カテゴリー 『 子育て 』
子どもは「今を生きる」天才だ
またもや長らくのご無沙汰になってしまいました。皆さま、お元気でしたか?
私は大学の相談室が7月末まで怒濤の忙しさでしたが、夏休みを経て何とかペースを取り戻しつつあるところです。ということで、まあまあ元気にやっています。
さて、 この夏、私は4歳になる孫(男の子)のお守りで、まるまる一日を、朝から夜寝るまでつきあうという体験をしました。孫が寝ついた時には、こちらもグッタリ。でもそのおかげで、翌朝が実に爽快でした。子どもの相手をするということは、あれこれ考えたり悩んだりする間もなく、日頃使っていない心や身体をぜ~~んぶ使い、体力も五感もフル動員しなければならないからだと思います。子どもとつき合っていると、素の自分が出ざるをえず、結果、自分自身がラクになっていたようです。
たとえば、こんな体験もしました。
ゲームセンターでのことです。実はあのガチャガチャワ~ンとした騒音が私は苦手で、できるなら避けたい場所だったのですが、スーパーの一角にあるので買い物の途中でいやでも通らなければなりません。孫にせがまれてゲーム機の前に座ることになり(二人一組のゲームだったので)、しぶしぶコインを入れました。「1回だけね」の約束で、出てくる怪獣をやっつけるシューティングゲームに挑戦することになりました。途中、ボーナスポイントが出て私が対応に戸惑っていると、孫がすかさず「これ!」と言って、横合いから小さな手が伸びてきてポチッとボタンを押してくれたり、どっちがお世話をしているのだかわからなくなりました(苦笑)。私もチームとして貢献せねばと、妙にやる気になってしまい、気づいたら本気モード。結果はゴール寸前でタイムアウトになってしまったのですが、「よし、次回こそは」と心密かに次回を期待してしまったのでした。まさかゲームでこんなに自分が盛り上がるとは・・・。
この意外で新鮮な体験から気づいたこと。ふだん使っていない頭とからだのすべてを使い全力で時間を過ごすと、それが何であれ、実に気持ちがいいことなんだという、当然と言えば当然なこと。まさに、瞬間を全力で生きることにおいて、子どもに勝る師はないと実感しました。
ふとここで、10月の瞑想会に寄せて講師から届いたコメントが思い出されます。
。。。。。。。。。あなたは今何処に居ますか?
いえいえ場所ではありません。
お聞きしたいのは「未来」なのか「過去」なのかです。奇妙な質問です。
でもよーく心の中を覗いて見て下さい。
今あなたが感じているかもしれない
希望や不安、夢や苦悩、恐れや後悔、、。それらは私達が今何処に居るのかを表しています。
さてあなたは今何処に居ますか?
。。。。。。。。。
「あなたは今何処に居ますか?」
この真摯で高尚な問いかけに対して、私の体験はあまりにささやかな日常の一コマですが、コメントが届いたときに真っ先に思い出したできごとでした。皆さんはそれぞれの体験の中で、「今、どこに?」の問いかけをどんなふうに受け取られたでしょうか?そんなお話も、みなさんで分かち合えたら嬉しく思います。
来月10月22日(土)の瞑想会、どうぞお気軽にお出かけくださいませ。お待ちしています。
食の大切さ。辰巳芳子さんの活動。
(写真をクリックすると、少しだけですが大きくなります。写真の下が切れているので、大きくして見ていただけるとうれしいです)ある日、大学への出勤途上、あまりにも空が青く気持ちよかったので、ついパチリ!カメラがなく、携帯だったのが残念!
その後、大学に着いてからも、そこここの「秋」に目を奪われて、あっちでパチリ、こっちでパチリ。その一部をこちらに貼り付けてみました。少しは、雰囲気を 感じていただけるでしょうか。 ↓ キャンパスの銀杏並木。
花水木を上から眺める構図というのも珍しいでしょ?渡り廊下から撮りました。
さて、突然冬がやってきたかのような今日の寒さ。上の写真はたった3日前のこと。さわやかな秋風に吹かれ、ようやく秋も深まり・・・、と長かった夏も終わり、秋を味わい始めた矢先にこの寒さ。かと思うと、沖縄や奄美には台風が接近とか。どうなっているのでしょう、今年のお天気?
こんな日は温かい鍋や汁物がほしくなりますね(すみません、すぐに食べ物の話で)。食べると身体が温まるだけでなく心もほっこりと温かくなります。温かい食べ物だったらなおさらです。手作りだったらなおのこと。食べることって、いろいろな意味で力になりそう。不思議ですね。
先日、85才の料理研究家辰巳芳子さんの活動を取り上げたテレビ番組を見ました(というより、たまたまテレビをつけたらやっていて、途中から見ました)。「特報首都圏」
辰巳さんは、母親が料理研究家でもあり、ご自身の病や身内の介護体験から食の重要性を再認識し、丁寧に作った一杯のスープの滋養と愛情を次世代に伝えていこうと一筋に活動してきた方です。が、最近の食生活がおろそかにされていることに不安を感じ、デパ地下のお総菜を点検し、働く女性達の声を聞くことで、これからどうやって食の重要性を伝えていけばよいかを模索する、という番組になっていました。
辰巳さんの料理教室は5年先まで予約が一杯だそうです。その生徒さん達に辰巳さんが煮干しでダシを取るようにと言っても、実際にそうした人はわずか数人。大半の人が即席だしを使っていました。その現状に、辰巳さんの口から思わず「なぜしないのですか?」と強い口調が。教室中はうなだれて重苦しい雰囲気に。
食を大事にすることは命を大事にすること。と辰巳さん。まったく同感です!!ただ、働くお母さん達、作れないのは何故か、教室で固まってしまった生徒さん達の気持ちも痛いほど分かります。私も、しばしば作れない派になりますし・・・。でも、何とか「食」は大事にしていきたいなあと思います。ついつい便利な方に流されてしまいがちですが、無理しない程度に、できるだけ楽しんで、また楽しめる程度の時間の余裕を持てる、そんな生活スタイルが維持できたらよいのだろうなあと思いました。
このことに関連して、たまたま先日、子育て勉強会に参加してくれていたお母さんから丁寧なお便りを頂きました。お弁当作りを巡ってのお便りでした。良かったらご覧になって下さいね。セレニティのホームページ「子育てトピックス」
実は、カウンセリングと同じくらい、食べることには人を癒す力があるのではないかと思うことがあります(私が食いしん坊だから?)。カウンセリングと食べること、一見相異なる領域のようですが、この二つは私の中で違和感なく納まります。食を大切にするために私に何かできることはないかなあと、ずっと思っているのですが・・・。とりあえずはまず、今日の夕食を作ってから、考えることにしましょう。
Thinkと我慢
「二人のかわいさには理性を失います」だそうです。
いいですね~ ^^)さて、子どもが他の子のオモチャを取ったりしたとき、子どもになんて言うか。パックンは「Think(考えて)!」と一言。(日本人の)奥さんは「そこは、我慢でしょ」なのだそうです(わかるわかる)。
パックン「我慢という言葉はすごく便利です。僕は英語で育てることにしているから、使えないんだけど。」
面白いですね、こういうの。英語と日本語の違い。そして文化の違い。アサーション・トレーニングにも関係していて、とても興味深いです。
我慢も大事。同時に、Thinkも大事。自分の頭で考え、判断し、行動すること。子ども達がこの両方を身につけてくれたら、ステキですね。
ほんとのことば
「あなはほるもの おっこちるとこ」
数日前からこの言葉が耳に残っています。思い出すと、胸の中がほ~~んわりします。この言葉、いったいなんだと思われますか?
「あなはほるもの おっこちるとこ―ちいちゃい こどもたちの せつめい」
という絵本の題名なのです。(ルース・クラウス文 モーリス・センダック絵 わたなべしげお訳)岩波書店
保育園や幼稚園の子どもたちから保母さんたちが集めた「ほんとのことば」だそうです。
たとえば、こんなのもあります。
「ケーキのかすをゆかにおとさないようにひざがついているんだよ」思わず、「へ~、そうだったんだ!」と新発見した心境になったり、
かと思えば、
「はなはこすりあわせるもの」と聞いて、
「そういえば子ども達が小さかった頃、そんなことしてたなぁ」とか…、思い出したり。ちなみに、「あなははいってすわるとこ」というのもあります。砂遊びがしたくなりますね。
実をいうと、私はまだ、この本そのものは読んでいないんです。東京新聞の「続 絵本がともすあかり」というコーナーで松井るり子さんが紹介しているのを読んだだけです。
タイトルを思い出すたび「うふふ」と、一人ほのぼのしているので、せっかくだから皆さんにも、とご紹介したくなってしまったというわけです。
紙芝居屋さんに後継者
若者は紙芝居に魅せられておじいさんに弟子入りし、今日まで紙芝居屋修行に励んできたそうです。
「これからも子ども達に夢を届けていきたいです」と後を継ぐことになったお兄さん。路地裏の一角には、紙芝居に集中する子ども達の後ろ姿に混じって、子どもを抱っこしたお母さんやお父さんの姿も見えます。子ども達の歓声まで聞こえて来そうな写真です。。。。。
後継者ができて良かった!これからもずっと続いていってほしいなあと思います。
今では紙芝居を知らない子もいるかもしれませんが、私が子どもの頃はホントに身近な存在でした。
紙芝居屋のオジサンが道ばたに自転車を止めて、駄菓子などを売りながら子ども達を呼び集めます。ある程度人数が集まったら、「さあ始まり、始まり~」と、紙芝居の世界が展開されていきます。
紙芝居の面白さは、なんといってもあの紙を引き抜く瞬間ではないでしょうか。「さあ、次はどうなるの?」と、ハラハラ、ドキドキしながら、オジサンが紙を引き抜く手元に、子ども達の目が集中します。
わずか10分足らずの「子ども劇場」でしたが、終わるとそれなりの余韻と満足感があって、小規模ながらやっぱり「一種の観劇」だったのだなあ、と今になって気づきます。
友だち同士オシャベリしたり、駄菓子を食べたりしながら、肩寄せ合って、肉声での語りに引き込まれていたあの頃。のどかな時代の産物で、このスピードのご時世にはそぐわないのかもしれません。
しかしだとしても、いつまでもすたれないでいてほしいと思います。実は、孫がもう少し大きくなったら、紙芝居を見せてやりたいなあと思っているんです。………な~んて言いながら、孫をダシに私が楽しもうというコンタンなんですけどね。


