通りのあちこちからキンモクセイの香りが漂ってきて、秋を深々と深呼吸したい気持になります。
この間など、大学の相談室から通路に出たとたん、キンモクセイの香りがほわ~っと…。ビルの三階、しかも通路も外部とは仕切られているにもかかわらず、です。
吹き抜けのホールから風に乗って吹き込んできたのでしょうか。
この時季、大学の校内にはさまざまな芸術作品が展示されています。毎年、国際野外展覧会(正式名称は?)の会場になっているのです。
建物内外に、布や金属、竹や木、紙など、素材もバラエティに富んだ大小さまざまな作品が展示されていて、キャンパス全体がちょっとしたミュージアム状態です。
「これは何?」と思うような作品もあって面白いです。
とはいえ、帰りを急いでしまってじっくり見ていないのが現状なのですが…。
それでも、吹き抜けのホールに掛け渡された彩り豊かな布の作品は、目にするたびにさわやかで、一年中展示しておいてほしいなあと思うくらいです。
今日はこれから定例のアサーション・トレーニングです。「セレニティ通信」も目下編集中。
それでは、・・・行ってきます。
同じカテゴリーの記事も読む → 雑感
記事に関連するコトバ アート, キャンパス, 大学, 屋外展覧会, 芸術, 野外
ある図書館でのことです。
児童書のコーナーに行き、絵本の棚から一冊抜き出そうとしました。
ところがどうでしょう、隙間なくギッシリ並べられた絵本はとても片手で簡単には引き出せません。一方の手で本と本の間を押し広げて、やっと一冊抜き出すことができました。戻すのもたいへん。さっきと逆に、本の間を押し広げて、間にねじこむように戻さなくてはなりません。
ここは絵本の棚です。子どもの目線の低い位置に作られた棚です。その棚がこんなにギッチリなんです。
おとなの私でさえそうなのですから、子どもがサッと引き出すのはとても無理でしょう。
おまけに、絵本は表紙を見て選ぶことも多いのに、ビッシリ並んでいては背のタイトルしか見えませんし…。
その日は平日の午後早い時間でした。
もっと混んでいると思って覚悟して行ったのですが、拍子抜けするくらいガランとしていました。3歳くらいの女の子とお父さんが一組だけ。
でも、なんだか理由がわかった気がしました。
パラパラとめくって楽しめる絵本。
字が読めなくても、手に取りたくなる本。
何となく手にした絵本がお気に入りの一冊になることもあります。
たまたま手にした一冊が面白かったからという理由で、図書館通いが始まることだって…。
キッカケなんて案外単純なものかもしれません。
それには気軽に手に取れること、これがまず第一。
簡単に抜き出せないほどギッシリ並んだ絵本では、そんな楽しみから遠ざかってしまいそうです。
子どもに歓迎されていないのは、こんなちょっとしたことが原因なのかもしれないと思いました。
いや、でも、よーく考えてみたら、これってちょっとしたこと?些細なことなのでしょうか?
当の子どもにとっては些細なことなんかではなくて、もしかしたら、一番大事なことかもしれません。だって、
「物理的に」手に取りやすいかどうか、ですから…。並べ方一つで、利用しやすいかどうか、何度も通いたくなるかどうか、決まってくるのかもしれませんね。
同じカテゴリーの記事も読む → 雑感
記事に関連するコトバ ギッシリ, 並べ方, 取り出せない, 図書館, 棚, 絵本
東京のお昼時。オフィス街のコーヒーショップに入りました。
明るくおしゃれな感じの店内は、そろそろランチタイムのピークになるらしく、OLや会社員でどんどん席が埋まっていきます。
歩き回ってのどが渇いていたので、とにかく飲み物とサンドイッチを適当に選んで、急いで席を確保。ホッと一息ついて、気づいたことは…。
いつの間にか、店内の席はほとんどが埋まってしまっていたのですが、見たところ、若い人達ばかりなのです。20~30代と思われる人達です。中に一人だけ40代と思われる男性が。そして、オバサンは私だけ。
皆、この近くの会社にお勤めの常連さんらしい雰囲気でした。異次元空間に迷い込んでしまったような感じで、ちょっとソワソワ。
ますます混んできたお店を後に、通りを歩けば、道ですれ違うのも圧倒的に若い人達。
平均年齢30歳くらいの街?かと錯覚を起こしそうな、「新鮮」な体験でした。
かと思うと・・・、
その後、休日にショッピングモールに行ったときのこと。そこでは若いパパ・ママと赤ちゃんと子ども、そしておじいちゃん・おばあちゃん世代が目につきました。
OLや会社員、若者や中高生はほとんど見かけませんでした。
まるで住み分けているみたい!場所によって世代が偏っているのにはビックリしました。。
そういえばいつかこんな声を聞いたことがあります。
「ふだん若い人達とふれあう機会がないので、一度中学生や高校生と話してみたいなあ。」30代のOLさんでした。
私たちは知らず知らずのうちに、意外に限られた生活スペースで、限られた人達とだけ会って生活しているのかもしれません。世代や生活形態によって、生活する場所がハッキリ分かれてしまっているのでしょうか。一昔前にはあまり考えられなかったことだと思うのですが…。
いろいろな世代の人達と交流する機会がほしいですね。
そうしたらお互いを理解しやすくなるでしょう。
生活の彩りも、より変化に富んだものになるでしょう。
これからの街づくりにはそうした視点も欠かせない気がします。
同じカテゴリーの記事も読む → 社会
記事に関連するコトバ 世代, 交流, 住み分け, 場
友人が「ごんぎつね」について、「うちにある絵本(偕成社)では『うなずきました』と」なっていたとコメントをくれました。
そこで、新美南吉の最初の草稿と、「赤い鳥」掲載の鈴木三重吉が手を入れた版との違いを、どこがどんな風に違うのを幾つか抜き出してみることにします。(原文の仮名遣いのまま)
ちなみに、現在出版されている絵本も教科書も「赤い鳥」掲載版がもとになっています。
●「赤い鳥」版
○南吉の最初の草稿
========================================
<盗んだウナギが首に巻きついたまま逃げ出したごんが、[追って]を振りきって、ホッとしてウナギを首からはずす場面。>
●「ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはづして穴のそとの、草の上にのせておきました。」
○「権狐は、ほっとして鰻を首から離して、洞の入り口の、いささぎの葉の上にのせて置いて洞の中にはいりました。」
<自分のせいで鰯屋にひどい目に会わされた兵十に、そっと栗の実を届ける場面>
●「つぎの日も、そのつぎの日もごんは、栗をひろっては、兵十の家へ持って来てやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二三ぼんもっていきました。」
○「次の日も次の日も、ずーっと権狐は、栗の実を拾って来ては、兵十が知らんでるひまに、兵十の家に置いて来ました。栗ばかりではなく、きの子や、薪を持って行ってやる事もありました。そして権狐は、もう悪戯をしなくなりました。」
<ごんが兵十に撃たれた場面>
●「『ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。』」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまゝ、うなづきました。
兵十は、火縄銃をばたりと、とり落としました。」
○「『権、お前だったのか…、いつも栗をくれたのはー。』
権狐は、ぐったりなったまゝ、うれしくなりました
兵十は、火縄銃をばったり落としました。」
———–
「きのこ」が「まつたけ」に!
これらはほんの一例です。
それぞれたいした違いではないと言えば、言えなくもありませんけど…。やっぱり違うと、私には思えてしまうのです。
ごんの性格描写、なんのために栗の実を届けたのかなど、教科書の場合は、そこから何を読み取るかを子ども達に問うわけですから、教材としての「ごんぎつね」に、ついこだわってしまったというわけです。
南吉の最初の草稿はこちらに掲載されています。
【「ごんぎつね」をめぐる謎
~子ども・文学・教科書~ 】
府川源一郎著 教育出版(2000/5)
同じカテゴリーの記事も読む → 教育, 言葉
記事に関連するコトバ ごんぎつね, 教科書, 新美南吉, 結末, 言葉, 違い, 鈴木三重吉
月一回くらいのペースで、アサーション・トレーニングのワークショップを開催しています。
つい最近、ある参加者の方から事務連絡のメールをいただいた折り、こんなひとことが添えられていました。
———————————
ところで、安倍さんの首相辞任は驚きましたね。
安倍さんが、アサーションができていたら・・・・と思う今日この頃。
辞任理由も、率直に、
「体調が悪く、首相の重責に耐えられない自分を感じている」と謝罪していたら、
「無責任」とか「腑抜け」とか非難ごうごうではあっても、ここまでバッシングされなかったのでは、と思いました。
アサーション、大切ですね。
———————————-
う~~ん、なるほどねー、とうれしかったです。
安倍さんとアサーションの取り合わせの新鮮さ。同時に、日常のニュースをアサーションの視点で見てもらえたこと。このことは、メール主の中でアサーションが生活に根付き始めている証ですから。
というわけで、政治家の皆さん、ぜひアサーション・トレーニングを!
自分も相手も尊重しつつ、率直に自己を語る。政治がわかりやすく、力強くなりそうです。
政治に限らず「基本のキ」ですね。
※アサーション・トレーニングとは自他を尊重しつつ、自分を率直に語るための実践トレーニングです。
同じカテゴリーの記事も読む → アサーション・トレーニング, 社会
記事に関連するコトバ アサーション, 安部首相, 尊重, 率直