セレニティカウンセリングルーム

関連するコトバ 『 瞑想会 』

彼岸花の群落

夏の間開け放っていた窓を、しっかり閉めてもまだ寒いこの頃です。虫の音も弱々しく、震えるように聞こえてきます。

一昨日は大学へ通うバスの窓から、彼岸花の群落を見ました。田んぼや畑の広がる真ん中を、一筋、川が流れています。その緑の土手に、真っ赤な彼岸花の群れがあっちにもこっちにも。あんなにたくさんの彼岸花は見たことがありませんでした。なかなか壮観な眺めでした。

このところ、11月の催しの内容についてなど、いろいろ検討しています。久しぶりの「セレニティ瞑想会」の内容や、「アサーション・トレーニング」のご案内についても。
良い内容をお届けできるようがんばります!

お別れ

「旧年中も、ワークショップ開催のご連絡をいただきまして、ありがとうございました。
今年が、よい年でありますように……。」

一通の年賀状が手元にあります。今年の元旦に頂いたものです。伊勢市二見ヶ浦の日の出が赤々と映し出されています。いつも通りのしっかりとした筆跡は、とても厳しい闘病中に書かれたとは思えないほどです。

このときすでに、かなりご病状は悪化していらしたのだと後に知りました。どんな思いでこの年賀状を書かれたかと思うと、胸が詰まります。

……………

昨日留守電が入っていました。Ha先生の訃報でした。
セレニティの開設間もない頃から、ずっと教師研修その他の催しに参加してくださった小学校の先生です。

瞑想会の初期からのメンバーで、2004年の音祭りにも遠方から参加してくださって、手拍子で楽しんでくださいました。茨城での泊まりがけの手塩研セミナーにも参加されました。

そしてここ数年、ご病気と診断されてからも、度重なる手術と治療で体力を消耗されつつも、ひたすら教育者として研鑽の道をと、あれこれ研修会に参加され、「少しゆっくりされては?」との周囲の声ももどかしそうに、再び教壇に立つ日を胸にがんばっておられました。

思い出します。
白浜での宿泊研修の折り、釣り竿とバケツを手にしたHa先生を写真にパチリ!ちょっと得意そうに見えました。その日一番釣れたのはHa先生。「昔とった杵柄ですね」とみんなで笑い合ったときの、先生の照れくさそうな笑顔。私の知っているHa先生の一番楽しそうな笑顔でした。ヤンチャな釣り好き少年が顔を覗かせて…。

Ha先生と私は同い年。なのに、なぜか先生と話すときは「です、ます」調になってしまったのは、先生の律儀で誠実なお人柄のせいだったかもしれません。

今でも、何だか信じられないのです。うっかりすると、また今まで通りに、ワークショップのお知らせをお送りしてしまいそうで…。

今はただ、感謝の言葉があるだけです。長い間、どうもありがとうございました。そして、さようなら、Ha先生。

これからもセレニティはがんばりますよ。先生の、教師として、最後まで教室の子ども達のことを思っていらしたお気持ちを大事にしつつ…。手塩研を見守っていてくださいね。

合掌

明日8日はセレニティのイベント…

「明日8日は」とタイトルを書いてから、そうだ真珠湾攻撃の日だったんだ、と気がつきました。で、確かめるためにネットを検索したら、ビートルズのジョン・レノンが銃弾に倒れた日でもあったのですね。(だから夕刊にもジョンレノンの記事が、と納得)

とは言ってもタイトルはそれとは全然関係なくて、セレニティのイベントの話なんです。

明日は午前中が「ミニ瞑想会」、午後が「冬のオシャベリ会」があるのです。

ささやかな会ですが、ゆったりと充実したひとときを過ごしたいと思います。

会場は、二部屋続きの広めの和室。ビルの中なのに、障子を通した柔らかな光が、明るい中にもどこかホッとした<和の空間>を作ってくれます。やっぱり畳って和みますね。

ワタクシ目はこれから明日の準備です。もし、これを読まれて明日フラッと行ってみようかなという方がいらっしゃいましたら、どうぞご遠慮無くお越しくださいませ。^^)お待ちしていま~す。

明日の詳しい内容はこちらを。

ではでは、今日はこれにて。

久しぶりの瞑想会…自分を「見る」

終わって外に出ると、昼間の暑さが残るものの風はさわやか。夕方5時と言っても今は明るいですね。土曜の夕方だからか、道行く人も何となくのんびりしていて街がゆったり感じられます。

瞑想会の後のこのリフレッシュした自分をいつも感じられたらいいと思うのだけれど、すぐにいつものバタバタとした日常にもどっってしまうのですよね。

とはいえ、ふだん「自分を見る」ことなんてまずないので、とても貴重な時間になっています。

瞑想会では毎回、「自分を見る」ということをします。いろんな方法で。
この場合、「見る」のは、反省したり、評価したりということじゃなくて、ただ「見る」ということ。
良いとか悪いとかじゃなくて「見る」だけ、なんです。

ちょうどお母さんが見ていてくれると子どもは安心して遊んでいられるのに似ています。自分で自分を見てあげることで、安心して自分が自分でいられるということ。

何だかわかんないなあ、雲をつかむような話だ、って思われますか?

う~ん、そうかも…。
もし機会があったら、ぜひ一度体験してみてくださいね。実感をつかんでいただけることと思います。