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改めて“沈丁花”
桜が咲く前の一時期、ほんの束の間、
良い香りを放って楽しませてくれる沈丁花に
今年も出会うことができました。
「懐かしいこの香りは?」と周囲を見回すと…。
道路際のお宅の垣根に沈丁花のひとかたまり。
春のぬくもりを感じる空気の中で私を思い出に引き込んでくれる香りです。
幼少期の実家の庭にあった沈丁花は、
庭の片隅にたった1本…。
写真とは違い紅色の混じった沈丁花でした。
当時は特に気にも留めないほど身近にあった花木でしたが、
今改めて見ると、濃い緑色の葉と白い花のコントラストが鮮やかで、
良い香りを放つその存在感はそれなりにインパクトがあるな~と思います。
以前は気にも留めずに見逃していたものに対して、
気になったり気づいたり、歳とともに視点の変化を感じるこの頃です。
早春の大地の恵み
普段は最寄りのスーパーで買い物をすることが多いのですが、たまに散歩がてら、ちょっと離れた場所のスーパーまで足を伸ばすことがあります。近所のお店にない品物だったり、地元産の穫れたて野菜が置いてあったりして買い物の楽しみが増えます。
この日はお目当ての小松菜がほしくて行ったのですが、見て回った中で、何と言ってもこのインパクトにやられました。他にもいろいろ必要なものがあり、それらを買ってしまうと、これは重くて買えなかったのですが、もし持って帰れたら絶対買いたかったです。
隣のキャベツの大きさと比べてもその存在感がおわかり頂けますよね。
大体芽キャベツがこういう形でなっていること自体、お恥ずかしいことにこの歳まで知りませんでした^^;
実は私、この農場(複数農家の集団)産の野菜のファンなんです。個体差無視で大小関係なく適当に束ねて幾らの値段設定とか、捨てるよりはましだからとにかく食べて・・・みたいな大雑把な値段の付け方も野菜を作る人の心意気や息づかいが感じられて、「よっしゃ無駄なく使わせてもらいます」みたいな気になってつい買ってしまいます。
あまりしょっちゅうは行けないけれど、大地の恵みをほのかに感じながらの買い物はちょっと楽しみでもあります。
一年の感謝と年の暮れに思うこと
世界も日本も暗いニュースが目につきがちで、ニュースは見たくないと思ってしまうことも少なくありません。
それでも現実には、自分にも遅かれ早かれ影響のあることばかりなので、イヤでも知らんふりはできません。地球はますます小さくなり、地球の裏側で起こったことだから関係ないと言えない時代になりました。
できることは限られています。それでもできることの幾つかは自分のこととして取り組めたらと思います。パレスチナやイスラエルのことを直接どうにかできなくても、日常にある身の回りの暴力や差別、平和を脅かすものにはっきりとNOを言い、少しでも行動することは微力でも着実な一助であることは確かです。一人ひとりがもしその行動を信じることができたら、世界は変わることができるはず。
自分一人の力なんて小さすぎて役に立たないと思って何もしないことこそ、世界を牛耳る勢力や権力者の思うつぼです。自分の力を信じ、声を上げ、行動し、希望を失わないこと。そのためには暗いニュースでのダメージを最小にして自分の楽しみを持つこと、生活を楽しむこともとても大事。そう思って、日々をより良く、前向きに過ごしていかれればと思います。
なんだか年の暮れを意識してなのか、新年の抱負っぽいことを書いてしまいました。
というか、自分に向けての激励かつ自戒の一言になりました。
安心して眠ること、ご飯が食べられることに感謝しています。
皆様、お健やかで、良いお年をお迎えになりますように!
(写真のシャコバサボテンは、植え替えたらやっと花がたくさんつきました。この後、蕾が落ちずに咲いてくれると良いのですが。いつも第一陣が咲いた後、二陣は無残にも蕾がポロポロ落ちてしまい、そのままシーズン終了となってしまうので、どうか次も咲いてくれますように…)
つるべ落としの…、夕暮れの感慨
「秋の陽はつるべ落とし」というが、夕暮れ時の空の美しさに見とれていると、アッという間に日が陰り夕闇に包まれてしまう。
あかね雲と入れ替わるように、東の空には煌々と輝く月が・・・。
夕暮れ時の空に描かれる秋の夕べならではの絵画のような景色。
この、一日のうちのほんのわずかな時間が、私は結構好きだ。
仕事帰り、頭上で繰り広げられる天空ショーを仰ぎ見ながら歩くのは、疲れも癒やされ、心が解放され、足取りも軽くなる。
そんな折に思い出される言葉がある。
海洋学者のレイチェル・カーソンは著書『センス・オブ・ワンダー』の中で、住まいに近い岬の突端で、かつてないほどの美しい夜空を見た時に抱いた思いを、このような言葉で綴っている。
わたしはそのとき、もし、このながめが一世紀に一回か、あるいは人間の一生のうちにたった一回しか見られないものだとしたら、この小さな岬は見物人であふれてしまうだろうと考えていました。けれども、実際には、同じような光景は毎年何十回も見ることができます。そして、そこに住む人々は頭上の美しさを気にもとめません。見ようと思えばほとんど毎晩見ることができるために、おそらくは一度も見ることがないのです
日常にありふれた、でも貴重なひととき!
味わいつつ過ごしたい。
炎天下の買い出しとサルスベリ
昼休みにランチに出てきたとおぼしき会社員男性二人とすれ違いざまに聞こえた会話。
「ウチの方も暑いですけど、埼玉の暑さはすごいですね。暑いじゃなくて痛い!」
「ホントだよね」
「歩いていると息苦しくなりますもん」
男性達は傘も差さず日陰もない中を歩いて行く。
私は日傘を差していても汗が噴いてくる。両手の食料品がずっしりと重い。「とにかく両足を順番に踏み出せば10分後には家に着くのだから」と自分に言い聞かせながら黙々と歩く。何も考えず感じないようにしてひたすら歩く。・・・
ただ買い物に行ってきただけなのに、何の運動をしたのかと言うくらい噴き出す汗。が、その汗を拭う間もなく、帰宅するやいなや、冷蔵品やら冷凍品を大急ぎで冷蔵庫に放り込む。エアコンの風に当たりながら水分補給して、やっと人心地を回復する。高齢者だから買い物が大変なのかと思ったら、美容院のスタッフさん(30代男性)も同じようなことを言っていた。
「買い物しただけなのにいったい何をしたのかというくらい汗びっしょりですよ。帰ったら即シャワーです」と。
なので年齢や性別は関係なさそう。私だけではないのだと変な安心をした。
ただスーパーに行くだけでも、荷物を下げて歩くのだから、とにかく夏の買い出しは気合いがいるのだ!
そんなときに目に入る美しい街路樹の花は一服の清涼剤のようだ!ブラボー!!
(それにしても、写真がボケボケですみません。両手に荷物を持ってスマホを炎天下にかざすのですが、腕は痛いは、汗と熱気でレンズは滲むはで画面がよく見えず、とにかく一枚と思って撮ったのがこれで・・・。ご容赦を)