セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 子育て 』

「みんなの学校」が教えてくれること

本当に長いことご無沙汰してしまいました。

以下の文章は1か月くらい前に書きかけていたものなのですが、続きがかけないまま放置され、やっと今日重い腰を上げました。したがって季節がずれていますが、書き直すとまたまた遅くなりそうなのでこのまま失礼します。

☆  ☆  ☆  ☆

季節はすっかり秋ですね。

とはいえ、雨、雨、雨ですっきりした青空はあんまりなかったように思われる今年の秋。夏から秋そして冬へ、急ぎ足で駆け抜けていくようです。

そんな中、先日ある教育講演会に行ってきました。

公立学校の現役校長先生のお話です。校長先生の話だから堅い話と勝手に思っていた私の予想は大きく外れました。

校長先生自身の体験談が中心で、しかも失敗談から何を学んだかという、校長先生の講演内容としては結構ユニークなお話でした。同時にその教育方針と実践は魅力にあふれ、あっという間の2時間でした。この日のテーマは「みんなの学校」。

講演者は、ドキュメンタリー映画で見た方も多いかもしれませんが、大阪の公立小学校「大空小学校」の市場達朗校長先生です。映画に登場した木村泰子校長は退任され、木村校長から引き継いで3年目。映画の当時は教頭先生をされていた方です。

その教頭先生が、大人も子どももお互いが育ち合う学校の中で、校長先生として育っていくプロセスをお話しされたのが今回の講演といってよいと思います。

その失敗のエピソードは、たとえばこんなふうです・・・。

ある台風の日、学校は休校になりました。子どもたちは登校してきませんが、先生たちは学校で待機していました。そんな中、校門のインターフォンが鳴りました。教頭先生が応答すると、A君が台風の中、登校して来てしまったのです。教頭先生は学校が休みだと告げ、気をつけて帰るように言い、A君を帰しました。

すると(当時の)木村校長が即座に職員室に飛びこんできて、すぐにA君を連れ戻すよう他の教員に指示を出し、教頭先生(現校長の市場先生)はその場で校長室に呼ばれたそうです。

「教頭先生。自分の子どもでも嵐の中を帰れ言うんか?!」と木村校長。市場教頭先生は、本当にその通りだと、ただただ言葉もなかったそうです。「台風事件としてその後も語り草になっています」と笑って話されていましたが、校長先生が失敗談を次々披露する講演会もあまりないだろうと思いつつ、教育観を根底から問い直されるくらいの実践であることが伝わってきました。

そうしたことが毎日のようにあり、子どもも、教職員も、親も、地域の人も、みんながお互いに教え合い学び合う仲間という考えで、学校が成り立っています。

なので、授業はいつでも見に来てよいが、廊下で立って見ているのは×。教室の後ろに立っているのも×。見るのではなく、一緒に机に座って勉強する・活動する、が基本です。

そして、大空小学校のたった一つの約束ごとは、「自分がされてイヤなことは人にしない、言わない」これだけだそうです。マニュアルやルールはありません。あると考えなくなるから、とのこと。

この約束は大人にも求められます。同時に、約束を破ったときは「やりなおし」ができます。
「やりなおし」とは校長室に行って、校長先生の前で自分のやってしまったことを話すのです。校長先生は「どうしたん?」と声をかけ、最後まで話を聞く。その後、「大丈夫か?」と一言。

「これだけでよい」(木村元校長)そうです。本当にこれだけ?と思ってしまいますが、これだけなんです。これを大人も同じように約束を守れなかった時にやるのだそうです。

こんなで本当にうまくいくのだろうか、と心配になりそうですが、心配はまったくの杞憂に終わります。暴力をふるう子、障害のある子、どの子もともに学び、助け合い、笑い合う学校が現に存在していること・・・希望が生まれます。そして勇気を与えられます。

しかも、子どもたちだけでなく大人も育っていく学校なんです。さらに、私立ではなく公立小学校なんです。

講演の後、「行ってみたいな~。実際に教室に座って授業を受けてみたいな~」そんな感想が私の中に生まれました。なぜなら、私たちは本当にさまざまな思い込みや価値観に縛られていると感じるからです。校長先生の失敗談の数々は、そのまま自分に当てはめて考えざるを得なかったからです。

それらの思い込みを払拭するには、単に知識としての理解でなく、実際に体験して初めて、大空小学校の目指すものが肌身でわかるに違いないと思ったからです。それは私たちみんなが求めているもの、今この時代を生きる上で必要とされるもの、そんな気がしています。

「みんなの学校」公式サイト

今サイトを見たら、2017年2月21日から東京で公開予定のようです。未見の方は、よかったらぜひ!

今夏一番の猛暑の日に

残暑お見舞い申し上げます!

すっかりご無沙汰してしまいました。今年はいつにも増して、何だか月日が飛ぶように過ぎていきます。特に、6月頃からあっという間に過ぎて、あれよあれよと8月になり、気づいたらお盆も終わっていたという・・・。

何なんでしょうね。歳を取ったからだけでもないような・・・。

 

そんな日々ではありましたが、元気に動けているのはありがたいことです。

先日は小学生の孫二人と、電車を乗り継いでアスレチックのある公園に行ってきました。それが今年一番の猛暑の日!!

そんなに市街地から離れているわけでもないのに、バスは1時間に1本しかないし、ほかに交通手段もなく、タクシーで公園に、という贅沢(孫には甘い)。というか、とにかく暑くて、早く涼しいところに移動したいと思う、ひたすらそれだけ。タクシーを待っている人達も、タクシー乗り場から離れた日陰に避難して待つほど。

やっと乗ったタクシーで、運転手さん「今日は38度だそうですよ」「!!!」宮城から来た孫達はそれでなくても連日暑い暑いを連発。タクシーの中ですっかりぐったり。

公園に着いてみると、何やら工事をしているではありませんか。それにやけに閑散としているし、子ども達の声も聞こえない。イヤな予感。

通りかかった男性が「今日は暑いねえ」管理人室の方に向かっていくので、「管理人さんですか?水遊びのできるところがありましたよね」とネットで調べた情報を元に尋ねる。

「ああ、今日はお掃除だ。お休みです」と背後の噴水らしき一角を指さす。昼休みから戻ってきた作業員達が作業に取りかかり始めた。さっき、公園の入り口の木陰で昼寝をしていた人達だ。

「ええ~~!!」と子ども達、と私。「たまたま今日が清掃日だったんだよね」の管理人の声も遠くに聞こえる。。。。。。

こんなに暑い中をタクシーでやってきて、水場は無し。

気を取り直して、「残念だったねえ。じゃあアスレチックで遊ぼうか。木陰だから涼しいんじゃない?」と極力明るく声を掛けてみるが、子ども達は「あつ~~い」。それでも、手近な遊具に上り始めるが、だあれもいない公園はモチベーションが上がらないようで、「しょうがない、まあ上ってみるか」感がハンパではない。

上って下りてきたら、「もういい。帰ろう」(今来たばっかりでしょ?)

「貸し切り状態よ、滅多にないでしょ、こんな事」と励ましてみる(こんな猛暑の日に出てくる人はいないよ、と自分にツッコミを入れながら=あ~あ、せっかく楽しませてやろうと思ったのに。もしかしたら公園のインフォメーションに清掃日の注意書きがあったのかもしれないな~と反省もしつつ)

子ども達の好きなタラコおにぎりを並べても、あんまり飛びつかないし、昨日プラネタリウムで買ったおみやげの宇宙食「イチゴ味のアイスクリーム」を期待と共にひとかけらを口に。「これ、アイスじゃないよ」確かにあのトロッとしたアイスを期待すると大はずれ。普通は期待しますね。

形状はフリーズドライで、厚さ1センチ弱、切り餅くらいの大きさに成形してあります。いわゆるアイスクリームを期待してはダメです。イチゴ味のアイスを食べた後の口の中を再現するためなら◎。孫達には、「噛まないで溶けるのを待っていると、アイスを食べた後の味がするでしょ」と味わう秘訣を指南。

少し離れたベンチでは、オカリナの練習をするお兄さんが「コンドルは飛んで行く」などポピュラーな曲をマイペースで練習している。たまに犬の散歩の人が通り過ぎる。この何にも無さも、これはこれで私自身は結構好きなんですが、子どもにとっては面白くもなんともないだろうなというのもわかる。

それでも、ブランコに乗ったり、公園の全体をぐるっと回ってみる。こんな日でも、木々を渡る風はさすがに涼しく、緑の多いありがたさを痛感する。

170809_1311~02

写真では見えませんが、この緑のアーチにはブーゲンビリアが絡まっているんですよ。オレンジ色の花がグリーンに映えてきれいでした。こんなに暑くなかったら、きっと居心地の良い公園だと思います。そしてもう少しアクセスが良かったらなお良いですけどね。

☆ ☆ ☆

教訓:猛暑の日はおとなしく家にいること。
たとえ子どもでも暑い日には水遊び以外はしたくなくなるのだ。

おかげで一夏分の暑さを体験した一日でした。でも、涼しい所にいて一夏終わってしまうのも何だか夏らしくないので、この日は夏の暑さを満喫したということで、これはこれで良かったのかな?

↑ ・・・負け惜しみ^^;

 

 

 

柳の芽吹いた公園で

近くにあるのに一度も行ったことのなかった公園に、孫達を遊ばせるため、初めて足を運びました。
連休ということもあり、若いファミリーがいっぱいでした。

バアバの役目は、お弁当と一緒にベンチで留守番。3人の孫達は思い思いの方向に散っていきました。






しばらくして孫のうちの長男が、海賊船を模したアスレチックのてっぺんに登り、「海賊ごっこする人はいませんかー?」と公園中に響き渡る声で仲間の募集を始めたのにはビックリ!そのうち妹も一緒になって声を揃えています。

(地元の公園ではないんですよ。東北から埼玉に遊びに来て、初めて来た公園で、これです^^;)

なかなか「応募」がないようで、募集の呼びかけが続きます。いつまでやるつもり?とハラハラしていると、そのうち男の子が何人か来て何やらやりとりしている様子。後で聞いたところ、結果的に男の子二人と一緒に鬼ごっこをしたそうです。

子どもと一緒でなくては、なかなか味わえない新鮮な体験でした。
こちらもリフレッシュ、リフレッシュ!

芽吹いた柳がと~ってもきれいでした。


春本番も間近ですね。
大学の新学期も、もうすぐです。

こんなふうに書けたら・・・。

もうすぐ2月。

寒さの中にも、日だまりの空気には

春の気配がほんのすこ~し

混じっているのが感じられるこの頃です。

もちろん、風はまだまだ冷たいんですけれどね。

☆   ☆   ☆

さて、ちょっとさかのぼって年賀状の話題です。

これ、たぶん、今でなくては書けない一生に一度の年賀状だな、と。

見てると、心もからだも、ホワ~ンとゆるんでくる・・・。

誰にもこんなときがあったんですよね。

特に、「れ」と「と」が最高!!! \(^^)/

 

「人に何かを伝えたい原点はこれなんだ!」って思い出させてくれました。

間違えたってちゃんと気持ちは伝わるんだよ。

そのときの自分の最高の一生懸命で書いたらいいんだよってね。

 

 

 

言葉を話す前に必要なこと

(桜の木も冬支度です!)

またまた、ご無沙汰してしまいました。
今年もあと一月ほどですね。早すぎます!
日々をこなすことに追いまくられてゆっくり味わっている暇もないような毎日で、こんなんでいいのかなあと思いつつ、たまに孫の顔を見ると、子どもの成長の早さに別の感動をもらいます。でも、だからこそゆっくり子ども時代を味わって成長してほしいとも思うし、成長の喜びと「じっくり体験して」という老婆心が複雑に交錯します。

今の時代、親も子も、ジジババも、若い人も、み~んな忙しくて大変です。

先日、ある本を読んでいたら、<「ことば」は関係の中で身につく>という一節があり、なるほどなあと考えさせられました。
そこに紹介されていたエピソードは、ある教育相談の事例で、3歳になっても言葉の出ないお子さんの例でした。
その子は噛むことがうまくできなくて、ご飯は口に入れると30分くらいモグモグやってから飲み込むので、一回の食事に3時間くらい掛かってしまうのだそうです。

その様子から、このモグモグは赤ん坊がおっぱいを飲む行為に違いないと察した相談員が、抱っこしながら哺乳瓶でミルクを飲ませるように勧めてみたところ、子どもは喜んでミルクを飲み、次第に噛むこともできるようになり、今度は自然に言葉が出てきたのだそうです。

このお子さんは母親一人に育てられており、母親が仕事で不在中はベビーホテルを転々として育ってきたために、安心した人間関係が形成されなかったのです。そのために、言葉の獲得もできなかったというのです。

言葉は単に単語を覚えればいいというのではなく、人間関係があってこそ生きた言葉の獲得になるし、そうやって覚えた言葉を駆使することが人間形成につながっていくという流れで説明されていました。

俗に「読み・書き」と言いますが、「読み・書き」の前には「話し・聞き」がなければならず、育つための順当な順序があって、初めて言葉が言葉として機能し、知識や人間形成に役立つというのです。

私自身まだ十分読みこなせない中でご紹介して恐縮ですが、もし関心がおありでしたら読んでみてください。2002年の発行ですが十分今に通じる、いやむしろ今だからこそ必要な示唆に富んだ内容だと思います。

本の題名はこちらです。
『日本語の豊かな使い手になるために ~読む、書く、話す、聞く~』
大岡 信 著
(大岡信さんが学校の先生方数名と交わした数日間に渡る対談をまとめたものです)

やっぱり時間って大切ですね。時間があれば、3歳のお子さんもゆっくりお母さんに関わってもらえたでしょうし・・・。学校の先生も親も、子どもに余裕を持って関わるゆとりが生まれますし、職場の人間関係も、時間があればもっと穏やかな関係がつくれるでしょうし、人間的なふれあいも生まれてくるでしょう。そしてそういうことこそが、人生の喜びそのものなのだと思うのですが・・・。