何やら哲学的なタイトルなのですが。。。。。
「あなはほるもの おっこちるとこ」
数日前からこの言葉が耳に残っています。思い出すと、胸の中がほ~~んわりします。
この言葉、いったいなんだと思われますか?
「あなはほるもの おっこちるとこ―ちいちゃい こどもたちの せつめい」
という絵本の題名なのです。(ルース・クラウス文 モーリス・センダック絵 わたなべしげお訳)岩波書店
保育園や幼稚園の子どもたちから保母さんたちが集めた「ほんとのことば」だそうです。
たとえば、こんなのもあります。
「ケーキのかすをゆかにおとさないようにひざがついているんだよ」
思わず、「へ~、そうだったんだ!」と新発見した心境になったり、
かと思えば、
「はなはこすりあわせるもの」と聞いて、
「そういえば子ども達が小さかった頃、そんなことしてたなぁ」とか…、思い出したり。
ちなみに、「あなははいってすわるとこ」というのもあります。砂遊びがしたくなりますね。
実をいうと、私はまだ、この本そのものは読んでいないんです。東京新聞の「続 絵本がともすあかり」というコーナーで松井るり子さんが紹介しているのを読んだだけです。
タイトルを思い出すたび「うふふ」と、一人ほのぼのしているので、せっかくだから皆さんにも、とご紹介したくなってしまったというわけです。
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やっと一昨日、瞑想会のご案内をホームページにアップしました。次回のテーマと、それから簡単なQ&Aも載せてみました。
瞑想に特にテーマは必要ないといえばないのですが、ちょっとしたキッカケというか、手がかりになってくれればいいなあと思って、設けています。
Q&Aも、日頃、皆さんが疑問に思っていらっしゃることがおありかもしれないので書いてみました。瞑想会について質問などありましたら、メールでお知らせ下さい。できる限りお返事したいと思います。
このところ、春と冬の間を行ったり来たりのお天気ですね。
花粉症の季節でもあります。幸い私は今のところ、花粉症ではないので助かっていますが、去年まで何でもなかった人が、ある日突然になると言いますから油断なりません。
お互いに、体調に気をつけたいものですね。
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またまた、ご無沙汰してしまいました。
このところ、4月の瞑想会のご案内文に頭を悩ませています。「瞑想とはなんぞや?」と言う、当初の私自身の<???>を思い出しながら、少しでも瞑想に親しみを感じていただけるよう、無い知恵を絞っております。
会場の部屋は、明るくゆったりした和室なので、そんな春のひとときを思い描きながら作業をしているのですが、なかなか進まないで困っています。
それでも近々、アップするつもりですので、掲載したらお目通し下さいませ(というほど、大した内容ではないのですが)。
それはそうと、こちらでは梅がほぼ一斉に花開いてきたようで、あちこちで白、紅、桃色の梅を目にします。
それで思い出しました。
以前、秋口だったか、電車から降りたら、ホームでウグイスの鳴き声を耳にしてビックリしたことがあります。チャイムの代わりに流していたものだったのですが、季節外れな気がして驚きました。
それともウグイスって年中いつでも鳴くものなのでしょうか?
。。。。。。。。。。
気になって調べてきました。
2月から鳴き始め、8月か、場所によっては10月頃まで鳴くそうです。とすると晩秋から真冬にかけて以外は、鳴いてもおかしくないということになり、梅にウグイスどころか、梅以外にもウグイスなんですね。
でもやっぱり、最新建築のガラスとコンクリートの駅の中で、電車からホームに下りた途端にウグイスの声を聞くと、なんともちぐはぐな感じがしてしまうのです。本物のウグイスでないことがせめてもの慰めです。轟音を響かせて電車が滑り込んでくるホームは、本物のウグイスにとっては過酷な場所ですから。
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東京下町で紙芝居屋のおじいさんが高齢のため引退し、若者が後を継ぐことになったという新聞記事を読みました。
若者は紙芝居に魅せられておじいさんに弟子入りし、今日まで紙芝居屋修行に励んできたそうです。
「これからも子ども達に夢を届けていきたいです」と後を継ぐことになったお兄さん。路地裏の一角には、紙芝居に集中する子ども達の後ろ姿に混じって、子どもを抱っこしたお母さんやお父さんの姿も見えます。子ども達の歓声まで聞こえて来そうな写真です。。。。。
後継者ができて良かった!これからもずっと続いていってほしいなあと思います。
今では紙芝居を知らない子もいるかもしれませんが、私が子どもの頃はホントに身近な存在でした。
紙芝居屋のオジサンが道ばたに自転車を止めて、駄菓子などを売りながら子ども達を呼び集めます。ある程度人数が集まったら、「さあ始まり、始まり~」と、紙芝居の世界が展開されていきます。
紙芝居の面白さは、なんといってもあの紙を引き抜く瞬間ではないでしょうか。「さあ、次はどうなるの?」と、ハラハラ、ドキドキしながら、オジサンが紙を引き抜く手元に、子ども達の目が集中します。
わずか10分足らずの「子ども劇場」でしたが、終わるとそれなりの余韻と満足感があって、小規模ながらやっぱり「一種の観劇」だったのだなあ、と今になって気づきます。
友だち同士オシャベリしたり、駄菓子を食べたりしながら、肩寄せ合って、肉声での語りに引き込まれていたあの頃。のどかな時代の産物で、このスピードのご時世にはそぐわないのかもしれません。
しかしだとしても、いつまでもすたれないでいてほしいと思います。
実は、孫がもう少し大きくなったら、紙芝居を見せてやりたいなあと思っているんです。………な~んて言いながら、孫をダシに私が楽しもうというコンタンなんですけどね。
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いつの頃からか、エスカレーターの左右どちらかを空けて乗る、というのが習慣のようになってしまっています。
関東は左に寄って右をあける、関西はその逆。などと言われます。(ちなみに境目は岐阜あたりだとか)。
ともかく、そんな習慣が定着しそうになっていますが、先日、新聞の投書に次のような話が載っていました。
(要約)
投書の主は関東地方にお住まいのご高齢の方でした。左手が不自由で足腰も弱っているので、出かけたときは当然、階段でなくエスカレーターを利用することが多いそうです。そしてエスカレーターに乗るときは、右手で手すりにつかまり、身体を手すりに預けるようにして支えて乗るそうです。
ところが、ここで問題になるのが先程の習慣。関東の場合、右を空けて乗らなくてはならないとなるとたいへんです。不自由な左手で身体を支えなくてはならないのです。思ったように手すりをつかむこともできず、不安定なままで立っていなくてはなりません。ましてや、右側を掛け上がっていく人がちょっとでもぶつかったりしたら、それこそ生命の危険さえあります。
お年寄りは言われます。「どうか、エスカレーターに安心して乗ることができるよう、急いでいる方は階段を利用してください」と。
すごーく反省しています。
私も、急いでいると、ついエスカレーターの右側を階段のように上ってしまっていました。特に、朝の通勤時間帯に「次の電車に乗らないと乗り継ぎ電車に遅れる!」なんていうときは、若い人達に混じって、電車がホームに着いた途端、エスカレーターを駆け上がっていました(ハアハア息を切らせながら)。
でも、最近は階段を上ることにしました。確かにエスカレーターは「乗る」のであって、「上(のぼ)る」ものではないですものね。
そして、エスカレーターに乗った時は、ひたすらおとなしくジッと流れに身を任せております。遠からず、私もエスカレーターに大いにお世話になる一人ですから…。
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