カテゴリー 『 雑感 』
こんな所に広大な原っぱが!
気づいたら、季節はすっかり秋も深まって。。。
今までで一番長いご無沙汰をしてしまいました。
この景色に接したときは、心の中でわお~っと叫んでしまいました。眼前に横一線この景色が広がっていたのですもの!
写真ではわかりづらいですが、遠くに見える高層ビルはさいたま新都心付近のビル群です。そこからほんの少し足を伸ばしただけで、こんなに静かな野原が広がっているのを初めて知りました。11月だというのに、暖かいせいかまだ緑が多いですね。
この原っぱの脇に1本の細い道があって、そこを通ってお仕事に行く機会が最近できました。そのことでたまたま知ることができた道なのですが、仕事の帰りにこの広い原っぱに沿って続く小道を、10分ほど歩くことができるのは結構楽しみになっています。
実は、歩きながら見える景色の片側はこんな感じですが、道を挟んで反対側はこの景色とは一変して住宅街なのです。
でも、この写真だけ見るととてもそうは思えませんよね。それもまた面白いところです。
そしてこの原っぱには何もないのですが、それがまたいい。
いえ、正確には何もなくはないです。
この草地沿いに10分ほど歩くと、広い道路に出る直前=つまりこの原っぱの一角に、小さな公園があるにはあります。でも、それ以外は何もありません。今や何もない原っぱや空き地は都会では貴重な存在ですね。
先日、私がその小さな公園の脇を通ったときは、うっそうとした樹木の間のベンチで数人のお年寄りがおしゃべりしていました。
そして原っぱが途切れて広い道路に出ると、途端に人と車の喧噪の世界が始まります。
それまでのほんのわずかの異空間。私には深呼吸のように心地よく、貴重な時間に思えます。1ヶ月後、ここを通るときに景色がどのように変化しているか、それもまたささやかな楽しみになりそうです。
静寂と喧騒
落ち着いてパソコンに向かう余裕がなく(時間的にというよりは気持ち的に)、気がつくと2ヶ月以上もご無沙汰していました。
(写真は大学のキャンパスで仰いだ青空)
5月下旬に弟が亡くなり、闘病中だったとはいえ突然のことでショックでした。訃報を聞いて真っ先に思ったことは、死って静かだなぁということ。
訃報を耳にする一瞬前までは、希望・期待・不安・怖れなどなど、いろいろな感情が交錯して気持ちはザワザワしていました。そこに飛び込んできた訃報、亡くなったと聞いた瞬間、時が止まり物音一つない静寂の世界に一人ポツンと佇んでいる感覚。
本当に静かで、ただひたすらな静寂。
思えば生きていくことそのものが饒舌な世界での営みなのだと今さらながら知ることとなりました。絶え間なくおしゃべりを続けているかのような喧騒の世界に生きているのが私達の日常なのかもしれません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
多少なりとも、ふだん瞑想に親しんでいれば、身近な人の死に臨んでも死の受け入れ方も悲しみも薄らぐのではないかと思っていたのですが、そんなことは全然ありませんでした。ショックなものはショックだし、悲しいものは悲しいままでした。
でもそれでよいのだと・・・。
悲しいときは悲しむしかない。そして、そういう自分を見ていればよいのだと。
瞑想とはそういうものだそうです。
ただ、こんなふうには思います。瞑想を通して、死を深いところで受け止められているのかもしれないと。重層的にと言うのでしょうか・・・。やはりなんだかんだ言っても、瞑想は私にとって欠かせないものになっていることは間違いないようです。
近所の田んぼ。冴え冴えとした緑が美しい。
田植えの季節には子どもたちがカエルを覗きに来ていました。
どこを歩いても緑
大学への行き帰りも、大学のキャンパスも、休日に出かけた公園も、どこも緑が溢れています。浅い緑色が折り重なり、光の反射で濃淡を作っては多彩な緑色が目を楽しませてくれます。
色どり豊かな花が咲く春も好きだけど、新緑の季節も本当に気持ちが良くて大好きです。
もちろん、どの季節もそれぞれに良いところがあって、その変化があるからこそ楽しめるのですよね。そう考えると、どの季節が一番好きかとか、優劣はつけられないな~とも思います。
ですが、それにしても今年の季節の変化は早い気がして、しっかり味わわないと季節がどんどん通り過ぎていく気がしています。
この公園も、少し前には八重桜が見事でした。さらにその前はソメイヨシノが満開で、その下でお弁当を広げているママと子どもたちがたくさんいました。
この日は、初夏のような陽射しの中で、少年野球の練習のようでした。
フェンス越しの木陰で水分補給をしている少年たちの姿も。(もうすぐ炎天下での練習が待っているんだね。ごくろうさま~)と、汗ばむほどの陽射しを避けて、木陰を選びながら歩いていたオバサンは思ってしまいました。
沖縄は数日前に梅雨入りしたそうですね。
関東ももう間もなく、あのしっとり(じっとり?)した空気と蒸し暑さの季節がやってきます。
でも、それにはまず、この緑の季節を味わってから。。。。
いっぺんに春が来た!
暖かくなったと思ったら一気に桜が咲いて、またたくまに散ってしまいました。でもその分、街のあちこちが、どこもかしこも咲き誇る桜でいっぱいでした。
つい、一週間前のことです。
今頃はきっと葉桜ですね。
公園の花壇。
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こんな道路脇にも・・・。
タンポポなら綿毛が飛んできて芽を出したということも考えられるけれど、
チューリップの球根がいったいどうやってここに?
可憐な色といい、
なんだか健気。。。
ここにも春が来たよ!
久しぶりに、絵本
本当に大変ご無沙汰してしまいすみませんでした。
2月の中旬に風邪だかインフルエンザだかで寝込んでしまい、その後治ってもスッキリしないで復調するまでしばらくかかってしまいました。気づいたら、3月になっていました・・・。
(写真、ピンボケですね。。。)
そんなある日、お天気が良かったので、散歩がてら図書館まで足を伸ばしました。いつも図書館にいると時間を忘れてしまいます。特に、児童書のコーナー、それも絵本のコーナーが好きで、絵本に囲まれていると「幸せ~」となります。
この日は、たまたまツイッターで情報を得た2冊がお目当てでした。あらかじめ自宅のパソコンで図書館のサイトを検索し、所蔵を確認してから来たので、多分駆り出されていなければ大丈夫なはず・・・。図書館のパソコンで再度検索。ところが、記号を見ても、どの棚を探したらよいのかわからなかったので、司書の女性にお願いすることに。
すると早速パソコンで調べてくれ、プリントアウトされた小さなメモを見ながら案内されました。ちゃんと、2冊とも貸出可能でした。
次回から自分で探せるように司書の方に探し方を確認したところ、パソコンのボタンで印刷できるのでメモを頼りに探すと良いと教えてもらいました。何度も来ている図書館なのに、パソコンにそんな機能があることも知らなかったなんて。。。便利な機能は使うべきですね。
さて、そんなふうにして読むことのできた2冊(写真を取り忘れてしまいました)。
ちょうど冬季オリンピックの頃だったので、連日雪と氷のスポーツが繰り広げられており、スピードスケートではオランダの選手の強さが印象に残っていたときでした。
そんな折に、書店のオーナーがツイッターで紹介していた本の一冊がこれ。
「ピートのスケートレース」(ルイーズ・ボーデン/ニキ・ダリー)
第2次大戦下のオランダ。10歳の少年ピートは、オランダ中の村々を回って計200キロを踏破する過酷な国内最大のレースに憧れ、手帳に地図や情報を書き込んではいつかそのレースに出場することを夢見ていました。そんなある日、ピートはユダヤ人のクラスメイトの女の子とその弟を、ナチスの手を逃れてベルギーの親戚に送り届ける役目を頼まれます。
地図を頼りに一晩で何十キロも村から村へ滑り通していかなくてはなりません。途中には幾つもドイツ兵の検問所があります。
・・・とお話は進むのですが、ここに描かれるオランダの冬とスケートの関わりを知って、オリンピックでのオランダ人選手がなぜ強いのか、非常に納得できたのです。冬のオランダでは、スケートは歩くよりも車に乗るよりも、ずっと便利な必需品として人々の生活に根付いていたのですね。これからオランダのスケート選手を目にするたびに、ピートのことがチラチラと浮かんでくるような気がします。
セピア色を基調にした絵と、状況理解には多少の説明が必要なこともあって、はしゃぎまわっている孫たちに読んで聞かせるにはあまり適当ではないかもしれません。でも孫たちに、いつかどこかで、ゆっくり一人静かに読んでほしい本だと思いました。
。。。。。。。。。
さて、お目当てのもう1冊はこちら。
「はちうえは ぼくにまかせて」(ジーン・ジオン/マーガレット・ブロイ・グレアム )
こちらは手元においておきたいので本屋に注文するつもりです。写真を撮ったらそのときに別立てで書かせていただきますね。






