セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 セレニティの活動・お知らせほか 』

やっと校正終了

春から取り組んでいた本の原稿の校正がやっと終わりました。月曜締め切りだったのですが、原稿を送り出したのが日曜の午後。宅配便の4時の集荷に間に合わせなくてはなりません。お店に持ち込んだのが3時50分というスリリングな展開で、送り出したらドッと疲れが……。というわけで、昨日、今日はまだ何だかボーッとしています。

タイトル:『きちんと「自分の気持ちが言える子」に』
副題:―意思表示できる子は伸びる!―
(PHP研究所)

私としては、タイトルに少し違和感があるのですが、出版の事情としては、まず読者が手に取ってくれないことには始まらないので、ということのようです。親の求めるもの=時代のニーズでもありますから、直球のタイトルに心惹かれるというのは理解できます。

確かに、手に取ってもらわなければ始まりませんものね。読んでいただいて真意が伝わればなあと思います。

意思表示することで、子ども一人ひとりがイキイキと自分らしさを発揮し、自己肯定感情を育てていく…お母さん・お父さんがそれをサポートしながら、自分たちも自己表現がうまくなって自己肯定できる、そんな欲張り(?)な内容をめざしたのですが、果たしてどうでしょうか。

刊行についての詳しいお知らせは、後日改めてさせていただきます。

「音祭り」の照明に感謝、そしてお別れを

もう2年以上も前になりますが、「2200kmを結ぶ!音祭り」というイベント(音楽ライブ)をやりました。沖縄のシンガーソングライター下地勇さんと、地元さいたまのギタリスト下館直樹さんに出演していただきました。

音楽を通して、心をつなぎ、地域をつなぎ、人と人とのつながりを育てよう、というイベントでした。

出演者、裏方のボランティアさん、それに音響や照明担当の方、ホールの担当者の方など、本当に多くの皆さんのご協力で出来上がったステージでした。

今、そのときの照明担当の北谷さん(女性)のことを思い出しています。打ち上げの時、「チャタンです」なんて冗談を言われてました(沖縄方言では北谷をチャタンと読むそうで…)。北谷さん自身は沖縄のご出身ではないのに、でも、チャタンと読む方がお似合いの、沖縄の空気を感じさせる方という印象が私にはありました。

北谷さんの照明はとってもステキでした。下地さんの歌にピッタリの照明をアレンジして、ステージを盛り上げていました。北谷さんにお願いできたらいいなあ、と思いつつも、とても弱小セレニティでは無理だと諦めていました。

でも、あるとき、都内であった下地さんのライブの終了後、お見かけした北谷さんに声を掛けたところ、「音祭りの企画ができたら、一応声を掛けて」と仰ってくださったのです。傍らでは、同じミュージシャン仲間の下館さんが(彼は、音祭りの企画に陰ひなたとなって協力してくれた功労者です)、「とても無理ですよ」と私に小声で忠告してくれていました。

そして、いよいよ企画が固まってきた頃、本来の金額ではとうていお願いできないような厚かましいお願いをしたにもかかわらず、採算度外視、しかも職人肌の内容重視と心意気で、数人のアシスタントとともに、泊まりがけで当日の照明を引き受けて下さいました。そのおかげで、本当に素晴らしい照明のステージにすることができました。

北谷さん曰く、「日頃セレニティの活動のことを(下地さんから)聞いているから」と、温かいご理解を頂けたことが、とてもうれしかったです。その橋渡しをしてくださった、下地さんやマネジャーのOさんのおかげでもあります。

音祭りは、こうした目に見えないところで、皆さんからたくさんの贈り物を頂いてできたものなのだと、今でも思い返すと感謝の気持ちでいっぱいになります。

北谷さんのお仕事ぶりは、舞台裏でちょっと拝見しただけですが、厳しく、熱く、「職人」を感じさせました。

「2200kmを結ぶ!音祭り」

また、いつか下地さんライブなどでお目にかかれるだろうなあと思っていたのです…。
でも、その北谷さんが、5月下旬に急逝されたとの知らせを、つい最近聞かされました。まだ、私よりずっとお若い方です。元気なお顔が浮かんできて、にわかには信じられませんでした。

先日の、手塩研のメンバー浜田先生といい、このところ、ご縁のあった方々とのお別れが続いてしまいました。やはりお別れは辛いです。

改めて、音祭りの照明に感謝しつつ、北谷さんのご冥福を心よりお祈りいたします。合掌

新年のごあいさつ

少々遅まきながら…

明けましておめでとうございます。

今年のセレニティの活動は、昨日の手塩研で幕を開けました。
手塩研は「手塩にかけて教材作り・授業作りトレーニング研修会」と言います。小学校の先生対象の研修会です。こちらの報告は近いうちに、イベントのページに掲載いたしますので、よろしかったらお読み下さいね。

大学の相談室の方も今日からスタート。日数的にはわずか二週間の冬休みですが、年が改まるとやはり気持も引き締まります。久しぶりに出かけた大学は、すがすがしく、チョッピリ緊張感もあって新鮮な感じでした。

学生さん達にとっては、これからが試験と卒論の提出で緊張の一時期でもあります。進級・卒業・復学と、一人ひとり、それぞれの状況をクリアして次のステップへ進めるよう、カウンセラーとしても精一杯応援したいと思っています。

もちろんセレニティの活動も、伸び伸び、楽しく力を入れていきますよ。

ということで、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

明日8日はセレニティのイベント…

「明日8日は」とタイトルを書いてから、そうだ真珠湾攻撃の日だったんだ、と気がつきました。で、確かめるためにネットを検索したら、ビートルズのジョン・レノンが銃弾に倒れた日でもあったのですね。(だから夕刊にもジョンレノンの記事が、と納得)

とは言ってもタイトルはそれとは全然関係なくて、セレニティのイベントの話なんです。

明日は午前中が「ミニ瞑想会」、午後が「冬のオシャベリ会」があるのです。

ささやかな会ですが、ゆったりと充実したひとときを過ごしたいと思います。

会場は、二部屋続きの広めの和室。ビルの中なのに、障子を通した柔らかな光が、明るい中にもどこかホッとした<和の空間>を作ってくれます。やっぱり畳って和みますね。

ワタクシ目はこれから明日の準備です。もし、これを読まれて明日フラッと行ってみようかなという方がいらっしゃいましたら、どうぞご遠慮無くお越しくださいませ。^^)お待ちしていま~す。

明日の詳しい内容はこちらを。

ではでは、今日はこれにて。

「ごんぎつね」の表現の違い

日曜日は手塩研でした。小学校の先生の研修会です(詳しくはHPを)。

研修会と言ってもほとんど個別指導に近い少人数で、和気藹々と中身は濃く、楽しんで私も参加させてもらっています。

今回もいろいろ学ぶことが多かった中で、一番印象が強かったのは4年生の教科書に載っている新美南吉作の「ごんぎつね」のことです。

実は、南吉が書いた原文とは異なる鈴木三重吉の手が入ったものが、長年教科書に採用されてきたもののようです。

鈴木三重吉と言えば、日本で最初の児童文芸誌「赤い鳥」の主宰者です。当時新美南吉は18歳の新人ですから、手を入れられても異を唱えることはできなかったでしょうね。

私は別に南吉ファンでもなんでもありません。でも、今回原文と教科書の文と両方を比べてみると、新美南吉が生きていたら、不本意なんじゃないかなあと同情したくなりました。

私自身が「ごんぎつね」に接するたびに感じていた違和感があながちピントはずれではなかったみたいです。

例えば、ごんを撃ってしまった兵十が「ごん おまえだったのか?」と問う最後の場面での、ごんの心情描写の違い。教科書ではごんは「うなずきました」となっていますが、原文は「うれしくおもいました」です(記憶に頼って書いているので、言葉は正確ではありませんが)。

細かい言葉の修正で全体の印象が随分違ってくるし、読後の感想も変わってきます。

機会があったらもっと調べてみたいと思いました。

こんな資料もありました。
引用です。
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「ごんぎつね」のようにすべての教科書に掲載されている作品が、学習者に与える影響は、きわめて大きい。というのは、義務教育を受けようとする限り、どの子どもも必ずこの教材をくぐることになるからである。大げさにいうなら、日本人としてのアイデンティティの形成に関わる問題でもある。これは、検討に値する問題だろう。

(『「ごんぎつね」をめぐる謎 ―子ども・文学・教科書―』府川源一郎<はじめに>より)