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「音祭り」の照明に感謝、そしてお別れを
もう2年以上も前になりますが、「2200kmを結ぶ!音祭り」というイベント(音楽ライブ)をやりました。沖縄のシンガーソングライター下地勇さんと、地元さいたまのギタリスト下館直樹さんに出演していただきました。
音楽を通して、心をつなぎ、地域をつなぎ、人と人とのつながりを育てよう、というイベントでした。
出演者、裏方のボランティアさん、それに音響や照明担当の方、ホールの担当者の方など、本当に多くの皆さんのご協力で出来上がったステージでした。
今、そのときの照明担当の北谷さん(女性)のことを思い出しています。打ち上げの時、「チャタンです」なんて冗談を言われてました(沖縄方言では北谷をチャタンと読むそうで…)。北谷さん自身は沖縄のご出身ではないのに、でも、チャタンと読む方がお似合いの、沖縄の空気を感じさせる方という印象が私にはありました。
北谷さんの照明はとってもステキでした。下地さんの歌にピッタリの照明をアレンジして、ステージを盛り上げていました。北谷さんにお願いできたらいいなあ、と思いつつも、とても弱小セレニティでは無理だと諦めていました。
でも、あるとき、都内であった下地さんのライブの終了後、お見かけした北谷さんに声を掛けたところ、「音祭りの企画ができたら、一応声を掛けて」と仰ってくださったのです。傍らでは、同じミュージシャン仲間の下館さんが(彼は、音祭りの企画に陰ひなたとなって協力してくれた功労者です)、「とても無理ですよ」と私に小声で忠告してくれていました。
そして、いよいよ企画が固まってきた頃、本来の金額ではとうていお願いできないような厚かましいお願いをしたにもかかわらず、採算度外視、しかも職人肌の内容重視と心意気で、数人のアシスタントとともに、泊まりがけで当日の照明を引き受けて下さいました。そのおかげで、本当に素晴らしい照明のステージにすることができました。
北谷さん曰く、「日頃セレニティの活動のことを(下地さんから)聞いているから」と、温かいご理解を頂けたことが、とてもうれしかったです。その橋渡しをしてくださった、下地さんやマネジャーのOさんのおかげでもあります。
音祭りは、こうした目に見えないところで、皆さんからたくさんの贈り物を頂いてできたものなのだと、今でも思い返すと感謝の気持ちでいっぱいになります。
北谷さんのお仕事ぶりは、舞台裏でちょっと拝見しただけですが、厳しく、熱く、「職人」を感じさせました。
また、いつか下地さんライブなどでお目にかかれるだろうなあと思っていたのです…。
でも、その北谷さんが、5月下旬に急逝されたとの知らせを、つい最近聞かされました。まだ、私よりずっとお若い方です。元気なお顔が浮かんできて、にわかには信じられませんでした。
先日の、手塩研のメンバー浜田先生といい、このところ、ご縁のあった方々とのお別れが続いてしまいました。やはりお別れは辛いです。
改めて、音祭りの照明に感謝しつつ、北谷さんのご冥福を心よりお祈りいたします。合掌