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「ごんぎつね」の表現の違い

日曜日は手塩研でした。小学校の先生の研修会です(詳しくはHPを)。

研修会と言ってもほとんど個別指導に近い少人数で、和気藹々と中身は濃く、楽しんで私も参加させてもらっています。

今回もいろいろ学ぶことが多かった中で、一番印象が強かったのは4年生の教科書に載っている新美南吉作の「ごんぎつね」のことです。

実は、南吉が書いた原文とは異なる鈴木三重吉の手が入ったものが、長年教科書に採用されてきたもののようです。

鈴木三重吉と言えば、日本で最初の児童文芸誌「赤い鳥」の主宰者です。当時新美南吉は18歳の新人ですから、手を入れられても異を唱えることはできなかったでしょうね。

私は別に南吉ファンでもなんでもありません。でも、今回原文と教科書の文と両方を比べてみると、新美南吉が生きていたら、不本意なんじゃないかなあと同情したくなりました。

私自身が「ごんぎつね」に接するたびに感じていた違和感があながちピントはずれではなかったみたいです。

例えば、ごんを撃ってしまった兵十が「ごん おまえだったのか?」と問う最後の場面での、ごんの心情描写の違い。教科書ではごんは「うなずきました」となっていますが、原文は「うれしくおもいました」です(記憶に頼って書いているので、言葉は正確ではありませんが)。

細かい言葉の修正で全体の印象が随分違ってくるし、読後の感想も変わってきます。

機会があったらもっと調べてみたいと思いました。

こんな資料もありました。
引用です。
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「ごんぎつね」のようにすべての教科書に掲載されている作品が、学習者に与える影響は、きわめて大きい。というのは、義務教育を受けようとする限り、どの子どもも必ずこの教材をくぐることになるからである。大げさにいうなら、日本人としてのアイデンティティの形成に関わる問題でもある。これは、検討に値する問題だろう。

(『「ごんぎつね」をめぐる謎 ―子ども・文学・教科書―』府川源一郎<はじめに>より)