昨晩はHa先生の告別式でした。教え子の中学生達が20人ほど列席していました。いつも感じるのですが、お葬式の時など、子どもや若い人達がいると何だかホッとします。
悲しい気持ち、淋しい気持ちが、少し和らぐような気がします。そんなとき、若い人の存在が本当にありがたく思えます。
命は次の世代につながっている…、限りある命を大切に生きて、次の世代につないでほしい。彼らの背中にそんな希望を託したくなります。
そうした若者であったはずの一人の青年が、秋葉原で悲惨な事件を起こしました。「彼の気持ちがわかる」「わたし(オレ)と一緒だ」という何人かの若者の声も聞きました。
こうした事件のたびに、原因の徹底究明をと盛んに言われます。
でも、本当にまだ原因が解っていないのでしょうか?
これ以上、まだ考える材料が必要なのでしょうか?
本当は解っているのだけれど、気づかないふりをしているだけではないのでしょうか?
見ないようにしているだけではないのでしょうか?
ここに一冊の本があります。
「少年サバイバルノート」(西山明 集英社新書 )
プロローグから少し抜き出してみます。
「家族を取り巻くシステムが過去の時代のものとなり、家族は孤立化して、子育てから老人介護まで、その重荷を一手に負わされてきた。 …略…
そうした家族の内部で子どもはどのように育っているのか、子どものさまざまなつぶやきや不可解に見える行動は、この現実を必死に生きるために子ども自身が編み出した「自己表現」ではないか、と思っている。ときには彼らの歯止めがないような日常の振る舞いや言葉遣いに慨嘆するときもあるが、この時代に死にもせずによく生き残った、という感慨の方が私には強い。」
この時代に死にもせずによく生き残った――本当にそう思います。子どもは本当によく頑張っていると思うし、ただただ生きていてくれることに感謝せずにいられません。
そして、こう続きます。
「子どもは歴史の中に自らの記録を残さない。ときどき想像することがある。子どもが彼らの目の高さから、目撃した周りの大人の姿を毎日記録していたら、逆に大人はどれだけ子どもの視線に耐えられるだろうか、と。」
少年法が改正され、子どもをおとな並に裁こうとする風潮が強まっています。教育基本法も改正され、子どもを国の材として育てることが目標とされるようになりました。
子どもに要求する前に、おとながまず何をしなければいけないか、ただそれだけを、子ども達(若者)は身をもって訴え続けているようにしか思えないのです。
先の本の帯には「『17歳』はなぜ危ないか」とあります。この本が出た2000年当時、17歳の起こす事件が多発したことを受けてです。あれから8年、私たちは少年達の起こす事件から何を学んだのでしょう。
以前、読んだときは、サーッと読めたように思うのですが、今はもっと重く一言ひとことが、胸に響いてきます。それだけ状況が厳しくなり、問題の深刻さが増したのかもしれません。
事件が起きたときだけ関心を持つのではなく、日頃から、社会全体がじっくり取り組んでいかなければならない問題だと改めて思いました。
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「旧年中も、ワークショップ開催のご連絡をいただきまして、ありがとうございました。
今年が、よい年でありますように……。」
一通の年賀状が手元にあります。今年の元旦に頂いたものです。伊勢市二見ヶ浦の日の出が赤々と映し出されています。いつも通りのしっかりとした筆跡は、とても厳しい闘病中に書かれたとは思えないほどです。
このときすでに、かなりご病状は悪化していらしたのだと後に知りました。どんな思いでこの年賀状を書かれたかと思うと、胸が詰まります。
……………
昨日留守電が入っていました。Ha先生の訃報でした。
セレニティの開設間もない頃から、ずっと教師研修その他の催しに参加してくださった小学校の先生です。
瞑想会の初期からのメンバーで、2004年の音祭りにも遠方から参加してくださって、手拍子で楽しんでくださいました。茨城での泊まりがけの手塩研セミナーにも参加されました。
そしてここ数年、ご病気と診断されてからも、度重なる手術と治療で体力を消耗されつつも、ひたすら教育者として研鑽の道をと、あれこれ研修会に参加され、「少しゆっくりされては?」との周囲の声ももどかしそうに、再び教壇に立つ日を胸にがんばっておられました。
思い出します。
白浜での宿泊研修の折り、釣り竿とバケツを手にしたHa先生を写真にパチリ!ちょっと得意そうに見えました。その日一番釣れたのはHa先生。「昔とった杵柄ですね」とみんなで笑い合ったときの、先生の照れくさそうな笑顔。私の知っているHa先生の一番楽しそうな笑顔でした。ヤンチャな釣り好き少年が顔を覗かせて…。
Ha先生と私は同い年。なのに、なぜか先生と話すときは「です、ます」調になってしまったのは、先生の律儀で誠実なお人柄のせいだったかもしれません。
今でも、何だか信じられないのです。うっかりすると、また今まで通りに、ワークショップのお知らせをお送りしてしまいそうで…。
今はただ、感謝の言葉があるだけです。長い間、どうもありがとうございました。そして、さようなら、Ha先生。
これからもセレニティはがんばりますよ。先生の、教師として、最後まで教室の子ども達のことを思っていらしたお気持ちを大事にしつつ…。手塩研を見守っていてくださいね。
合掌
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すっかりご無沙汰してしまいました。本当に申し訳ありません。
以前に少し触れたかと思いますが、今、本の執筆のお話を頂いて、慣れない原稿と格闘しています。テーマは「ちゃんと自分の気持ちが言える子に」です。内容は子どもの自己表現についてでして、アサーション・トレーニングの考え方ををベースに書いています。編集の方とやりとりしながら進めているのですが、私自身、改めていろいろなことを学ばされています。
自分の思いを的確に伝えることの難しさ、自分自身の自己表現への振り返り等、自らの非力を痛感しつつ、いただいた機会に精一杯応えられるよう、今できることをやりきりたいとがんばっています。
気持ちを込め、必要とされる読者に届きますようにと、祈りを込めて書いています。
応援していてくださいね。
ご無沙汰のお詫びのつもりが、今度はお願いになってしまいました。
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今年も全国一斉に学力テストが行われました。独自の教育方針によるユニークで効果的な教育が注目を浴びている愛知県犬山市は、昨年に引き続き今年も参加しませんでした。
その犬山市の教育長、瀬見井久さんが先日、東京新聞のインタビューに答えてこんなことを言っています。
「例え話をすると、病気は医者が治したと言っている場合でも、実は自然治癒した場合が多いんですね。教育も似ていて基本は自己教育だろうと思っています。医者も本当の名医は自分はヤブ医者であるという自覚を持っています。教えるという気負いには問題がある。もっと謙虚であっていいと思う。・・・・
一人一人が自主的、自立的に人格の発達を遂げていく。それを私は『自ら学ぶ力』と呼んでいます。
自ら学ぶ力を育むために何が必要か。たどり着いた結論が子ども主体の授業であり、それを可能にするのが少人数学級。学力保障に最も有効な教育環境です。」
国の教育政策については、
「改革は教師を変え、学校を変え、最適な学習環境をつくり上げる草の根的な議論を踏まえなければなりません。」と、現場の声を聞く大切さを訴え、
「戦後新しくできた教育基本法は、戦前の教育が国家目標に沿ったものであったのに対し、教育の目的を子どもの人格の完成に置きました。さらに、国家が教育に手を突っ込むとろくなことにはならないと、戦前の軍国教育の反省から教育の地方分権を徹底させました。戦後六十三年、その精神が風化しています。・・・」と語っています。
地方分権の意義を自覚して、全国一斉の学力テストに応じないのは全国で犬山市だけです。学力テストの効果や意義が十分検証されないまま、多額の費用がつぎ込まれ、現場の先生達はテストのためにいっそう忙しくなっているのが現状です。
最近、都内のある小学校で配られた学校便りを目にする機会がありました。それを見せてくれたお母さんは言います。「子どもばかりか、親も一緒に管理されているようで苦しいです」。改正された教育基本法の主旨に沿って、ということのようですが・・・。
「(子ども達には)クラスや学校、地域の一員としての自覚と規範に裏付けられた言動が求められ」とあり、「けじめと規律」「集団の規範、集団行動」など、「規範」が太字で強調されています。もちろん、集団行動に規律は必要なことですが、規則や規律ばかりが強調されるのはどうかと思います。
「保護者会の出席率〇〇パーセントをめざして…」ともあります。これは職員会議の内部資料をそのままコピーして渡しているのではと思われるような細かい内容がビッシリ書かれていて、これを親御さんに配るのはどうなのだろうと疑問に思ってしまいました。
確かに集団の規範も大切ですが、それにはまず一人一人がちゃんと自分の考えを持ち、自分で判断して行動できることが前提ではないでしょうか。
「自ら学ぶ力」を、まず育てる。そのために、学ぶ環境整備に力を注ぐこと。国も地方行政も、そして校長先生も、それを目標にしてくれれば、現場の先生にとっても子ども達にとっても、一番効率の良い「教育改革」になるはずです。
結局、「誰のための教育か」ということのような気がします。子ども自身のためでない教育はゴメンです。
今日は憲法記念日。
憲法の理念を具体化する教育基本法も変えられてしまいましたが、根本の精神は忘れたくないと思います。と言うことで、今日はちょっと固い内容になってしまいましたが、ご容赦下さい。
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桜が咲いたと思ったら、早くも新緑の季節が間近です。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
大学も新入生を迎え、キャンパスにも新鮮な風が吹いています。
学生相談室には、悩みの相談というよりは、教室の場所がわからなくて訊きに来る学生や、自分の必要な情報がどこに行ったらもらえるのかわからなくて、とりあえず相談室にやって来る学生も少なくなく、大学と言えども、やはり新入生の行動は初々しくてかわいいものだなあと思ってみています。
かく言う私も、教室の場所は未だによくわからない複雑構造なので(覚えようとしないだけ?)、一緒にキャンパスの地図を広げては、「たぶんここだと思うけど・・・」なんて答えている始末なんですが・・・。
さて、今年の東大の入学式では、来賓の建築家・安藤忠雄さんが、入学式で親に苦言を呈したのだそうです。学生の入学式参加者が3200人に対して、父母や家族の参加者が5300人という現状に「学生の親離れ、親の子離れを」と話されたそうです(家族の参加は学生一人につき2名までと制限があったそうですが、それに対して、他にも出席したい家族がいるので許可してほしいという問い合わせもあったのだとか)
これは東大だけの現象ではないようです。私の勤務する大学でもこれに類する話が話題になりました。
確かに、折しもお花見の時季、しかも場所が日本武道館で、付近には桜の名所も多いとあっては、地方から、両親だけでなく一家みんなで、花見の旅行もかねて入学式に。というのも気持ちとしてはわからなくはありません。小中高校教育の総仕上げと考えれば、家族の一大イベントとも言えるでしょうし・・・。準備する大学としてはたいへんかもしれませんけれど。
いずれにしても、入学式は日本の春の風物詩。何となく新鮮で、ウキウキした気分になれるのは嬉しい気がします。
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