セレニティカウンセリングルーム

月別: 2009年6月の記事一覧

名前を覚えるⅡ…教え子の名前をフルネームで

教育雑誌に紹介されていたエピソードから…。

ある公立小学校での出来事です。

A先生(養護教員)は子ども達の名前をフルネームで覚えることを日頃の目標にしていました。そのため朝会に出席するときも名簿を持って参加し、全学年の顔と名前を一致させるように努力していたのだそうです。

すると、それを知った校長先生が「私もやる」と言って、同じように子ども達の名前を覚え始めたそうです。養護の先生も校長先生も、担任と違って、いつもクラスの子ども達を見ているわけではないので、子どもと接する条件としては同じです。

そうしてしばらくしたところ、次第に校長先生の集会などでの話の内容が変わってきたのだそうです。

子ども達の様子がわかるようになってから、校長先生がとても講話を大事にするようになったのです。子どもの心に響く話に変わっていきました。

そんなとき、A先生はすかさず、「校長先生、今日の話はいい話でしたね。子ども達はこんな反応でしたよ」と声を掛けるようにし、校長先生にも一緒に「管理職として育ってもらう」のだそうです(=校長先生には内緒^^)。ベテランの養護の先生ならではの心強いサポートだなあと感心しました。また、素直に学んだ校長先生もすばらしいと思います。

「私は管理職であって教育者ではない」と公言する校長先生もいる現状を考えると、たとえそうした状況でも、やりようによっては一歩ずつ変えていくことができるのだと、良いお手本を見せてもらったような気がしました。

難しく考えず、できることから始めればいいんだ。まだまだやれることはありそう、そんな気にさせてくれます。

それにしても、人間関係ってちょっとのことで風通しが良くなったり、会話や笑顔が増えたり、居心地がよくなったりするものなんですね。

名前を覚えるⅠ…学生時代の体験から

私事で恐縮です。だいぶ古い話です。

大学時代のあるクラスの担当教官が、さほどの人数でもないのに、毎回出席をとるたびに私の名前を読み間違えるということを繰り返したことがあります。

名字を間違えるか、名前のリョウコをヨシコと読み間違えるかします。当時の名前(旧姓)は大本ではなく、難しい読みの漢字でもなかったのですが、毎回「鈴木」と読み間違えられました。

ときには、名字と一緒に名前も間違われるときがあって、「スズキヨシコ」と呼ばれたときなど、私のことだとは思わずに返事をしなかったところ、危うく欠席にされそうになったときもありました。以後、注意深くなり、「それらしき」名前が呼ばれるたびに、訂正を入れるようになりました。

名前の音読み・訓読みを間違えるくらいは仕方ないとも思いましたが、それだって出席簿にふりがなを付けたり、どこかに注意書きをメモしておくなどすれば、防ぐことのできるミスだったと思います。それもせずに、毎回出欠を取るたびに間違い、私が訂正を申し出るということを繰り返していました。

そのうちウンザリしてきました。

教室に座っているのが「〇野△子」であろうが「△田◇子」であろうが、先生にとってはそんなことはどうでもよくて、「学生なんて、カボチャやジャガイモが並んでいるのと変わりないのかもしれないなあ」と、だんだんとそんな冷めた気持ちにもなっていきました。

そのせいか、私は最初のうちは前列に座っていたのですが、次第に後列に座るようになり、授業に身を入れて聞こうという気持ちが薄れていきました。

先生が教え子の名前をちゃんと覚えるということが、どれくらい大事か、私のこうした体験からも痛感します。

という長い前置きなんですが、先日ある教育雑誌を読んでいたら次のようなエピソードを知って、ご紹介したくなりました。私の経験と正反対の教師の姿勢で、感動しました。長くなったので、明日の日記に回します。

「すみません」と「ありがとう」

つい最近、あるブログのコメント欄で次のような言葉に出会いました。

「ほめられたとき『いえいえ』などと言わずに、素直にありがとうというのが関西では当たり前だった…」と書かれていました。

「ほお~、なるほどね!」と、ことさら興味をひかれて読んでしまったのには理由があります。

5月のアサーション・トレーニングでは、<ワンポイント・レッスン>で「すみません」と「ありがとう」という言葉を取り上げました。

日頃、お礼や感謝を伝えるときに「すみません」と言う場合がありますが、「すみません」と「ありがとう」ではどんなふうに違うのかを、実際にロールプレイで体験して検討してみたわけです。

そうすると、「ありがとう」と言ったときのほうが、相手に嬉しい気持ちが伝わりやすいし、相手からもすっきりと受け入れられるとわかり、「そんなふうに素直に言えたらいいですねえ」と、参加者の方とも話したばかりだったからです。

なるほど、関西では「ありがとう」が当たり前だったのか………。「軽いカルチャーショック」と言っては大げさですが、私の経験からも、確かにそう言われてみれば思い当たる節もあれこれ見つかります。

コメントの主は東海地方在住の方だそうですから、関西と東海でもこうした違いがあるということは、関西と関東ではもっと違いがあるということなのかもしれないなあと、妙に納得してしまいました。

全国津々浦々、(少なくとも標準語の場合は)同じ日本語を同じように使っていると思ってしまいがちですが、実は地域によって、言葉の使い方やニュアンスに微妙な違いがいろいろあるのかもしれませんね。

それにしても、ちょっとしたひとことでさえ、人により、地域により、受け止め方や表現の仕方もさまざまなんですねえ。そう思うと、複雑で面倒だけど、言葉ってホント面白いです。