関連するコトバ 『 日本国憲法 』
「アサーション」と人権、そして憲法
またしても長いことブログの更新をサボってしまいました。
本当にごめんなさい。
書きたいことがなかったわけではないのですが、気づいたら2ヶ月近くにもなってしまって・・・。
ところで、夏から秋にかけての夕暮れ時は、ビックリするくらい鮮やかな夕焼けを見られる時があります。
先日、ワークショップのレジュメ作りにちょっと行き詰まったとき、ふとカーテンを開けたら真っ赤な夕焼けが・・・。
こんなとき、思わず誰かに教えたくなってしまうのはなぜでしょうね。
「ねえ、見て!見て!夕焼けよ!」って・・・・。写真ではその十分の一もお伝えできていないので、この十倍の鮮やかさだと思って見てくださいね。
さて、今日はアサーション・トレーニングについて、人権とのからみで少し書きます。
アサーション・トレーニングでは毎回、基本的な考え方をお話しする中で、人権についての話もします。自己表現は基本的人権の主要な権利の一つだからです。
基本的人権は、人種・性別・能力・職業・地位などに関わらず、すべての人が生まれながらに持っている権利です。
だから、基本的人権である自己表現をしないままでいると、長い間には自分の気持ちがわからなくなったり、小さな事でも自分で決めることが難しくなったりという弊害が出てくることがあります。だから、些細なことでもちゃんと意思表示することは大事です。と、自己表現の大切さは、基本的人権を行使することでもあるという流れでお話しします。
実際、トレーニングの中で、自分の思いを自分の言葉で表現できたとき、誰もが本当に生き生きと輝いてきます。表情が和らいで、エネルギーが体の中から解放されたかのように変化します。特別大胆な何かを口にしているのではないのです。日常のちょっとした一言なのですが、それが口にできるかどうかはとても大きな意味を持つのです。こうした変化を目の当たりにすると、一人ひとりが素晴らしい個性をもった存在なんだって実感させられます。
こんなふうに、アサーション・トレーニングの度に自己表現の大切さと、自己表現を保障されているありがたさを実感しています。
ですから、今、問題になっている憲法については、個人的にも仕事上でも、私にとって非常に大きな関心事でもあります。自己表現の自由が保障されなくなる懸念があるからです。
私たちは戦後の日本で、今日まで平和憲法に守られて生きてきました。空気のようで目に見えないけれど、確実に私たちは憲法によって守られていました。その私たちが、将来の世代に対して、人権をないがしろにした社会で生きることを押しつけるなんてできません。
戦争の記憶が薄れていく中、親世代から戦争の話を聞くことのできた最後の世代が私たちです。やがて戦争を記憶している人がいなくなったとしても、平和な社会づくりへの貴重な道筋を示してきた日本国憲法を「守る」だけでなく、「守る」から「使う」へ、そして「使い続ける」、さらには「使いこなす」日本であってほしいと願っています。
自分にできることは小さいですが、やれることをやっていきたいと思います。
夕焼けの美しさを、安心して心から美しいと思えるのも、平和であればこそですものね。
69歳の最長老、でも最先端!
今日も暑いですねえ。
毎日、「暑い!暑い!」としか
言っていないような気がします ;^^)
バジル・ベゴニア・ポトス・・・・鉢植えの水やりも大忙し。
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さて、昨日の続きです。
「空気のように」で思い出したエピソードを書きます。
元津田塾大学教授のダグラス・ラミスさん(沖縄海兵隊としてベトナム戦争に従軍。除隊後、日本で平和運動に参加)が、ある時、講演でこんなことを言われました。
「『日本の平和運動は力がない。年中平和を訴えているだけではないか?』という批判の声を聞くことがあるけれども、仮にそうだとしても、憲法を守ってきたそのことは決して何もしなかったことではない。ちゃんと成果を上げている。
たとえば、アメリカの男の子は、『もしかしたら自分は一生のうちのどこかで、人を殺すことがあるかもしれない』と思って育ちます。では、日本ではどうですか?おそらくそんなふうに思って育つ子はいないと思います。子どもが自分は人を殺すことがあるかもしれないと不安を抱えて大きくなる国と、子どもがそんな不安を抱えずに大きくなれる国。平和憲法があるということはそういうことなんです」。
空気のような存在というのはそういうことなのだと思います。私たちは知らないうちに実に多くの恩恵を受けているのではないかと思います。失ったときにそれがきっとはっきりわかることでしょう。失ってわかったのでは遅いですね。失う前に、もっと目や耳を澄ませて、頭を使って感性をとぎすませて、大事な物を守る必要があるのではないでしょうか?
子どもや孫や、ずっと先の世代までも、私たちと同じように戦争のない世界で生きてほしいと、イスラエルやウクライナなど世界の紛争の惨状を見聞きするにつけ、願わずにいられません。それは日本人だけが平和なら良いというエゴなどではとうていありません。憲法の理念を守り実践することこそが、日本だからこそできる平和のための現実的な行動なのだと思います。
紛争の絶えない世界にあって、日本が戦後一人の戦争犠牲者も出さずにきたことを誇りに思って、もっとこの恩恵を世界の人と分かち合えるように、憲法の理念を世界に広げていくことこそが、この憲法の恩恵に浴してきた日本人としてやるべきことではないのか?自信を持って、日本は戦争をしないと決めたと胸を張り、武器を持たない手で握手することが、世界への希望のメッセージになるのではないか?そう胸の内で何度も繰り返してきました。
私がそう思ったからといって、「だから?」状態なのですが、それでも一応こうして文字にしてみようと思いました。具体的に何をするかは人それぞれとしても、思っていることを口にすることは行動への足がかりになるのではないかと思います。何が出来るかわからなくても、とりあえず一人の声として発していく。その先はまた考えながら動ければよい。今はそんなふうに思っています。
イラク戦争の時、戦火を逃れて日本に来た女医さんが語った言葉を思い出します。
「爆弾の降ってくるイラクで思ったのは、イラクにこそ日本のような平和憲法がほしいということでした」
日本ができる世界の人々への貢献は何かと考えたとき、その貴重なヒントがここにあるように思います。
だから、平和憲法を簡単に捨ててはいけないし、むしろ、世界のためにも。今ある憲法を生かし、もっと強固に民主主義を育て、人権を大切にしていかなくてはならないのではないでしょうか。それは戦争のできる「フツウの国」になるよりも、おそらく何倍も何倍も難しいことだと思います。でも、それをする価値は十分にあります。
なぜなら、2012年に発表されたアメリカの法学者グループの研究では、世界188ヶ国中で日本の憲法は世界最新の優れた憲法の一つと報告されているからです。最長老の65歳だけど、最先端の憲法と遜色がないそうです。「制定から一度も改定されていないから時代に合わなくなっている」というのは間違いです。一度も改定されていなくても、日本の憲法は世界でも最先端の憲法の一つなのです。少しも古くなどないのです。『日本国憲法今も最先端』※
自信を持って憲法を守り、私やあなたにつながる人たちがこれからも安心して暮らせるように、そして世界にもその恩恵が広がるように、私たち一人ひとりができることから動いていかれたらと思います。
※<朝日新聞2012年5月3日に紹介された記事を基にしています。資料が手元にないので記事を紹介したブログをリンクさせていただきました。検索で出てきた共産党市議さんのブログです。ありがとうございました。>