セレニティカウンセリングルーム

被災地の体験を聞く

先日、カウンセラーの研修会で、福島の被災地で地震直後に救護に当たられた看護師さんのお話を聞く機会がありました。石巻の公立病院に勤務中、地震が起き、物資も人手も不足する中でどうやって被災の日々を過ごしてこられたかを、写真を見ながらお話しくださいました。

同僚の看護師さんの一人は、夕方からの勤務に備え、病院に向かっている途中で車ごと流されて亡くなったそうです。講演者の看護師さんは責任ある立場の方らしく、論旨も明快で気丈な雰囲気の方でしたが、話の途中でときどき言葉に詰まり、涙をこらえながらお話ししてくださる姿にはこちらも胸が苦しくなるほどで、被災状況の深刻さと、その過酷な状況の中であらゆる努力をした現場の鬼気迫る様子が切迫感を持って伝わってきました。会場のあちこちでハンカチを取り出す姿も見られ、講演が終わってもシンとして皆言葉もないような状態でした。

一方、現在でもこんなことがあるのかと唖然としたのが、大量に送られてきた物資を開けてみたら、汚れた下着や破れた服など捨てるしかない物が大半で、人手が足りない中、3人の看護師が一日がかりで仕分けしてみれば、19箱のうち使える物は6箱しかなかったということもあったとか。

また、公立病院の医師や看護師は公僕なので、物資が送られてきても自分たちに分けてはいけないと言われ、着替えもなく、危険な瓦礫の中を歩くにもナースシューズ以外は履く靴もない状態だったそうです。やっと個人的なツテを頼って物資を送ってもらい、急場をしのぐような状況だったとか。孤立状態であることを知らせたいと、事務長が一日がかりで徒歩で救援要請に行ったところ、病院長の要請ではないから救助は出せないと言われたというに至ってはまさに絶句!

とにかくこんな調子で、モノも人手もない中で工夫に工夫を重ねてしのぎ、何とか患者さん達には少しでも良い状態をと努力されたご苦労は、想像を絶するものがあったと思います。

そうやって、せっかく出来た訪問ケア先とのつながりも、復旧に伴う配置替えで、また一からの出直しになってしまったということにも、現場の苦労が報われていかない辛さ、やりきれなさを感じました。ついつい講演が強い告発の口調になっていくのは正直こちらも聞いていて辛かったです。

でも、どこにもぶつけどころのない現場の生の声なのだと思うと、しっかり受けとめなければと気を引き締めました。ましてやカウンセリング学会の研修会なのだから、こういう場でこそ話をしてもらって、少しでもラクになって帰ってもらえたらいいなあと思いました。

こんなに苦労をしつつ、せっかくつながりができて元気になってきたお年寄りに、「来月からは来られません。担当者が変わりましたので」と伝えるのはどんなにか悔しかったことでしょう。

一方、辛いことの中にも、看護師仲間の連帯感の強さや、日本や海外の遠くから支えてくれる理解ある仕事関係の知人のありがたさなど、人の本当の姿がまざまざと見える体験だったと締めくくられました。福島では、震災はまだ今日ただいまの出来事であり、復興は始まったばかりであることを強く印象づけられた講演でした。

関東に住んでいると、震災はすでに過去のことのように思いがちですが、人間は忘れやすい動物だということを胸に刻まなければと改めて思いました。とても貴重な機会でした。辛い体験を語ってくださったことに感謝しました。

コメント欄