セレニティカウンセリングルーム

月別: 2008年9月の記事一覧

彼岸花の群落

夏の間開け放っていた窓を、しっかり閉めてもまだ寒いこの頃です。虫の音も弱々しく、震えるように聞こえてきます。

一昨日は大学へ通うバスの窓から、彼岸花の群落を見ました。田んぼや畑の広がる真ん中を、一筋、川が流れています。その緑の土手に、真っ赤な彼岸花の群れがあっちにもこっちにも。あんなにたくさんの彼岸花は見たことがありませんでした。なかなか壮観な眺めでした。

このところ、11月の催しの内容についてなど、いろいろ検討しています。久しぶりの「セレニティ瞑想会」の内容や、「アサーション・トレーニング」のご案内についても。
良い内容をお届けできるようがんばります!

図書館に購入希望を

先日、拙著「『きちんと自分の気持ちが言える子』に」のご案内メールを差し上げたところ、ある方から嬉しいお返事をいただきました。

その方はすでに定年退職されて何年にもなられるので、直接お子さんに関わることは少ないとのことですが、お嫁さんに贈るためにと購入してくださったそうです。こんなふうに、直接ご自身が読まれるわけではないのに、周りの人に薦めたり、贈ってくださったりしていて、本当にありがたいことと思いました。

また、お近くの図書館に購入希望を申請していただけますと、より多くの方に読んでいただけるので、図書館に足を運ばれることがありましたら、お時間のあるときに、どうぞよろしくお願いいたします。
「きちんと『自分の気持ちが言える子』に」

「セレニティ通信」NO34ができました!

「セレニティ通信」NO34ができあがりました。一年近くのご無沙汰だったためか、何となくページ数が増えてしまいました。今まで12ページが、4ページ増となりました。

A4二つ折りなので、構造上、必然的に2ページまたは4ページ増になります。たった、一部につき一枚(両面印刷)増えただけなのに、遅いプリンタだとけっこう時間が掛かるものですね。

印刷しながら、何か他のことをやっているとちょうどよい「遅さ」です。→嫌でもスローライフ。

来週には順次発送予定です。新たにご希望の方がおられましたら、メールにてお名前御住所をお知らせくださいませ。後日、サイトにもアップさせていただきます。

「セレニティ通信」編集中

朝晩、少し涼しくなってきましたが、またまた日中の暑いこと。明日はもっと暑くなるのだとか。
それでも、夜、虫の音を耳にするとホッとします。

今、セレニティ通信の編集に追われています。ほとんど一年ぶりです。なんと前回が去年の10月!自分でもこんなに空いてしまってビックリ!失礼しました。

編集に追われていると言っても、厳格な締め切りがあるわけではありません。ただ、一応締め切りを設けないといつまでもできあがりませんので。

今週末か、来週にはできがると思います。その後、サイトにアップいたします。

さて、トップページの「お知らせ」でもご連絡しましたとおり、拙著「『きちんと自分の気持ちが言える子』に」(PHP研究所)がやっと出来上がりました。9月4日に印刷会社から納入されたそうです(どんな出来上がりかな?ワクワク)。

「PHP子育てNet」にご案内が掲載されています。お時間のあるときに、ぜひ、「PHP子育てNet」のサイトでご覧になってみてくださいね。こちらです。

滅多にないことですので、見てやってくださいませね(笑)。
そして、出来れば周りの子育て中のお母さん、お父さん方にもお勧めくださいませ。

「お嫁さんに」とお買い上げくださった方もいらっしゃいます。若い世帯へのプレゼントにはピッタリですね。な~んて、宣伝してしまいました。

(続)お坊さんの講話(若者の場合は?)

テレビで見たお坊さんの話の続きです。

お坊さんに司会のアナウンサーが質問しました。
「とは言いましても、一度求めてみないことには、求めているものがすでに自分に備わっているのかどうかさえわからないと思いますけれども、いかがでしょうか?」

お坊さん「確かにそうです。実際、釈迦も6年間、探し回った末に、私たちのほしいものはすでに備わっているのだから求める必要はないと言われたわけですから」

(ここでは、お坊さん、ちょっと説得力がなくて分が悪いように思う)が、それでもかまわず「すでにあるのだから、求めなくてよいのですよ。」と念を押される。

そこでふと思い出した、
ある若者が以前、こんなことを言っていました。

悩んでいるその青年に対して、ここでのお話のように「すでに、人は生きているだけで意味のある存在だと思う」というようなことを私が言ったときのこと。

「年をとってからなら、そうも言えるだろうけど、今の自分にはとてもそんなふうには思えない。」と言われました。

だからお坊さんの話は、やはり年齢によっても違った聞こえ方がすることだろう。人間の存在そのものに価値があるとしても、その上でやはり、若い人には特に、何かやるべき事が必要だと思うのです。

それがたとえ「当面」のことであってもよいから、「何か」があれば日々が過ごせるはずです。言い換えれば『自分が他者から必要とされる」何かが、必要になります。

それはやはり「人とのつながり」に行き着くのかなと思うのです。たとえそれがほんのちょっとしたことであったとしても、自分が必要とされる形で社会に関わり、自分も社会から関わられる。今、若い人達の多くに、そうした仕事(職業と言うのでなくても、ささやかな活動でも何でもよい)が求められているということではないだろうかと思いました。

それは単に労働力として消費されるのではない働き方や活動の仕方と言えるかもしれません。

報いを求めず、すでに自分に備わったもののすばらしさに気づくことは大事。同時に、そうした自身のすばらしささえ当たり前のように思わずにいられない、若い人の向こう見ずなくらいなパワーも否定されるべきではないと感じます。

お坊さんの含蓄のあるお話を聞きながら、世俗の些事に限りない愛着を感じている自分に気づいたのでした。悟りにはとお~~~い、ですね。

(以上、仏教に詳しい方が読まれたらメチャクチャな解釈かと思いますが…、思うまま。)