セレニティカウンセリングルーム

倉敷、児島虎次郎記念館

もうすっかり秋ですね。
同時に台風シーズンでもあります。
今日は関東もあちこちで大雨警報が出ていますが、皆さんの地域は大丈夫でしょうか?

8月も数日で終わるという日に、所用で岡山に行ったのですが、せっかくなので倉敷にも足を伸ばしました。

夏の観光のピークも過ぎ、何となく「祭りの後」のようなもの悲しい感じさえ漂っていました。ビアガーデンは閉まっているし(アルコールがダメな私には関係ないですが)、観光客もまばらで、「もう夏は終わりだなあ」という空気が感じられました。

そんな中、ふと入った「児島虎次郎記念館」がよかったです。

ここも観覧者は私と、他に一人だけ。建物は明治期の紡績工場の織物倉庫なので、重い織物を天井まで積み上げたときに耐えられるよう床板の厚さが6~7センチはあろうかという重厚な建物です。現在のクラボウ(倉敷紡績)の発祥の地になります。

児島虎次郎さんの絵が素晴らしかったです。有名な大原美術館の所蔵絵画は、倉敷紡績のオーナーであり、美術館創設者の大原さんが、パリ在住の児島虎次郎の進言で収集を始めたものだそうで、当時まだパリ画壇でも注目されていなかった印象派の絵画もいち早く収集しているのは、児島の審美眼の的確さゆえだったと思われます。あの有名なエル・グレコの「受胎告知」も実物がここにあるのです。

東京の美術館などに比べると、本当にさりげなく展示されていて、そこにまた親しみを感じました。(写真を撮るのも忘れて見学していて、ほとんど写真がありません。何となく雰囲気を感じていただければ・・・)

感動したことがもう一つあります。
大原孫三郎さんは企業人であると同時に、社会貢献でも重要な仕事をしていました。友人のクリスチャンに影響を受けたそうですが、社員の健康や安全な労働管理、生活支援のための生協活動や厚生設備、社員のための保育所整備や孤児院の運営まで、企業の発展を図りつつ、社会的にも大きな貢献もしていたという事実は、写真や事実で読むだけでも胸のすく思いがしました。

今の社会を見るとき、大企業の多くが収益を一部の者の懐を潤すことのみに使い、そこで働く労働者がないがしろにされ、地域社会にも冷淡であるという事実が社会問題にすらなっています。明治期の企業人には、大原さんに限らず、社会全体を視野に入れ、人間的な目て企業を運営する視点と度量があったのです。そうした人物を生み出す社会、そうした人物を育てる教育であってほしいとつくづく思います。

結局半日を、児島虎次郎記念館と大原美術館で費やし、他の観光地は観ることもなく帰ってきてしまったのですが、それでも大満足でした。とっても幸せな半日を過ごすことができましたから…。もし、倉敷にいらっしゃたら、大原美術館はもちろん、児島虎次郎記念館にも、ぜひ足を運んでみてください(先に児島虎次郎記念館を観て、それから大原美術館に行くのがお薦めです。係の女性のアドバイスなんですが、より味わいが深まります)。

「アサーション」と人権、そして憲法

またしても長いことブログの更新をサボってしまいました。
本当にごめんなさい。
書きたいことがなかったわけではないのですが、気づいたら2ヶ月近くにもなってしまって・・・。

ところで、夏から秋にかけての夕暮れ時は、ビックリするくらい鮮やかな夕焼けを見られる時があります。

先日、ワークショップのレジュメ作りにちょっと行き詰まったとき、ふとカーテンを開けたら真っ赤な夕焼けが・・・。
こんなとき、思わず誰かに教えたくなってしまうのはなぜでしょうね。
「ねえ、見て!見て!夕焼けよ!」って・・・・。写真ではその十分の一もお伝えできていないので、この十倍の鮮やかさだと思って見てくださいね。

さて、今日はアサーション・トレーニングについて、人権とのからみで少し書きます。

アサーション・トレーニングでは毎回、基本的な考え方をお話しする中で、人権についての話もします。自己表現は基本的人権の主要な権利の一つだからです。

基本的人権は、人種・性別・能力・職業・地位などに関わらず、すべての人が生まれながらに持っている権利です。
だから、基本的人権である自己表現をしないままでいると、長い間には自分の気持ちがわからなくなったり、小さな事でも自分で決めることが難しくなったりという弊害が出てくることがあります。だから、些細なことでもちゃんと意思表示することは大事です。と、自己表現の大切さは、基本的人権を行使することでもあるという流れでお話しします。

実際、トレーニングの中で、自分の思いを自分の言葉で表現できたとき、誰もが本当に生き生きと輝いてきます。表情が和らいで、エネルギーが体の中から解放されたかのように変化します。特別大胆な何かを口にしているのではないのです。日常のちょっとした一言なのですが、それが口にできるかどうかはとても大きな意味を持つのです。こうした変化を目の当たりにすると、一人ひとりが素晴らしい個性をもった存在なんだって実感させられます。

こんなふうに、アサーション・トレーニングの度に自己表現の大切さと、自己表現を保障されているありがたさを実感しています。

ですから、今、問題になっている憲法については、個人的にも仕事上でも、私にとって非常に大きな関心事でもあります。自己表現の自由が保障されなくなる懸念があるからです。

私たちは戦後の日本で、今日まで平和憲法に守られて生きてきました。空気のようで目に見えないけれど、確実に私たちは憲法によって守られていました。その私たちが、将来の世代に対して、人権をないがしろにした社会で生きることを押しつけるなんてできません。

戦争の記憶が薄れていく中、親世代から戦争の話を聞くことのできた最後の世代が私たちです。やがて戦争を記憶している人がいなくなったとしても、平和な社会づくりへの貴重な道筋を示してきた日本国憲法を「守る」だけでなく、「守る」から「使う」へ、そして「使い続ける」、さらには「使いこなす」日本であってほしいと願っています。

自分にできることは小さいですが、やれることをやっていきたいと思います。

夕焼けの美しさを、安心して心から美しいと思えるのも、平和であればこそですものね。

ツツジ

季節はどんどん流れていくよ~~~。

ツツジがあんまりきれいだったので出勤途上にパチリ。

あれから2週間、今はもう紫陽花の季節。

急いでアップ。

気温が不安定ですね。

お風邪などひかれませんように・・・。

白い花の一枝

これ、何の花かわかりますか?

華やかなのに、

気取りがなく、

素朴で、

清らか。

そんな印象のお花です。

加えて、しっかりした枝と、肉厚の葉っぱ。

全体はどんな大きさの木なのかな?

農協の直売所に買い物に行った時、

入り口で見つけたんですよ。

。 。 。 。 。 。

実はこれ、

「卯の花」だそうです。

生まれて初めて見ました!

私が手に取って眺めていると、

買い物に来た女性が、「あら、これ、なんの花?」と。

「卯の花だそうですよ」と私。

「う~のはな~の匂う垣根に~」のアレ?と言って、その女性は鼻を近づけました。

私も鼻を近づけてみたのですが、あまり匂わない。一枝ではダメなのかな~、とちょっとガッカリ。

「仏さんのお花にしようかな~」と言って、女性はレジに向かいました。

私はお供えでなく、花瓶に入れて飾りました。

でも、部屋に飾ってみても、やはりあまり匂いはありません。

ところが数日して、卯の花の横を通ったときに、

「ふわ~~~」っとほのかな香りが漂ってきたのです。

気温の高いちょっとムシムシした日でした。

垣根の脇に植えた卯の花が、初夏を思わせる蒸し暑い日に、満開に咲いて匂っている。

そんな光景が浮かんできました。

あれから3週間あまり。今はもう真夏の暑さです。梅雨ももうすぐですね。

新緑の公園

こんにちは!

お久しぶりです。

新年度になったと思ったら、あっという間に一ヶ月余りも経ってしまいました。

すっかり日記も(もはや“日記”じゃないですが)ご無沙汰してしまいました。

。。。。。

ところで、

このお休みは、仙台の近くまで、ちょっと小旅行。

新緑に浸ってきました。



。。。。。

お天気に恵まれたので、

どこも家族連れで大にぎわい。

といっても、

首都圏の遊園地や公園のような

喧噪はなく、のんびり楽しむ

家族連れがいっぱいでした。

。。。。。

溢れる若葉!

子どもや若者、それに、

年を忘れて楽しむエネルギーもいっぱい感じました。

。。。。

この爽やかさも、

またすぐ真夏の暑さに変わってしまうんですね~。


ともあれ、5月の新緑を、

目にも肺にも心にも、

いっぱい吸い込んだひとときでした。