カテゴリー 『 アート 』
思わず、うるうる!トイ・ストーリー3
11月はけっこう私自身の研修が続いて、その後、珍しく熱を出して二日ほど寝込みました。ほとんど10年ぶりというくらい珍しいことなのですが…。
そんなこんなですっかり更新が滞っておりました。その間、ブログに書きたいこともチラホラ浮かんではいたのですが、以前よりさらに加速度を増してきた物忘れ度により、書きたかったことはメモする間もなく、思いつくそばから消え去っていったのでした。さて、そんな中でも消えなかった、映画の感想をひとつ。
「トイストーリー3」。夏休みのファミリー・子ども向け映画と思い、期待しないで(失礼?)見たのですが、とんでもない。なかなか見応えがありました。中でも、あるシーンでは胸に迫るものがあって思わず涙…。
すでにご存知だと思いますが、オモチャが主人公の映画です。オモチャの持ち主アンディが大学に入学することになり、オモチャは屋根裏部屋にしまわれることになりました。ところが、ちょっとした手違いが重なって、オモチャ達はゴミ処理工場に送られてしまいます。工場では集められたゴミ(がらくた)と一緒にベルトコンベアーに乗せられ、破砕機めがけて流されていきます。このまま流されて機械に掛かれば粉々です。滝壺に向かう川の流れのごとく、目前に迫る機械に吸い込まれていくがらくたを目にして、オモチャ達はなす術もなく恐怖の声を上げます。
その時、オモチャの一つバズ・ライトイヤー(宇宙戦士のロボット)が一計を案じます。両脇のオモチャに手をさしのべたのです。右のオモチャと手をつなぎ、左側のオモチャと手をつなぐ。そして仲間は次々に隣のオモチャと手をつなぎあい、横一線に並ぶと、みんなの顔から恐怖が消えて、柔らかなほほえみさえも浮かんできます。その間にもベルトコンベアーは容赦なく、オモチャを乗せて破砕機に向かって進んでいくのですが・・・。
ここで、思わず涙腺が緩んでしまったんですよね~、不覚にも。
たとえ状況が好転しなくても、人は恐怖から救われて、笑顔にさえなることができるのだ。人と人とのつながり、心の交流さえあれば、人は不安や恐怖さえも乗り越えることができるのだ。そんなメッセージさえ読み取ってしまったオモチャ物語。なかなかのものでした。で、この話を20代の人にしたら、「泣く場面が違うでしょ。普通はオモチャとアンディの別れのシーンでしょう」って。レビューを見たら、やはり別れのシーンに感涙というのが多かったです。世代によって違うのかなあ、それとも私が変わってるのかなあ?でもまあ、人それぞれと言うことで…。
「冬のソナタ」と家父長制
ブームの頃にはほとんど関心がなかったのに、ついに何度目かの再放送の時に、ふと見てしまったのが運のツキ。あまりに都合の良い展開や、すれ違いの連続に、「ありえない」「うっそー!」と思いつつ、毎回ついつい引き込まれて最後まで見てしまった私としては、確かに「悲劇のすべての原因は母親にあり」というのもわからないわけではありませんが…。
そうした“ミヒ=悪女”評に対して、フェミニズムの立場から、別の見方を提示している研究者の意見に出会いました。
未婚の母を選択し、出生の秘密を隠そうとしたために、次々と嘘を重ねなければならなかった母親ミヒ。そのミヒに対して、当時の韓国社会で、あの状況下、男性への愛を貫いて生きていくためには、ミヒにはあの選択しかなかったのではないか、と理解を寄せているのが新鮮でした。
これを読むと、1970~80年代の韓国社会の現状では、ミヒが少しでも自分の納得いく生き方をしたいと望んだとしても、本当に限られた道しか残されていなかったということがわかります。その意味で、ミヒは家父長制の犠牲者と言えるかもしれません。韓国ドラマに出生の秘密に絡んだ同じような筋立てのドラマが多いのも、こうした社会の背景ゆえと考えれば納得できる気がします。
確かに、日本でも1970~80年代といえば、ずいぶん状況は今と違いました。女性は若いうちに結婚して家庭に入るのが当たり前という考え方はまだまだ強かったと思いますし、未婚の母への風当たりも、現在とは比べものにならないくらい強かったように思います。
ですから、儒教の教えの浸透している韓国で、ミヒの置かれた状況が、女性にとっていかに過酷で、ミヒがとった行動以外に選択の余地がほとんどなかったとしても、不思議ではありません。
しかし、というべきか、だからというべきか、現在、韓国は女性支援の対策、特にDV(ドメスティック・バイオレンス)対策では日本よりもずっと充実した政策を推し進めている国になっています。女性の抑圧された現状が厳しかったからこそ、DV対策が待ったなしの緊急性の高い課題にならざるを得なかったのかもしれません。
ミヒやチュンサンのような悲劇をなくすべく、時代は少しずつ変化しています。
それにしても、未だに新しい視点での解釈や話題提供がなされるとは、やっぱり「冬ソナ」、ただのメロドラマではないかも?!
音祭りのわくわく…下地・下舘ライブin原宿
近所の空き地に柿の木があるのですが、その下を通るたびに柿の実の赤みが増していくのが、季節のモノサシみたいに思って見ています。
というわけで、芸術の秋ですね(食欲の秋とも言いますが、それはまた別の機会に)。
もう5年前になるのですが、セレニティでは「2200kmを結ぶ音祭り!」という音楽イベントを開催しました。→こちら
写真はこちらそして第二回目を2006年に。2回目の音祭りの写真
その時、イベントの企画から演奏まで終始お手伝いいただいた下館直樹さん(さいたま在住のギタリスト・作曲家)と、その時共演していただいた下地勇さん(宮古島のシンガーソングライター。沖縄から埼玉まで来てくださったことに、まず感謝!)が、東京で再共演することになったそうです。
といっても、もちろんセレニティの企画などではなくて、下地さんの7枚目のレコード発売記念ライブツアーの東京公演になります。
私にとっては、夢の共演なんです。何しろセレニティの活動がご縁で下館さんに出会い、セレニティを通じてお友達になったY子さんに誘われて行った音楽イベントで下地さんの歌を聞き、それが音祭りの開催へとつながったのですから…。
(今、こうして写真を見ると、ホントに多くの方にお世話になったなあと、改めて感謝しています)
最近はバタバタしていてあんまり(というかほとんど)ライブにも行かれないのですが、今度ばかりは行かなくっちゃ!さっそく友人に声を掛け、チケットも入手済み。用意万端で「わたしの秋」を待っているところです。
下館さん、下地さん、それぞれの世界を広げて活躍していらっしゃるのを見聞きするにつれ、「私もがんばらなくっちゃ」と、明るく楽しく励みにさせてもらっています。
11月14日夜、ラフォーレミュージアム原宿ですよ。久しぶりにお二人の生演奏を楽しみにお出かけになりませんか、って何で私が宣伝しているんでしょう。あの音祭りのワクワクを、つい思い出してしまうからなんでしょうね。
やっぱり、変なカウンセリングルームですね。でも、これがセレニティなので、ご容赦下さいませ。
今回のセレニティ通信の表紙に取り上げた言葉、
「The Sence of Wonder」(レイチェル・カーソン)私は勝手に「わくわく、どきどき」って訳してるんですが、子どもは「わくわく、どきどき」の固まりですね。でも、私たちおとなだって、幾つになっても「わくわく、どきどき」持ち続けましょうね~、皆さん!!
<わくわく、どきどき>の宝物をたくさん、たくさん見つけましょう~♪
映画“チョコラ”…ストリートチルドレン
なんとなく甘いチョコレートを連想してしまいますが…。
「チョコラ」とはスワヒリ語で「拾う」という意味だそうです。「生活のためにクズ拾いをしているストリートチルドレンをさした侮蔑的な意味合いを含んだ言葉」だとのこと。
ケニアのストリートチルドレンを支援しているNGO「モヨ・チルドレン・センター」主宰の松下照美さんは、セレニティの教師研修会「手塩研」講師の平井恵美子さんの長年にわたるご友人だそうです。そんなご縁でご紹介させていただきました。お時間がありましたらお出かけ下さい。
今後、各地で上映が予定されているようです。お近くでの開催も、今後追加されるかもしれませんね。ホームページで追加情報をご確認いただければと思います。
東京は5月9日(土)より公開になっています。詳しくは上記公式ホームページで。
映画(「歓びを歌にのせて」他)
「奇跡のシンフォニー」(上映中)
孤児院で育てられた天才的な音楽の才能を持つ少年が、まだ見ぬ両親を探しながら、音楽と出会っていきます。
「どこにいても、誰にでも、音楽は聞こえるよ」
「ボクの音楽は両親への答え」心温まるストーリーと音楽の魅力、シンプルで素直に楽しめてリフレッシュさせてくれる、そんな映画です。
もう一つは、DVD。
「歓びを歌にのせて」(2004年スウェーデン映画)登場人物が、人生の哀感を感じさせながらいきいきと描かれていて、無骨で、正直で、好感が持てます。
DV夫の暴力にめげず、仲間の励ましで、「自分を生きる」と力強く歌うヘレン・ヒョホルムの歌う歌がすばらしい。
歌声と曲そのものが素晴らしいのですが、私の仕事柄、DV被害者の女性が「自分の道を生きたい」と歌うところに、ことのほか感激してしまいました。