関連するコトバ 『 新美南吉 』
ごんぎつね 続きの続き
友人が「ごんぎつね」について、「うちにある絵本(偕成社)では『うなずきました』と」なっていたとコメントをくれました。
そこで、新美南吉の最初の草稿と、「赤い鳥」掲載の鈴木三重吉が手を入れた版との違いを、どこがどんな風に違うのを幾つか抜き出してみることにします。(原文の仮名遣いのまま)
ちなみに、現在出版されている絵本も教科書も「赤い鳥」掲載版がもとになっています。
●「赤い鳥」版
○南吉の最初の草稿
========================================
<盗んだウナギが首に巻きついたまま逃げ出したごんが、[追って]を振りきって、ホッとしてウナギを首からはずす場面。>
●「ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはづして穴のそとの、草の上にのせておきました。」
○「権狐は、ほっとして鰻を首から離して、洞の入り口の、いささぎの葉の上にのせて置いて洞の中にはいりました。」
<自分のせいで鰯屋にひどい目に会わされた兵十に、そっと栗の実を届ける場面>
●「つぎの日も、そのつぎの日もごんは、栗をひろっては、兵十の家へ持って来てやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二三ぼんもっていきました。」
○「次の日も次の日も、ずーっと権狐は、栗の実を拾って来ては、兵十が知らんでるひまに、兵十の家に置いて来ました。栗ばかりではなく、きの子や、薪を持って行ってやる事もありました。そして権狐は、もう悪戯をしなくなりました。」
<ごんが兵十に撃たれた場面>
●「『ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。』」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまゝ、うなづきました。
兵十は、火縄銃をばたりと、とり落としました。」
○「『権、お前だったのか…、いつも栗をくれたのはー。』
権狐は、ぐったりなったまゝ、うれしくなりました
兵十は、火縄銃をばったり落としました。」
———–
「きのこ」が「まつたけ」に!
これらはほんの一例です。
それぞれたいした違いではないと言えば、言えなくもありませんけど…。やっぱり違うと、私には思えてしまうのです。
ごんの性格描写、なんのために栗の実を届けたのかなど、教科書の場合は、そこから何を読み取るかを子ども達に問うわけですから、教材としての「ごんぎつね」に、ついこだわってしまったというわけです。
南吉の最初の草稿はこちらに掲載されています。
【「ごんぎつね」をめぐる謎
~子ども・文学・教科書~ 】
府川源一郎著 教育出版(2000/5)
ごんぎつね 続き
前回、ごんぎつねについて書きましたが、訂正があります。
訂正箇所↓
===================
鈴木三重吉と言えば、日本で最初の児童文芸誌「赤い鳥」の主宰者です。当時新美南吉は18歳の新人ですから、手を入れられても異を唱えることはできなかったでしょうね。
私は別に南吉ファンでもなんでもありません。でも、今回原文と教科書の文と両方を比べてみると、新美南吉が生きていたら、不本意なんじゃないかなあと同情したくなりました。
=====================
調べてみてわかったことは、三重吉の手の入った「ごんぎつね」については、南吉自身が了承していたらしいので、教科書の「ごんぎつね」についてもその線で考えた方が良いと思いました。推測で書いてしまったので訂正します。失礼しました。
ということで、南吉が書いた最初の草稿「権狐」と、三重吉の手の入った「ごんぎつね」の二つは、別の作品と捉えた方が良さそうです。
前者が昔話に近いとすれば、後者は言葉や体裁の整理され洗練された近代小説に近いといった感じでしょうか。二つは味わいがかなり違います。別物と考えれば、どちらが良いかというよりも好みの問題になりますね、きっと。
ごんぎつねが繰り返し教科書に取り上げられ、教材として成長していること自体はすごいことだと思います。でも同時に、そこに盛られた日本人の精神風土(たとえば死の美学のような)にも自覚的でいたいと思うのです。
その点で、私の感じた違和感とは、教科書に掲載されている「教材」だからこそなのだとわかりました。絵本や読み物としてみれば、ごんぎつねはとても魅力的なお話だと思います。
教材は子どものものの見方・考え方を養います。感性を育てると同時に、自分を見つめ、社会との関わりを探る力を育てるのも言葉の力です。
いじめや学級崩壊も、そうした言葉の力と関係している気がして、もっともっと子ども達にダイナミックな国語教育をと思うのです。
「ごんぎつね」の表現の違い
日曜日は手塩研でした。小学校の先生の研修会です(詳しくはHPを)。
研修会と言ってもほとんど個別指導に近い少人数で、和気藹々と中身は濃く、楽しんで私も参加させてもらっています。
今回もいろいろ学ぶことが多かった中で、一番印象が強かったのは4年生の教科書に載っている新美南吉作の「ごんぎつね」のことです。
実は、南吉が書いた原文とは異なる鈴木三重吉の手が入ったものが、長年教科書に採用されてきたもののようです。
鈴木三重吉と言えば、日本で最初の児童文芸誌「赤い鳥」の主宰者です。当時新美南吉は18歳の新人ですから、手を入れられても異を唱えることはできなかったでしょうね。
私は別に南吉ファンでもなんでもありません。でも、今回原文と教科書の文と両方を比べてみると、新美南吉が生きていたら、不本意なんじゃないかなあと同情したくなりました。
私自身が「ごんぎつね」に接するたびに感じていた違和感があながちピントはずれではなかったみたいです。
例えば、ごんを撃ってしまった兵十が「ごん おまえだったのか?」と問う最後の場面での、ごんの心情描写の違い。教科書ではごんは「うなずきました」となっていますが、原文は「うれしくおもいました」です(記憶に頼って書いているので、言葉は正確ではありませんが)。
細かい言葉の修正で全体の印象が随分違ってくるし、読後の感想も変わってきます。
機会があったらもっと調べてみたいと思いました。
こんな資料もありました。
引用です。
—————————
「ごんぎつね」のようにすべての教科書に掲載されている作品が、学習者に与える影響は、きわめて大きい。というのは、義務教育を受けようとする限り、どの子どもも必ずこの教材をくぐることになるからである。大げさにいうなら、日本人としてのアイデンティティの形成に関わる問題でもある。これは、検討に値する問題だろう。