関連するコトバ 『 平和 』
ガザの少年の詩に出合って
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“ 目は見るため、太陽を見るため、
舌は挨拶するため、楽しさを言うため、
足はゆっくり歩くため、そして走るため、
手は友達と握手するため、銃を撃つためではなく”
ガザでイスラエル軍によって殺された9歳のファテマ・サイダムくんが書いた詩。
a poem written by 9-year-old Fatema Saidam, a child killed in Gaza by Israeli forces.
“Eyes are for looking and seeing sun,
Tongues are for greeting and saying fun,
Legs are for walking slowly and also run,
Hands are for shaking with friends, not for shooting gun.”
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SNSでタイムラインに流れてきて出合った詩です。しばらくの間、私は時が止まったように感じ、思考停止状態に陥りました。短い中にたくさんのメッセージが込められていて、抱えきれずに私の腕からこぼれ落ちていくかのようでした。みずみずしい感性と幼いながらも人間信頼に裏打ちされた洞察力、生きていたらどんな若者に育ち、どんな人生を送っていったのでしょうか?
この時代に生きる大人の一人として申し訳なく思います。この現状に対して、無力感に潰されて諦めるのも違うし、自分なりに何かほんのわずかでもできる事を探して行動し続けること、これに尽きるのかなと。
極限の悲惨な状況下にあってなお、Fatema Saidamくんの詩に込められた人への信頼と希望に励まされながら、静かに心に刻んだ年頭でした。
「空気」の変化を感じる中で
遅い秋の訪れで、やっとキャンパスの銀杏並木が金色に染まっています。今年も残り少なくなってきましたね。
今日はなんとなくこのバラの写真を上げたくなりました。
なぜかな?
水彩画は澤田嘉郎先生の個展で求めたもの。絵を購入したのは生まれて初めて。いつだったかこのブログにも書きましたっけ?
本物の絵はインパクトがあるので部屋の中で浮いてしまわないか心配したのですが、そんなことは全然なくて、届いたその日からしっくり部屋に馴染んで、先生の人柄そのもののように優しく温かな雰囲気を作ってくれています。で、絵に触発されて黄色の薔薇を1本だけ買いに行って一緒にパチリ!
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今、世界には戦争・紛争・ジェノサイド等による悲惨な現状が存在します。インターネットの普及でそれらは瞬時に手に取るように身近な情報として存在するようになりました。見なければ、避けていれば、知らずにすむのかもしれません。でも、性格上それができない私は、同じ地球上で起きていることをちゃんと知っておきたいと思ってしまうのです。もしかしたら気づかないうちに加害の側に回っていないか、私の安泰な生活が誰かの犠牲の上に成り立っていないかと気になって、知っておきたいと思ってしまうのです。
目を背けず自分にできることを微力でもやっていかれれば・・・。でも、過酷な現状を見たり聞いたりするのは辛いのも確か。なので、無理せず自分の生活も大切にしつつ、ほんの少しでも寄付したり、ネットで有用と思われる情報を拡散したり・・・。そんなことしかできないけれど、本当にわずかではあるけれど、目をつむらずに過ごせたらと思っています。
社会全体がギスギスとして排外的になっているのも見過ごせません。
誰もが安心して生きられる社会、生まれてきて良かったと思える社会、そのための貧者の一灯でありたい。
黄色のバラはこんな私を心から和ませてくれるのです。
2015という数字
2015年。
もう21世紀になってから15年目なんですねえ。
ふ~、早いなあ!
20世紀の真ん中に生まれた私としては、2000年という数字そのものが、現実離れした数に思えていた時期がありました。19〇〇年は実感できるけど2000年以降はSFの世界、みたいな感覚だったのです。さすがにこの頃は2000という数字にも慣れましたけれど・・・。
ところで、
20世紀から21世紀へと切り替わった当時は、戦争の世紀と呼ばれた20世紀から、平和なミレニアムへと変わることを期待した空気が自然に生まれていたように思います。平和なミレニアムの創造はいつどんな形で始まるのか?淡い期待を抱きつつ、何かを待っていた自分もいました。
そのまま月日が過ぎて・・・
2011年、私たちは東日本大震災という未曾有の惨禍を経験するに至ります。
「これで何かが変わる!」と思ったのも束の間、
惨禍の痛手から気づいたことや学んだことを忘れ去り、
再び何ごともなかったかのように20世紀の続きを歩いている、
そんな2015年の年頭です。
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でも、考えてみれば当たり前ですね。
私たち一人ひとりが変わらなければ、
本当の意味での社会の変化は起きないのですから・・・。
どこからか変化がひとりでにやってくるなんてことはないですから。
権力を持った人たちが好きなように力をふるってきたのが
20世紀までの歴史だとしたら、
それを超えるには権力者ではない人たちが、
今までに発揮できなかった力を使って乗り越えるしかないのでしょう。
そして、乗り越えることのできる力があるとすれば、
それは権力者と同じような種類の力ではなく、
自分を生かし、人と人とをつなぐことのできる力であるはずです。
「自分を生かし、人と人とをつなぐことのできる力」を使う。
それは誰にも教わったことのない方法だから、
不安に駆られるかもしれません。
でも、そのもとになるのは、誰もが本来持ち合わせている力です。
誰かの指示を待つのではなく、
自らの魂の声に耳を傾けて動くとき、
きっと何かが少しずつ変化し始めます。
魂の声に耳を傾けることは、
もしかしたら勇気のいることかもしれないけれど、
自分自身の生を生きるただ一つの道ではないでしょうか。
そんなことを考えながら明けた今年のお正月。
少しでも形にしていけたらいいなと思っています。
今年もよろしくお願いいたします。
69歳の最長老、でも最先端!
今日も暑いですねえ。
毎日、「暑い!暑い!」としか
言っていないような気がします ;^^)
バジル・ベゴニア・ポトス・・・・鉢植えの水やりも大忙し。
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さて、昨日の続きです。
「空気のように」で思い出したエピソードを書きます。
元津田塾大学教授のダグラス・ラミスさん(沖縄海兵隊としてベトナム戦争に従軍。除隊後、日本で平和運動に参加)が、ある時、講演でこんなことを言われました。
「『日本の平和運動は力がない。年中平和を訴えているだけではないか?』という批判の声を聞くことがあるけれども、仮にそうだとしても、憲法を守ってきたそのことは決して何もしなかったことではない。ちゃんと成果を上げている。
たとえば、アメリカの男の子は、『もしかしたら自分は一生のうちのどこかで、人を殺すことがあるかもしれない』と思って育ちます。では、日本ではどうですか?おそらくそんなふうに思って育つ子はいないと思います。子どもが自分は人を殺すことがあるかもしれないと不安を抱えて大きくなる国と、子どもがそんな不安を抱えずに大きくなれる国。平和憲法があるということはそういうことなんです」。
空気のような存在というのはそういうことなのだと思います。私たちは知らないうちに実に多くの恩恵を受けているのではないかと思います。失ったときにそれがきっとはっきりわかることでしょう。失ってわかったのでは遅いですね。失う前に、もっと目や耳を澄ませて、頭を使って感性をとぎすませて、大事な物を守る必要があるのではないでしょうか?
子どもや孫や、ずっと先の世代までも、私たちと同じように戦争のない世界で生きてほしいと、イスラエルやウクライナなど世界の紛争の惨状を見聞きするにつけ、願わずにいられません。それは日本人だけが平和なら良いというエゴなどではとうていありません。憲法の理念を守り実践することこそが、日本だからこそできる平和のための現実的な行動なのだと思います。
紛争の絶えない世界にあって、日本が戦後一人の戦争犠牲者も出さずにきたことを誇りに思って、もっとこの恩恵を世界の人と分かち合えるように、憲法の理念を世界に広げていくことこそが、この憲法の恩恵に浴してきた日本人としてやるべきことではないのか?自信を持って、日本は戦争をしないと決めたと胸を張り、武器を持たない手で握手することが、世界への希望のメッセージになるのではないか?そう胸の内で何度も繰り返してきました。
私がそう思ったからといって、「だから?」状態なのですが、それでも一応こうして文字にしてみようと思いました。具体的に何をするかは人それぞれとしても、思っていることを口にすることは行動への足がかりになるのではないかと思います。何が出来るかわからなくても、とりあえず一人の声として発していく。その先はまた考えながら動ければよい。今はそんなふうに思っています。
イラク戦争の時、戦火を逃れて日本に来た女医さんが語った言葉を思い出します。
「爆弾の降ってくるイラクで思ったのは、イラクにこそ日本のような平和憲法がほしいということでした」
日本ができる世界の人々への貢献は何かと考えたとき、その貴重なヒントがここにあるように思います。
だから、平和憲法を簡単に捨ててはいけないし、むしろ、世界のためにも。今ある憲法を生かし、もっと強固に民主主義を育て、人権を大切にしていかなくてはならないのではないでしょうか。それは戦争のできる「フツウの国」になるよりも、おそらく何倍も何倍も難しいことだと思います。でも、それをする価値は十分にあります。
なぜなら、2012年に発表されたアメリカの法学者グループの研究では、世界188ヶ国中で日本の憲法は世界最新の優れた憲法の一つと報告されているからです。最長老の65歳だけど、最先端の憲法と遜色がないそうです。「制定から一度も改定されていないから時代に合わなくなっている」というのは間違いです。一度も改定されていなくても、日本の憲法は世界でも最先端の憲法の一つなのです。少しも古くなどないのです。『日本国憲法今も最先端』※
自信を持って憲法を守り、私やあなたにつながる人たちがこれからも安心して暮らせるように、そして世界にもその恩恵が広がるように、私たち一人ひとりができることから動いていかれたらと思います。
※<朝日新聞2012年5月3日に紹介された記事を基にしています。資料が手元にないので記事を紹介したブログをリンクさせていただきました。検索で出てきた共産党市議さんのブログです。ありがとうございました。>



