の農業を保護して今では心配ない自給率に。
日本は減反しつつ軍事費に膨大な経費をかけるより、まず国民の胃袋を満たすことが先では?それに田圃は保水効果が高いので自然環境保全の意味からも重要な資源でもあるのです。
普段当たり前に思って食べていたお米も、なくなってみるとありがたみが身に迫り、ついいろいろと思いを巡らせてしまいました。
新米が出るのももうすぐですね。
酷暑と瞑想の狭間で
なんか大げさなタイトルを付けてしまいましたが・・・。
単なる暑さにまいっての愚痴なので適当にスルーして頂ければ。
★ ★ ★ ★
30度後半の気温が続くうだるような猛暑の毎日。
そんな中、真昼の駅前は潔いくらい暑い夏空が広がって。。。
今日はこれから瞑想会です。
瞑想会のたびに見慣れた駅前の風景ではあっても、ジリジリと焼けるような日射しと湧き上がる夏雲には、この季節ならではの爽快感さえ感じます。
もうこうなったらこの真夏の酷暑をも受け入れて味わうしかないのでは?と思いつつ会場へ。
でもやはり、会場にエアコンが入っていると「あ~生き返ったー!」と本当に幸せでホッとします。
実際、暑過ぎても寒過ぎても瞑想どころではなくなってしまいます。せめて普通に呼吸ができないと無理なので。なんて思ってしまう私はまだまだ修行が足りないのでしょうか。
いえいえそんなことはないはず。
和尚の言葉にも「身体のどこかが痛いのを我慢したり、窮屈な思いをしながらでは瞑想はできない」とあったように記憶します。ようするに、落ち着いて瞑想する環境を整えることができるのならば積極的に整えた方が良いということだと思います。今の日本の環境では、最低限の身の安全の確保のために熱中症対策は欠かせませんし…。
エアコンで適度な気温調節をしながら安心して瞑想ができることに感謝したいと思います。同時に、年々気温が上昇する地球環境にも他人事でなく向き合う必要性もキリキリと痛感させられるこの季節です。
梅雨の合間のキャンパス二題
建物から一歩出てみると目の前にはこんな空が広がっていて…。
吸い込まれそうな青空という表現がピッタリ!
暑さも忘れる爽快感でした。
一方こちらは勤務を終えて、いつもバス停に直行なのですが、
この日は別の出口から出たら目の前は、一面に…
残念なことにもう花の盛りは過ぎてしまったみたいで、茶色の花びらがだいぶ混じっていたのですが、それでもこの壮観さです。よし、来年は絶対もっと早くから注目しておこう!
古い駅舎の名残
最寄り駅は改築されて何年にもなりますが、改築前の古い駅の名残が所々に残っています。
写真のプラットホームの柵もその一つ。
電車から降りたら、目の前のツツジがあまりに見事だったので思わず写真を撮ってしまいました。そして写真を撮った後で改めて周囲を見回し気づいたこと。美しいツツジの名脇役はペンキのはげかけた薄水色の鉄柵ではないかということです。
(写真の構図が悪くて柵がよく見えないですね^^;)
鉄柵が設置されるもっと前は、この柵の場所に太い桜の木がホームに沿って植わっていたようです。今でも当時の切り株の幾つかはそのまま掘り出されずに残っています。切り株は一抱えはある太さなので、掘り出すのを断念したのでしょうか…。
当時はどんな駅だったのかな~と、ホームに沿って並んだ桜の木々から花びらの舞い散るホームを想像してみます。東京から帰ってきて、都会の喧噪からホームに放たれた途端、降りたホームが花吹雪だったら・・・。想像しただけで。。。
ピカピカのスタイリッシュな駅もそれはそれで素敵ですが、時の流れを感じさせる物には気持ちを和ませたり、思い出を喚起させたり、想像力をかき立てたり……さまざまな心模様で楽しませてくれる力があるように思う。でも、もしかしてこんな気持ちになるのも歳のせい?