セレニティカウンセリングルーム

いじめの問題

~緑のカーテンが着々と育っていますよ~
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心理臨床の現場にいると、大なり小なり幼少期から学童期に至る人間関係、中でも友人との関係が、その後の人間関係や社会との関わりにおいて、とても重要な要素を占めていると実感させられることが多くあります。とりわけいじめの問題は、思春期以後、傍目には特にこれといった支障がないように見受けられる場合でも、本人にとってかなり根深い課題となっている場合があるように思います。

「当時はそれほどとは思っていなかったけれど、今になって思い返すと憤りでいっぱいになる」とか、「いじめられた自分を認めてしまうとつぶれそうだったので、自分の状態を見て見ぬ振りしてやり過ごしていた」とか、「その場を切り抜けるのに精一杯で自分のダメージを思いやる余裕さえなかった」など、後になって振りかえったときに初めて、当時の傷の深さに気づくこともあります。すでに過去のことだと思っていたいじめが、カウンセリング中に、今日的な問題となって浮上してくることも珍しくありません。

人が存在する限りいじめがなくなることはないのかもしれません。でも、だとしても、いじめで受けた心の痛手が、成長のどこかで徐々に解消でき、癒されていくような緩やかなつながりと余裕のある社会になれば、いじめの被害者のみならず加害者も救われるのに、と思ってしまいます。実際、かつての被害者が加害者になることも多く、被害者・加害者の線引きは難しいものがあります。巷で起きる悲惨な事件を見聞きするにつけ、子ども時代のいじめが遠因になってはいなかっただろうかと、気になってしまうのは私の職業ゆえでしょうか?、

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