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派遣村を出て実家に帰る選択は有る?
昨年暮れからお正月明け頃まで、日比谷公園に「派遣村」ができました。全国から集まった派遣切りにあった人達に対して、「行くところがなかったら実家に帰ればよいのに」と言う意見もあったと聞きます。
それは難しいなあ、と言うより無理ではないかなあ。と瞬間思ってしまったのは私だけでしょうか。
なぜなら、実家に帰れない(帰りたくない)事情があって、ネットカフェに寝泊まりしていたのでしょうから、仕事や泊まる所がなくなったからと言って、突然「実家に帰ろう」ということには、なかなかならないと思ったのです。
日ごろ、大学生の話を聞いていると、話題が直接家族との関係に触れていなくても、学生達と家族の人間関係の温度の高低みたいなものは伝わってきます。
特に家族の仲が悪いというのではないけれど、なんとなく疎遠…というような感じも多く見受けられます。
では、学生達が家族のことを無視しているのかというとそうではなく、むしろ気遣っているからこそ、自分が迷惑を掛けないようにしようとして、疎遠になっている。そんな感じです。
そして時には、同じ家にいてもほとんど話をしないとか、生活リズムが違うため顔を合わせる機会がほとんどないとか、食事は自室に持って行って一人で食べるとか、…家族というより同居人みたいな感覚に近いかなあと思ったりするときもあります。
これらは良い悪いの問題ではなく、人によって、状況によって、生活していると自然にそうなっていく、そんな現状社会一般の状況が現にあるということだと思います。
同じ一つ屋根の下に暮らしている家族の中であってもこうした状況です。仮にもし、ある人が派遣切りにあった場合、その人がふだん家族と連絡をとっていなかったとしたら、その状態からいきなり、「仕事も住む所もないから実家に帰ろう」とすんなり決められるものではない気がします。
そんなことを思っていた矢先、精神科医で引きこもり問題に詳しい斎藤環さんの講演を聴く機会がありました。
そしたら斎藤さんが、「派遣村の人達は実家に帰ればいいという話があったけれども、それは彼らの選択にないでしょうね」と、サラッと言われました。
思わず、「オっ?」と思ったのですが、斎藤さんの場合は、私とは少しニュアンスが違うのです。実家が逃げ込み先にならなくなったのが「ネットカフェ難民」と言われている人達だというわけです。
イギリスでは若年ホームレスが26万人だそうです。日本のネットカフェ難民は一応5000人とされています。
イギリスの場合、「パラサイトは恥」という文化社会の国なので、家に居続けるわけに行かず、ホームレス化することになっってしまったのであり、日本の場合、今までは「引きこもり」という形で家が抱え込む力を持っていたのだと言えます。
家に抱え込む力がなくなったとき(不況もその一因)、ネットカフェへ流れたのではないかというのが斎藤さんの意見でした。だから、また家に戻ると言うことは考えられないというわけです。
いずれにしても、家族、個人、社会、文化、いろいろな意味で、変化や柔軟な思考を鍛えられずにはおかない状況のように感じます。
柔軟な思考と変化で、この先いつまでついていかれるかしら?
と、ちょっと自分に不安。
&、ちょっとこれからの社会の変化に期待。期待というのは、思いがけず、既存の価値観や方法にないものが見つかるかもしれないという期待です。