関連するコトバ 『 桜 』
春爛漫の千鳥ヶ淵
新学期がスタートしました。
大学も初々しい新入生の姿が見られ、キャンパス全体がリフレッシュした空気が感じられます。何度経験しても、この4月当初の雰囲気は心躍らせるものがあって好きです。
新学期といえば桜がつきものでしたが、今は開花が早くなり、入学式の頃は葉桜なのがちょっと残念ではあります。
お花見と言えば、3月の末に何年ぶりかで千鳥ヶ淵へ桜を見に行きました。
この日はあいにくの薄曇りで、おまけに夕方近くだったので、花の色があまりくっきりとは見えていませんが、逆にしっとりと落ち着いた風情を楽しむことができたので、これはこれでよかったかなと思います。
千鳥ヶ淵周辺は、コロナが落ち着いてきたせいか、海外からの観光客と思われる人たちも大勢散策していて、平日であるにもかかわらず結構な人出でした。
それでも、お花見をする人の顔はみな穏やかで楽しそうで、人の数は多くてものんびりと歩くことができたので、まさに春爛漫を味わった午後でした。
春です、桜です!
新入生や社会人一年生の初々しい雰囲気とともに、うららかな春の空気が街に溢れています。
今年は勤務校でも通常通りの授業形態に戻るようで、2年ぶりに全学生が登校しての授業が再開されます。このままコロナ禍が収まってくれますように、と願うばかりです。
そして早くマスク無しで安心しておしゃべりしたり、深呼吸できるようになりたいものです。
写真は昨日の大宮公園ですが、ちょうど満開の時季で家族連れや若い人たちが大勢。
例年散り始めた頃にあわててお花見に出かけることが多かったので、今年は何とかがんばって満開の頃に間に合ったようです。
小枝の先には、掌で包み込めそうないくつもの花が丸く塊になってこぼれ落ちんばかりでした。
めいっぱい開ききって、でも花びらが落ちるまでにはまだ後少し時間がある。。。。そんな感じのギリギリの満開。
我が家のベランダにも、今日初めて桜の花びらがどこからともなく舞い込んできたので、公園の桜も今日あたりは散り始めているかもしれませんね。
お花見の季節の日比谷公園
例年お花見の時期を逃していた私ですが、今年はこれから満開という時季に桜を見ることができました。
東京で用事をすませた後、本当は千鳥ヶ淵まで足を伸ばしたかったのですが、この日は履き慣れない靴だったので足が痛くなるのを避けて日比谷公園で我慢しました。
「我慢」というのは、日比谷公園は桜の木の本数がそれほど多くないのです。なのでお花見で賑わうことはあまりないように思います。ですが、私としては結構好きな公園です。
桜の季節に限らず、いつ行っても花壇にはその時々の花々が咲きそろい、樹木が季節の変化を見せ、歩く楽しみと憩いを提供してくれます。コンパクトだけど幹線道路からサッと入ることができて、ほんの1~2分で静かな環境に浸れる、まさに都会のオアシスだと思います。
昼下がりの公園では、若葉の木々が都会のど真ん中にいても深呼吸したくなるくらいの開放感と、芽吹く季節の躍動感で全身を包んでくれました。この日はコロナのせいなのか、以前のようにベンチが人で埋まることもなく、のんびり散策する人の姿が目につきました。
一方、数少ない桜の木の下にはスマホをかざす人が5~6人。
日比谷公園の桜の木は、千鳥ヶ淵や上野公園の桜よりも絶対1本ずつへの注目度・人気度が高いはずですね。
晴れて風も強くなかったので、お花見には絶好のお天気でした。
満開には早かったですが、散り際の桜ではなく、今年はちゃんとお花見ができてホッとしました。お花見は別に義務でもないのに、行かないと何か春のイベントをやり残したようなもったいないような気になるのが不思議です。
昔の人が桜の季節になると気もそぞろになったというのも何となくわかる気がします。それを歌に詠んで文化にまで昇華した時代のダイナミズムと包容力を感じます。娯楽が少なかった時代だからこそかもしれませんが、月や花がもっともっと身近な存在だったでしょうね。そう考えると、年に一度桜の開花に気もそぞろになるのも悪くない気がしてきました。
世界が一変した今、満開の桜に思うこと
かれこれ20年、ずっと続けてきた瞑想会。会場もほとんど毎回同じ場所を借りて開催してきました。その会場に向かう駅前にある八重桜。毎年美しい彩りで楽しませてくれます。
その桜が一年で一番美しいこの時季。
こんなに満開なのに、今年は瞑想会の参加者の皆さんに見てもらうことはできませんでした。
3月も、4月も、会場が一斉に閉館になってしまい、必然的に瞑想会はお休みに・・・。
コロナの影響はまだまだ先が見通せません。あと数年は覚悟しなくてはいけないみたいです。そんな中、世界中のあちこちで、人間が消えた街の中、川の中で、いろいろな生き物の活動が見られるようになったとか。鹿が街中を歩いていたり、クラゲが運河を優雅に泳いでいたり。人間がいると出て来られなかった生き物たちが、珍しい空間を探索しているかのごとくです。
先日、たまたまテレビをつけたら「マトリックス」を放映していました。あの有名なアクションシーン以外、私はストーリーもろくに知らなかったのですが、前半のある登場人物が言う台詞にこんなのがありました。
「この地球上の生物はみんな互いに均衡を保って生きている。人間だけが他の生物を浸食している。ただ、宇宙には人間以外にもう一つ浸食してくる生物がいる。ウィルスだ。」(だいたいこんな感じ。意訳)
なんとタイムリーな!それを狙っての放映かどうかわかりませんが、まさに今の状態がそれですね。たった数ヶ月前とは世界が一変してしまいました。
この感覚。東日本大震災の時に近いものがあります。地震、津波、それに続く原発事故。放射能汚染。あの時よりは、コトの脅威を多くの人が共有できているように感じています。ウィルスの脅威は放射能より視覚化されやすく、体感されやすいからなのでしょう。放射能の危険もまだまだ解決しないどころか、何世代にもわたる課題ですが・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
コロナの後の世界は今までと同じではないし、同じにもなれないと言われています。ではどんな世界になるのか、どんな世界にしたいのか。私たち一人ひとりが問われています。こんなに一気に、直球ど真ん中を突いてくる課題もそうそうありません。自分の生き方が、人との関わり方が問われている今。
と言いつつだらだらと過ごしている私。それでも頭の?心の?身体の?どこかでいつも何かを模索し続けているような不思議な感覚がずっとあります。
もうすぐ大学の授業も始まり、相談業務もオンラインと、電話対応という慣れない業務形態に高齢者(私)がついて行かれるのかと緊張と不安を抱えつつ過ごす日々。
ほんとうに、まとまりないおしゃべりになりました。
皆様、くれぐれも、本当にくれぐれもお身体に気をつけて、健康第一にお過ごし下さいませ。この危機をみんなでいたわり合い、助け合って乗り越えましょう。そのためにもまず自分自身を大切に、嬉しいこと、楽しいことを忘れずに!
瞑想と、「アサーション」もね~~^^)!
春のエネルギー
今年の桜はお天気のせいか、比較的長く楽しめたように思いますが、皆さんはいかがでしたか?
写真は10日くらい前の公園で。。。
この日はあいにく、雨上がりの曇り空。
でも、しっとりした桜もなかなかいいものでした。
春になって、桜が咲き、木々が新緑に輝いてくると、何か気持ちまで新しくなったようで、その新鮮な感覚に、自分でも驚きを感じることがあります。
新しいことにチャレンジしたり、同じことをやるのでもちょっとやり方を変えてみたり、いつもより少しだけ冒険したり。
どこかにその新鮮な感覚を生かしたくなるというのかな?
こうした、季節や自然の中で私たちの中に自ずと起こってくる気持ちや身体の変化にしっかり耳を傾けて、
気づいて、
受けとめて、
エネルギーとして取り込んだら、
自分が心地よくなれることに、このエネルギーを存分に使ってみたいものです。
散歩しながら思いっきり深呼吸するなんていうささやかなことでもいいですね。
春の息吹を自分の中に取り入れるつもりで。
なんといっても、人間も自然の一部なのですから・・・・
私自身ウキウキとそんな気持ちで過ごして、あれこれ春休み中にやりたかったことにチャレンジ(といっても、部屋の模様替えやクッションカバーを作るとかいった雑用のたぐいなんですが)。それでも、楽しく片付けたりしていたのですが、。。。。やりすぎて新学期そうそう、少々疲れ気味・・・・。
あ~、歳を考えなければと反省しきりのこの頃です。
皆さまも春のエネルギーにはくれぐれも翻弄されませんようほどほどに・・・。