セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 雑感 』

紫陽花・ヒマワリ、エトセトラ

先日のガーベラのパネルのあった花屋さんに、この日はアジサイがいっぱい!アジサイは紫陽花と書くとピッタリな気がします。

以前、三宅島を訪れたとき、森(原生林?)の中で、人の背丈を優に超す大木の紫陽花を目にしてビックリしたことがあります。その自生の紫陽花は、縦横に大きく枝葉を広げ、花の大きさも「オバケアジサイ」とでも言いたいほどの巨大さでした。人の訪れない場所では、植物は本来の野生を取り戻すのかもしれませんね。

写真の紫陽花は品種改良された園芸種なのだと思いますが、実に様々な色合いの花がありますね。奥のスモークの掛かったような赤紫色も微妙なニュアンスがあって素敵です。秋色の花束にも似合いそう。

やっぱり、夏の代表的なお花といえば、これでしょう。
上の写真は、鮮やかながらお行儀の良いたたずまいの都会的なヒマワリ。
そうそうヒマワリも漢字で書けば「向日葵」。どなたがつけたのか、うまい当て字で感心します。

下はデパートのポスターに描かれたヒマワリ。その力強さと色合いの美しさに惹かれました。
この写真では伝わりませんね~。残念!
画家の木村英輝さんの作品だそうです。

ぼんやり歩いていても、日々の暮らしの中で植物を見つけると、ホッと一息つける気がします。
植物さん達、ありがとう!、です。

皆さんももしよかったら、ちょっとした植物との出会い、見つけてみませんか?

連休の過ごし方

ガーベラの花見本

駅ナカの花屋さんで見かけたガーベラの花の見本。生の花がそのまま見本に。すごい!(クリックで拡大)

連休も終わりましたね。
5月の連休や夏休み、年末年始など、マスコミでは駅や空港の旅行客や、各地のにぎわいなどにスポットが当たります。必ず混雑した乗り物風景や、旅に出る(または帰国した)親子連れへのインタビューなども、十年一日のごとくラジオやテレビから流れてきます。

いつだったか、「みんなが出かけていると思うと落ち着かなくなるんです。どこかへ行かなくちゃと思ったりして・・・」と話してくれた若いママがいました。確かにそんな気にさせられそうにもなってきますね。

でも一方では、「連休だけど家でゴロゴロしています。案外みんなそうだったりして~」なんてツイッターでつぶやいているのを散見すると、「うんうん、それわかる」なんて共感したくなります。

お休みなんだから自由に(心も縛られずに)、過ごしたいなあ。

贅沢な一日の始まり

バスの窓から

桜が咲き終わると、土手の菜の花の黄色が目にも鮮やかに飛び込んできます。
菜の花の次には、田んぼに水が張られて、あたり一面緑の鏡のようにきらめく季節がやってきます。

写真は2週間ほど前の、大学に向かうバスの窓からの風景です。こんな田園風景が広がっているんですよ。

ある日など、遠く富士山まで望むことができました。風もない穏やかに晴れた日に、あんなにくっきりと富士山が見えたのは珍しいことです。秩父の山並みの向こうに白く雪をかぶった富士山がそびえ、そんな風景を横目で見ながらバスに揺られていると、ちょっと観光バス気分でした。

こんな一日の始まり、よく考えると、贅沢ですね。
感謝しています。

桜・桜・桜

(写真はクリックすると大きくなります)

駅舎の窓から撮りました。駅舎が改造されるときに、ばっさり来られて半分になってしまった桜の木ですが、どうにか枯れずにすんだようで今年もきれいな花を咲かせてくれました。こんなに樹上高く(二階建ての屋根くらいの高さ?)の花を目の前で見る機会はあまりないので、面白いアングルではないかと・・・。

今年は桜の開花が早かったですね。去年の4月6日に撮った満開の桜の写真が手元にあるので、それからすると一週間以上も早いように思います。入学式の時期まであと少し保っていてほしいのですが・・・・。入学式に桜はとってもピッタリな気がするのです。無理かなあ~。

歌で涙が・・・

先日、「フタバから遠く離れて」という映画を見ました。東日本大震災で被災した福島県双葉町が埼玉県加須市に避難してからの日々を追ったドキュメンタリーです。その中の一場面に、自衛隊の音楽隊が慰問に訪れて演奏する様子が映されていました。

楽隊をバックに隊員の男性がマイクを持って歌います。曲は「寅さん」だったでしょうか(たぶん)?ついで、福島県か双葉町の歌でしょうか?曲調と歌詞から判断して(たぶん)。これら歌の場面はほんの数十秒だったのですが、耳にしたとたんに、なぜか涙がこぼれてしまったのです。

私は特に寅さんのファンでもありません。特別に双葉町に対して深い思い入れがあるわけでもありません。確かに埼玉県に避難してこられた唯一の自治体という意味では、当初より関心は持っていましたが、しかしだからといってことさら双葉町に、まして町の歌に関心があったわけでもありません。にもかかわらず、曲を聴いたとたんに、なぜかわかりませんが、涙がこぼれてしまったのです。自分でもビックリしました。なぜここで?!

何の涙なのか自分でもわかりません。おそらく、そうした言葉にできない気持ちを涙が代弁してくれたのでしょう。

直接被災したわけではない私であっても、震災以来の被災地での過酷な体験談を聞いたり、今に続く原発や放射能にまつわる情報や今後の対応などを考える中で、知らぬ間にため込んでいた緊張もあったと思います。そうした諸々の思いが含まれていたような気がします。そうしたすべてが、音楽によって一気にあふれ出てきた、そんな感じだった気がします。

音楽の持つ力というものに改めて感心しました。言葉にできない思いを表してくれる手段だということがまさに実感できました。

そして思いました。

歌える人、いいですね!
楽器の演奏できる人、素敵ですね!
どうかたくさんたくさん、私たちの周りに音楽をあふれさせてください。
機会があれば歌ってください。
演奏してください。
音楽を聴いて、氷が溶けるように気持ちが外にこぼれたら、私たちはお互いにもっとゆったり生きられるような気がします。

ヨーロッパの街角のように、もっと音楽が身近にあったらいいなあというのは、私の昔からの願望なんです。