今日は、今年最高の暑さだったそうです。熊谷では40.9度といますから、この辺でも38度くらいあったのでしょうか。
ちょうど最高気温をマークした時間帯に、よりにもよって、図書館に向かっていました(片道25分)。歩いている途中で「光化学スモッグ注意報が発令されました」と聞こえてきました。
気温が40度近いと、ただ歩いているだけでも疲れます。さすがにペットボトルと日傘は持って行きましたけど、途中で引き返そうかと思ったくらいでした。
確かに用事はあったのですが、あと数日すれば少し涼しくなったというのに、…それなのに、一年で一番暑い日の、しかも一番暑い時間帯にテクテク歩いているなんて!
そう言えば思い出します。
「絶対に混んだ日には行かないぞ」
と決めていたにもかかわらず、今夏一番の混雑という豊島園のプールに行ったり…。筑波万博に行って家族でグッタリして帰ってきたら、その日が最高の入場者数だったとか…。
という泣き笑いのエピソードもいろいろ。
何はともあれ、暑さもこの辺がピークの模様。残暑をうまくのりきって元気で過ごしましょう。
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新聞の投書欄に中学生(男子)のこんな投書(大意)が載っていた。
「電車で人に席を譲るのはとても勇気がいるけれど、できるだけそうするようにしている。しかし席を替わってあげた後で、何だか落ち着かなかった。そこで、目の前に立つと、座った人も居心地が悪いと思うので、席を替わったら離れた場所へ行って立っていることにしようと思った。」
とても気持ちの優しい中学生だなあと感心した。それに、相手を思いやる細やかな気遣いにも感心する。最近は、こうした若者達の気遣いが少なくないように思う。彼らはとても優しく、繊細なのだ。
感心する一方、「でも~」っと私は考えてしまった。
そんなに気にしなくてもいいのでは?
<席を替わってあげたかったから、替わってあげた>ということでいいと思う。
こちらが自然に振る舞えば、相手の人もきっと気にせずに座ってくれるはず。
相手が「立たせてしまって悪いな」と負担に思っているに違いない、というのが中学生の気持ちの前提にあるから、自分が目の前に立っているときっと居心地が悪いだろう、と気遣ってしまったに違いない。
目の前に立っていてもいいと思う。「自分が替わってあげたくてやったことだから、自分にとって、立っていることは負担でも何でもない」と思って、立っていればいいのだ。自然な振る舞いは、相手に無用な気遣いをさせないですむ。
それに・・・、昔、こんな事があったのを思い出した。
小学生の息子が夏休みに一人で、私鉄のスタンプラリーに出かけていった時のこと。
「(電車で)席を替わってあげたら、おばあさんに話しかけられちゃった。いろんなこと話して仲良くなっちゃった!」と嬉しそうに帰ってきたことがある。
そんな人とのふれあいも悪くないと思う。新聞記事の中学生も、座席の前に立っていたらお年寄りと話をする機会があったかもしれない。もっとも、中学生ともなると、小学生とは違って、話しかけられるとよけいに照れてくさいかも。
ということで、やっぱり離れた所に立つことになるのかな…?? ^^;
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今日も暑い一日でした。
あんまり暑いので、いっそデスクワークよりも、汗をかく仕事をしようと、午後は日頃放りっぱなしの観葉植物の植え替えや、鉢植えの世話をすることにしました。
実は、6月頃から、伸び放題の葉や茎が気がかりでしかたなかったのです。が、ついつい後回しになっていたのです。観念して、どうせ暑いのなら、この際と…。
ところが、いざベランダで始めてみると、その暑いこと、暑いこと…!熱中症でダウン、なんていうのもわかる気がしました。なにしろ、日陰にいてさえジリジリと焼けつくようでしたから。
何度も部屋に戻っては、水分を補給しつつ、ようやく夕方には大半が終わって、やっと少しホッとしました(どうせやるなら、涼しいうちにやればいいのにと言われそうですね)。
何しろ生き物は待ってくれませんから。特に夏場はドンドン成長します。冬の寒さに備えて今のうちに成長して、養分を蓄えるのでしょうね。
そんな植物に合わせていると、こちらも自然に動かなければなりません。おかげで、久しぶりに大汗をかきました。終わったら爽快そのもの、「夏」を実感!
そう言えば、夏にエアコンの効いた所にばかりいるのは、体によくないといいます。夏に汗をかくことで、秋から冬に向けての季節の変化に、自然に体が順応していくようになるのだとか。
仕方なしに始めた鉢植えの手入れでしたが、おかげで気分爽快。なるほど、生き物を相手にしていると、こちらも自然に四季のサイクルにあった暮らし方をさせられて、心身共に健康になるというわけですね。
ともあれ、これでしばらくは、植物たちも安泰です!
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最近は、学校の先生方に対する心理やカウンセリング分野の研修が盛んにおこなわれているようです。
一昔前に比べて、先生方は個別に、よりきめ細かく子ども達に対応しなくてはならず、集団行動にしても、子どもの内面的なことも理解しておかないと指導が難しくなってきたからだと思われます。
確かに、現場の先生方からお話を聞くと、内面的な複雑な問題も少なくないようですね。先生方も教師になったり、カウンセラーになったりではたいへんだなあと思います。
ただ、学校の先生方がそんなに深くカウンセリングを学ぶ必要はあるのだろうかと、その点はちょっと疑問です(あちこちでそうしたプログラムが組まれているようですが)。
なぜなら、先生方はカウンセラーや臨床心理士が持っていない教育上の指導という枠組と、そのための方法を持っていらっしゃるのですから。
それらを存分に生かすこと、そのための基礎知識としてカウンセリングを身に付けておけば、それで十分ではないかと私は思っています。
子ども達にとっても、教師は教師、カウンセラーはカウンセラーとして、方向は同じでも違った方法で対応してもらえれば、より幅のある成長の機会を得ることができるわけです。
私はむしろ、カウンセリングの場面で「こんなとき教師だったら、集団指導で効果的な対応ができるのだろうなあ」と、教育指導で対応できる先生方をチョッピリうらやましく思うときすらあります。
臨床心理士やカウンセラーとは違った対応ができるところにこそ、教育の醍醐味と価値があるのではないでしょうか?
餅は餅屋、先生は先生!
「先生でなくてはできないことを」です。…先生方、どうかよろしくお願いします!
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テレビの園芸番組を見ていたときのこと。画面は北海道の夏の庭園を映している。庭園に咲いたハマナスの花の濃いピンク色がみずみずしい。
番組案内役の園芸家の柳生さんが、感心したようにハマナスの葉っぱを手にとって言う。
「ウチで植えているのより葉っぱが小さいなあ。ウチのは手を掛け過ぎなのかもしれない。ここのは葉っぱが小さくて、その分こんなに花の色が濃いでしょう?」
肥料・水・土など、生育条件を人間が整えてやりすぎると花よりも葉っぱが立派になる。花や種が立派に育つには、必死に子孫を残そうとする植物自身のエネルギーが必要だからだ。条件が整い過ぎると、植物はがんばる必要がない。
「ウチのハマナスは育てているっていう感じだけど、ここのは育てられているんじゃなくて、自分で生きているっていう感じだ。」
いっぽう、シバザクラを育てているおじいさん、手入れのコツを柳生さんに聞かれてこんなふうに答えた。
「いつも畑を見回って、よく見てやることが大事。愛情持ってみてやるちゅうことかなあ。」
植物も人間も、何だか似ている。
いつも見守っていながら、しかし、手を掛けすぎない。
その、どこまで手を掛けるか、掛けないか、<頃合い>が難しい。
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