カテゴリー 『 雑感 』
無事で!
地震から二日、皆さんはご無事でしたか?
お友達やお知り合いの方にも、お変わりありませんか?
この二日間、経験したことのないことが次々と起こっています。その度に扱いきれない気持ちの波がやってきます。
私自身、現地に住む身内と連絡がつかず、何も手に着かない状態です。
ただただ無事を祈る、その思いだけです。
現地の皆さんの被害が、少しでも少なくすみますように・・・。一つでも多くの命が救われますように・・・。
自分にできることは限られていますが、それをまずやれればと。
時計職人のおじいさん
駅前に一軒の時計屋さんがありました。昔からこの土地にお店を構えていたと思われる風情の、こぢんまりとしたお店でした。ときどき店の前を通ると、おじいさんが時計を修理しているらしく、カウンターで背を丸めているのが見えました。
ある日、店の入り口に張り紙がありました。「この度、閉店することになりました。長年のご愛顧、誠にありがとうございました」
それからしばらくして店の前を通ったところ、ウインドウ越しに見える陳列棚には時計がほんの少し残っているだけでした。ほとんどガランとした店の中では、以前と同じように、カウンターにかがみ込んで時計を修理しているおじいさんがいました。最後の仕事の依頼だったのでしょうか。
そんなことがあって数日後、たまたまテレビで、イタリアの片田舎でのある家族の暮らしを伝えた番組を見ました。家族の一人は時計職人のおじいさんでした。80は過ぎていると思われる白髪の老人は、インタビューに答えて「動ける間は仕事を続けていきたいね。生きている限り、ずっとね」と、優しい笑顔で机の上の時計に向かっていました。
三世代同居で暮らす住居の一室に、おじいさんの修理のスペースがあるらしく、明るく気持ちよくしつらえられた室内に、木製の机が温もりを感じさせて、おじいさんの幸福な暮らしを想像させました。
閉店した時計屋のおじいさんも、もしかしたら「まだまだ時計の修理はできるぞ」、と思っていたかもしれません。それとも、「リタイアして悠々自適、好きなことをして過ごすぞ」、と思っていたでしょうか。詳しい事情は何もわかりません。
いずれにしても、子や孫に囲まれて暮らしつつ、自分の技術が必要とされ、死ぬまで仕事に情熱と誇りを持って続けていかれたら、最高に幸せな生き方の一つであることは間違いなさそうです。
それにしても、しかたのないことですが、お店が閉店するのって、何だかやっぱり淋しいですね。
“一杯のお雑煮”の幸せ v(^^)
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
関東地方はお天気に恵まれ、穏やかなお正月を過ごすことができました。大雪に見舞われて大変な被害に遭われた地方もあることを思えば、これだけでもありがたいお正月でした。
漁船が雪の重みで何百隻も沈没してしまったり、鉄塔が折れ曲がったりして、美しい雪景色は一変して、圧倒的な自然の猛威を見せつける場となってしまいました。
被害に遭われた方々には、心からお見舞い申し上げます。
同時に、当たり前と思っていることはちっとも当たり前などではなく、自然の「恩恵」であったり、さまざまな「幸運」のもたらした結果であるということも、改めて心に刻んでおかなくてはと思いました。
そう気づくと、
☆穏やかなお天気に恵まれ、
☆家族が<とりあえず元気>で(仮にいろいろな事情を抱えていたとしても)、
☆雨露をしのげる場所があって、
☆暖かい食事やお雑煮を食べられるということは、
本当に幸せなことだなあ……。
と、しみじみ思ったのでした。
ささやかな幸せです。でも、もしかしたら、この上なく充分な幸せなのかもしれない。
そんなことを思った今年のお正月でした。
今年が平和な良い年になりますように!
変化は内側からやってくる
今年も残すところ今日一日。また今年も、ブログの頻繁な更新はできませんでした。と深く反省するとともに、無理な野望(?)は捨てて、来年は書けるときに書こう(今年と同じだ!)と心に決めました。そんなぐうたらブログですが、お時間のできたときに、たま~にお立ち寄りいただければそれだけでもう嬉しいです。
年末年始と言っても、かつてのようなゆとりも感慨もないこの頃ですが、それでも最寄り駅の商店街はそれなりに師走の活気が見られて、「ああ、お正月が近いんだなあ」と実感することができます。
ところが、大学に通う通勤途上の乗換駅は、周辺のお店がどんどん閉店して淋しい限りです。周辺はベッドタウンとして、人口はそれなりにあるはずですが、駅前なのにバタバタとお店が閉まっていくのです。Kフライドチキンが2年前に閉店、今年はMハンバーガーが閉店、その間にも小売店が幾つか閉店して、残る大手のスーパーも撤退するとかしないとか…。
駅前にポッカリとできた空き地を見ていると、これは終わりではなく、スタートなのかもしれないと思えても来ます。たくさん売って、たくさん消費して、人がドッと集まってくる。そんな光景が当たり前だった時代から、変化が起きざるを得ない状況になっていることは確かのようです。いろいろなことが組み替えられて、新たな発想やものの見方から、今までにない新鮮なことが起きてくるのかもしれません。
それが何かはわかりませんが、起きるとすれば一人ひとりの心の中から、ゆっくりと起きてくるのでしょう。また、そうした変化がなければ状況の好転は望めない、そんな時代かもしれません。
何だか今日は勝手な状況分析めいたことを書いてしまいましたが、決して後ろ向きになっているわけではありません。むしろ、一人ひとりの潜在的なエネルギーを活かしていく時が、これから来るような気がしています。
大学の相談室で、カウンセリングルームで、いろいろなことを感じては、思いめぐらせています。焦らずに、こんな時代だからこそ、外よりも内(自分)に目を向けつつ、自分自身を大事にして過ごすことができれば、そこから出てくる一人ひとりの持つエネルギーが、変化の原点になっていくのではと思えます。
抽象的な表現で、何だかわけのわからない文章になってしまったとしたら、すみません。
ともあれ、今年も一年間、ありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えください。
思わず、うるうる!トイ・ストーリー3
またまた長らくのご無沙汰、失礼しました。今年もあまりブログが更新できないまま、あっという間に12月も半ばになってしまって…。あ~らら~ですね。まったく!
11月はけっこう私自身の研修が続いて、その後、珍しく熱を出して二日ほど寝込みました。ほとんど10年ぶりというくらい珍しいことなのですが…。
そんなこんなですっかり更新が滞っておりました。その間、ブログに書きたいこともチラホラ浮かんではいたのですが、以前よりさらに加速度を増してきた物忘れ度により、書きたかったことはメモする間もなく、思いつくそばから消え去っていったのでした。さて、そんな中でも消えなかった、映画の感想をひとつ。
「トイストーリー3」。夏休みのファミリー・子ども向け映画と思い、期待しないで(失礼?)見たのですが、とんでもない。なかなか見応えがありました。中でも、あるシーンでは胸に迫るものがあって思わず涙…。
すでにご存知だと思いますが、オモチャが主人公の映画です。オモチャの持ち主アンディが大学に入学することになり、オモチャは屋根裏部屋にしまわれることになりました。ところが、ちょっとした手違いが重なって、オモチャ達はゴミ処理工場に送られてしまいます。工場では集められたゴミ(がらくた)と一緒にベルトコンベアーに乗せられ、破砕機めがけて流されていきます。このまま流されて機械に掛かれば粉々です。滝壺に向かう川の流れのごとく、目前に迫る機械に吸い込まれていくがらくたを目にして、オモチャ達はなす術もなく恐怖の声を上げます。
その時、オモチャの一つバズ・ライトイヤー(宇宙戦士のロボット)が一計を案じます。両脇のオモチャに手をさしのべたのです。右のオモチャと手をつなぎ、左側のオモチャと手をつなぐ。そして仲間は次々に隣のオモチャと手をつなぎあい、横一線に並ぶと、みんなの顔から恐怖が消えて、柔らかなほほえみさえも浮かんできます。その間にもベルトコンベアーは容赦なく、オモチャを乗せて破砕機に向かって進んでいくのですが・・・。
ここで、思わず涙腺が緩んでしまったんですよね~、不覚にも。
たとえ状況が好転しなくても、人は恐怖から救われて、笑顔にさえなることができるのだ。人と人とのつながり、心の交流さえあれば、人は不安や恐怖さえも乗り越えることができるのだ。そんなメッセージさえ読み取ってしまったオモチャ物語。なかなかのものでした。
で、この話を20代の人にしたら、「泣く場面が違うでしょ。普通はオモチャとアンディの別れのシーンでしょう」って。レビューを見たら、やはり別れのシーンに感涙というのが多かったです。世代によって違うのかなあ、それとも私が変わってるのかなあ?でもまあ、人それぞれと言うことで…。