セレニティカウンセリングルーム

関連するコトバ 『 自己表現 』

原稿書き

すっかりご無沙汰してしまいました。本当に申し訳ありません。

以前に少し触れたかと思いますが、今、本の執筆のお話を頂いて、慣れない原稿と格闘しています。テーマは「ちゃんと自分の気持ちが言える子に」です。内容は子どもの自己表現についてでして、アサーション・トレーニングの考え方ををベースに書いています。編集の方とやりとりしながら進めているのですが、私自身、改めていろいろなことを学ばされています。

自分の思いを的確に伝えることの難しさ、自分自身の自己表現への振り返り等、自らの非力を痛感しつつ、いただいた機会に精一杯応えられるよう、今できることをやりきりたいとがんばっています。

気持ちを込め、必要とされる読者に届きますようにと、祈りを込めて書いています。

応援していてくださいね。
ご無沙汰のお詫びのつもりが、今度はお願いになってしまいました。

校長先生も「自己点検」だそうで

すっかりご無沙汰してしまいました。

最近ずっと、原稿依頼の仕事を頂き、まとまった原稿を書いていまして(これはまとまった量ということで、内容の方は全然まとまらなくて困っているところなのですが…^^;)、それが子どもの自己表現に関する内容なので、自然に「意思表示」とか、「子育て」とか、「親子」「家族」「教育」とか、いろいろな切り口のコミュニケーションに関する断片が、頭の中をグルグルと渦巻いている感じです。

「自己表現における言葉の持つ力」という意味でも、すごくいろいろなことを考えさせられています。

私たちが何かを表したいと思ったとき、それは言葉だけでなされるものではないけれど、やはり言葉の持つ力というのは大きいと思います。

ちょうどそんなことを考えているときに、新聞で東京都教育委員会が校長先生に対して行った「学校経営自己点検表」というのを知りました。私自身、「表現とは何か」と言うことをいつも以上に意識しているときだったので、先生方の意見表明、すなわち学校での先生方の発言がどのように扱われるかということに興味がありました。そして、東京都の現実を知って、大きな違和感を覚えてしまいました。

まず最初に、「学校経営自己点検表」なるものがあること自体、ビックリ!

これは、学校経営に関して、校長先生自身が〇△×の三段階評価によって、自己点検するために作られているのだそうです。何を点検するかというと、校長先生が教職員の意見を聞かずに、自分自身の判断でものごとを決定しているかどうかということらしいです。普通に考えれば、担当の先生や詳しい知識を持った人、あるいは経験者など、いろいろな人の意見を聞いた上で、最終的に校長自身が決定を下すというのが、望ましいあり方のように思うのですが、どうもそうではなく、むしろ教職員の意見を聞いたりしないで校長先生が自分だけで判断しなくてはいけないということのようです。それに関するいろいろな点検項目があります。

職員室の意見交換が、まったくなければ『〇』なのだそうで・・・。世間一般の常識とは正反対です。

職員会議での「挙手」や「採決」もダメで、意見交換もないとしたら、先生達ストレス溜まらないでしょうか?校長先生だって、やりにくいでしょうねえ。

事務連絡の伝達をするだけの職員会議だったとしたら、とても虚しい気がします。教育活動は人間を相手にするお仕事なのですから、一日過ごせばいろいろな思いが先生達の中にあるはずです。職員室や会議で、お互いの情報交換や、うまくいったこと、いかなかったことなどを自由に出しあうことで、切磋琢磨し、子どもと笑い合うゆとりも生まれるというものです。

先生達がもっと自由に思ったことが言え、子ども達も安心して自分の意見や気持ちを表現するようになってほしいなあ。

アメリカの大統領選挙のニュースを見ていると、人々を動かすあの言葉のパワーと、意見の応酬は魅力的に映ります。言葉を駆使して、議論し、理解を得、相手を納得させ、社会を動かしていく。アメリカに限らず、そういう国際社会を相手に、ちゃんと意見表明するには、日頃から自分の気持ちや意見を言う習慣がないと言えません。子ども達のために、教育の場がまず、意思表示できる場所になってほしいと思います。