「冬のソナタ」と家父長制
「冬のソナタ」といえば、ヨン様ブームを巻き起こした例の韓国ドラマですが、登場人物の中でも、母親ミヒは女性ファンから“悪女”として嫌われている役だそうです。なぜなら、これでもかこれでもかと、次々と悲劇に見舞われるチュンサン(ペ・ヨンジュン)ですが、元はと言えば母親の過去と、その後の誤った判断により起こったことだから、というわけです。
ブームの頃にはほとんど関心がなかったのに、ついに何度目かの再放送の時に、ふと見てしまったのが運のツキ。あまりに都合の良い展開や、すれ違いの連続に、「ありえない」「うっそー!」と思いつつ、毎回ついつい引き込まれて最後まで見てしまった私としては、確かに「悲劇のすべての原因は母親にあり」というのもわからないわけではありませんが…。
そうした“ミヒ=悪女”評に対して、フェミニズムの立場から、別の見方を提示している研究者の意見に出会いました。
未婚の母を選択し、出生の秘密を隠そうとしたために、次々と嘘を重ねなければならなかった母親ミヒ。そのミヒに対して、当時の韓国社会で、あの状況下、男性への愛を貫いて生きていくためには、ミヒにはあの選択しかなかったのではないか、と理解を寄せているのが新鮮でした。
これを読むと、1970~80年代の韓国社会の現状では、ミヒが少しでも自分の納得いく生き方をしたいと望んだとしても、本当に限られた道しか残されていなかったということがわかります。その意味で、ミヒは家父長制の犠牲者と言えるかもしれません。韓国ドラマに出生の秘密に絡んだ同じような筋立てのドラマが多いのも、こうした社会の背景ゆえと考えれば納得できる気がします。
確かに、日本でも1970~80年代といえば、ずいぶん状況は今と違いました。女性は若いうちに結婚して家庭に入るのが当たり前という考え方はまだまだ強かったと思いますし、未婚の母への風当たりも、現在とは比べものにならないくらい強かったように思います。
ですから、儒教の教えの浸透している韓国で、ミヒの置かれた状況が、女性にとっていかに過酷で、ミヒがとった行動以外に選択の余地がほとんどなかったとしても、不思議ではありません。
しかし、というべきか、だからというべきか、現在、韓国は女性支援の対策、特にDV(ドメスティック・バイオレンス)対策では日本よりもずっと充実した政策を推し進めている国になっています。女性の抑圧された現状が厳しかったからこそ、DV対策が待ったなしの緊急性の高い課題にならざるを得なかったのかもしれません。
ミヒやチュンサンのような悲劇をなくすべく、時代は少しずつ変化しています。
それにしても、未だに新しい視点での解釈や話題提供がなされるとは、やっぱり「冬ソナ」、ただのメロドラマではないかも?!