セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 女性 』

キャリアデザイン、キーワードは「必要性」

ある時、キャリアデザイン学科の学生さん(仮にAさん、女性)から取材を受けたことがあります。ゼミの課題で、自分の興味のある職業を選び、実際にその職に携わっている人の話を聞いてレポートを書くという課題でした。

最初、連絡をもらって真っ先に思ったことは、「私でいいのかな?」ということでした。およそキャリアデザインとは縁遠い歩みだと思ったので、率直にそのことを伝えました。しかし、Aさんが言うには、セレニティのサイトを見て興味を持ったので、ぜひ話を聞かせてほしいとのことでした。私の方でも、サイトの何に興味を持ったのか聞いてみたい気もして、取材を引き受けました。

そんな経緯で始まった取材でしたが、生い立ちから語り初め、一通りのヒストリーを話し、何とか無事にインタビューも終えました。そして後日、書き上げたレポートが送られてきました。

自分のことが人の筆で語られるというのは、何とも不思議な気持ちでした。レポートはポイントを押さえてうまくまとめられていました。一番感心したのは、そこに書かれていたレポートのキーワードについてです。キーワードは「必要性」となっていました。私自身、自分のキャリアをキーワードで捉えるということはなかったので、新鮮で面白く感じました。

必要性・・・これは日頃の私のやり方をそのままズバリ言い当てている気がします。今必要とされることに全力投球すること。すると次にやるべきことが見えてくる。その積み重ねが、また次の一歩につながる、そんな気持ちでやっているので、「必要性」と言われると、まさにその通りと思い、感心しました。

そんなことがあって後、このことを知り合いの大学院生に話したところ、「それって、行き当たりばったりってことですよね」といたずらっぽく返されてしまいました。で、すかさず、「もちろん、そうも言えるけど、行き当たりばったりと捉えるか、必要性と捉えるかは大きな違いよ」と反論。

「私の意識としては、行き当たりばったりといった感覚はぜんぜんなくて、必要性を感じて動き出すという感じ。必要性を感じるからこそ、モチベーションが上がって、熱意を持って行動に移すことができるというわけ」とも付け加えました。

そう、私の場合「必要性」は、いろいろな行動のベースにあるような気がします。アサーション・トレーニングに関わるキッカケも、私自身がもっと率直に表現できて、ラクになりたかったからだし、女性の問題も私自身が女性としての生きづらさを感じ、何とかそこから抜けだしたかったからであり、教育問題も子どもを育てる過程で考えざるを得なくなったので学び始めましたし、環境問題も、行政や政治への関心も・・・と、いつも必要だから「情報が欲しい」「学びたい」でやってきました。自分の必要性から来る問題だから必死に学びます、すると次に何をすればよいかが見えてきました。

う~ん、でも、これでは・・・キャリアがデザインされていないということなのかなあ。というより・・・もはやキャリアをデザインする歳でもなく、リタイアする時期の方が早く来てしまいそう。だからやっぱり、必要性を感じたら、どんどんやっていこうと思っています。行き当たりばったり、って言わないでくださいね。

「冬のソナタ」と家父長制

「冬のソナタ」といえば、ヨン様ブームを巻き起こした例の韓国ドラマですが、登場人物の中でも、母親ミヒは女性ファンから“悪女”として嫌われている役だそうです。なぜなら、これでもかこれでもかと、次々と悲劇に見舞われるチュンサン(ペ・ヨンジュン)ですが、元はと言えば母親の過去と、その後の誤った判断により起こったことだから、というわけです。

ブームの頃にはほとんど関心がなかったのに、ついに何度目かの再放送の時に、ふと見てしまったのが運のツキ。あまりに都合の良い展開や、すれ違いの連続に、「ありえない」「うっそー!」と思いつつ、毎回ついつい引き込まれて最後まで見てしまった私としては、確かに「悲劇のすべての原因は母親にあり」というのもわからないわけではありませんが…。

そうした“ミヒ=悪女”評に対して、フェミニズムの立場から、別の見方を提示している研究者の意見に出会いました。

女たちの韓流 2~「冬のソナタ」未婚の母の苦悩~

未婚の母を選択し、出生の秘密を隠そうとしたために、次々と嘘を重ねなければならなかった母親ミヒ。そのミヒに対して、当時の韓国社会で、あの状況下、男性への愛を貫いて生きていくためには、ミヒにはあの選択しかなかったのではないか、と理解を寄せているのが新鮮でした。

これを読むと、1970~80年代の韓国社会の現状では、ミヒが少しでも自分の納得いく生き方をしたいと望んだとしても、本当に限られた道しか残されていなかったということがわかります。その意味で、ミヒは家父長制の犠牲者と言えるかもしれません。韓国ドラマに出生の秘密に絡んだ同じような筋立てのドラマが多いのも、こうした社会の背景ゆえと考えれば納得できる気がします。

確かに、日本でも1970~80年代といえば、ずいぶん状況は今と違いました。女性は若いうちに結婚して家庭に入るのが当たり前という考え方はまだまだ強かったと思いますし、未婚の母への風当たりも、現在とは比べものにならないくらい強かったように思います。

ですから、儒教の教えの浸透している韓国で、ミヒの置かれた状況が、女性にとっていかに過酷で、ミヒがとった行動以外に選択の余地がほとんどなかったとしても、不思議ではありません。

しかし、というべきか、だからというべきか、現在、韓国は女性支援の対策、特にDV(ドメスティック・バイオレンス)対策では日本よりもずっと充実した政策を推し進めている国になっています。女性の抑圧された現状が厳しかったからこそ、DV対策が待ったなしの緊急性の高い課題にならざるを得なかったのかもしれません。

ミヒやチュンサンのような悲劇をなくすべく、時代は少しずつ変化しています。

それにしても、未だに新しい視点での解釈や話題提供がなされるとは、やっぱり「冬ソナ」、ただのメロドラマではないかも?!

セレニティ通信号外(ジェンダーを巡って)

昨日今日と、日本列島は台風に見舞われましたが、皆さんの所はお変わりありませんでしたか?

東京の職場に勤務する若者Aくんより、メール有り。「職場に行ったら誰も出勤していませんでした(笑い)。・・・」Aくんはたまたま職場が近く自転車通勤とのこと。電車が軒並み止まってたいへんだったようです。私も今日が大学の担当日だったら、とても時間までにはたどり着けませんでした。

ところで、珍しく、というか今回初めて、セレニティ通信の号外を出しました。号外といえば、よく駅頭で配られる新聞の号外を思い浮かべます(と言っても、私はまだ一度も号外なるものを手にしたことはないのですけれど)。セレニティで出した号外は、そんな緊急性のある新聞の号外とはちょっと趣が異ります。

「特集号」「臨時号」「〇〇編」などなど、いろいろ考えた末、<35号と同時発行で、通常の内容とは趣が異なる>から、「号外」としました。

といったネーミングについては、さておきまして、、、、、。

内容は、セレニティのキーワードである「女性」の問題=性差別の問題をとりあげています。実体験を率直な言葉で語ってくださったKさん。Kさんを支えて法律や制度に訴え、共に闘われた夫のMさん。それぞれ、報告してくださいました。

また、その後、号外に寄せて、読者のお一人から励ましのメールと感想を頂戴しました。感想をお寄せ下さったのが、70代の男性というのも嬉しさ倍増です。勇気が湧きます。

私も、ともすると「男性だから、年配者だから、性差別に関して理解がないだろう」と思ってしまいがちですが、だとすると「女性だから」「若いから」といって差別するのと同じことになってしまいますよね。私の中にもそんなバイアスが掛かっていないかどうか、常に気をつけていかなくてはと思いました。
もちろんこの場合、ほっこり庵さんについては別です。日頃の活動を存じ上げていますから。

曇りのない目で見ることの難しさを感じると同時に、それは自分に見えていない部分が多いだけ、可能性の広がりでもあるのだなあと希望も感じます。年齢や性別に縛られず、自由に志や感性を同じくする人とネットワークを築いていかれたらなあと思います。

号外はこちら
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