セレニティカウンセリングルーム

関連するコトバ 『 お年寄り 』

役に立つとは

先日、新聞の投書欄に次のような記事が載っていました。

80代のお年寄りの元へ、市役所の高齢福祉課から「生活機能評価」という調査票が届いたそうです。その中に「あなたは、世の中の役に立っていると思いますか」という項目があったそうです。

この方は、体調が悪く、地域の役員も断ってしまっているし、特にボランティアもしていないので、「役に立っていない」に印を付けて提出したそうです。以来、「役に立つとはどういうことか」ということを考え続けていると…。

それにしても、すごい質問があるものだと絶句しました。もし私がこの質問をされたなら、なんて応えたらよいのでしょう。

「私は役に立っているかしら?」もし、役に立っていないと思ったら、そんな自分に対して、何をどうすればよいのでしょう。

「もっとしっかり世の中のためになることをしなさい」という意味なのでしょうか?それは、お年寄りに向けて、「もっと働け」という意味なのでしょうか?高齢で、身体の具合が悪くても、まだ働けと?

この投書の主も書かれています。
役に立つとはそもそもどういうことをいうのでしょう。

人の価値には、何かが出来るとかではなく、その人の存在そのものが価値であることだっていっぱいあります。むしろ、人間の価値というか存在意義とは、本来そういうものではないのでしょうか。

役に立つとか立たないとか、また、役に立つとはどういうことか、この質問の意味は、今でも私にはよくわかりません。

赤ちゃんの笑顔は役に立ちませんか?
病気でも、
歳をとっても、
働けなくても、
たとえ寝たきりだったとしも、
その人がいることで周囲が支えられ、生きる意欲をもらえることはありませんか?

質問を作った人に訊いてみたくなりました。

席を譲った時どこに立つ?

新聞の投書欄に中学生(男子)のこんな投書(大意)が載っていた。

「電車で人に席を譲るのはとても勇気がいるけれど、できるだけそうするようにしている。しかし席を替わってあげた後で、何だか落ち着かなかった。そこで、目の前に立つと、座った人も居心地が悪いと思うので、席を替わったら離れた場所へ行って立っていることにしようと思った。」

とても気持ちの優しい中学生だなあと感心した。それに、相手を思いやる細やかな気遣いにも感心する。最近は、こうした若者達の気遣いが少なくないように思う。彼らはとても優しく、繊細なのだ。

感心する一方、「でも~」っと私は考えてしまった。

そんなに気にしなくてもいいのでは?
<席を替わってあげたかったから、替わってあげた>ということでいいと思う。

こちらが自然に振る舞えば、相手の人もきっと気にせずに座ってくれるはず。

相手が「立たせてしまって悪いな」と負担に思っているに違いない、というのが中学生の気持ちの前提にあるから、自分が目の前に立っているときっと居心地が悪いだろう、と気遣ってしまったに違いない。

目の前に立っていてもいいと思う。「自分が替わってあげたくてやったことだから、自分にとって、立っていることは負担でも何でもない」と思って、立っていればいいのだ。自然な振る舞いは、相手に無用な気遣いをさせないですむ。

それに・・・、昔、こんな事があったのを思い出した。

小学生の息子が夏休みに一人で、私鉄のスタンプラリーに出かけていった時のこと。

「(電車で)席を替わってあげたら、おばあさんに話しかけられちゃった。いろんなこと話して仲良くなっちゃった!」と嬉しそうに帰ってきたことがある。

そんな人とのふれあいも悪くないと思う。新聞記事の中学生も、座席の前に立っていたらお年寄りと話をする機会があったかもしれない。もっとも、中学生ともなると、小学生とは違って、話しかけられるとよけいに照れてくさいかも。
ということで、やっぱり離れた所に立つことになるのかな…?? ^^;