関連するコトバ 『 瞑想会 』
瞑想会の後で見上げる空は広い
5月初旬の連休の中日。
定例となっている瞑想会を開催しました。
コロナ禍以後では本当に久しぶりに、複数人数のご参加で開催することができました。
とはいっても、もともとが少人数の会なので、総勢5名でしたが、一時は主催者(私)とリード役の講師(ソハム)だけということも珍しくなかったので、5名は嬉しい人数なのです。
もちろん瞑想は一人でも二人でも、本質的なところでは何も変わらないのですが、複数の人が参加することでその場の空気やエネルギーはやはり微妙に変化します。
ここが人間の面白いところですね。やることは変わらないのに、起こることは微妙に変化する。数字や理屈では計れないプラスアルファの作用があります。実際に瞑想を複数人数でやっていると、人の動きや言葉から得るものや影響されることは少なくないですし、それらが刺激となってさらに自分の言葉や振る舞いが変化しているように思います。この相互作用の妙は、複数の参加があって初めて起きることです。
一人で座る瞑想の実りはそのままに、さらに大きなエネルギーと安心感に包まれている感覚を持つことができる、そんな感じでしょうか。もちろんこれは、あくまでも私個人の受け取った感覚で、皆さんそれぞれの感じ方がおありとは思います。
終わって会場の外に出たときに見上げた空の広さ、空気のすがすがしさは今も鮮やかに思い起こせます。
これから少しずつ、コロナ前のように、ご参加の人数がもどってきてくれますように…。
心とからだの冬支度
今年も残すところ2ヶ月ですか、、、早いですね。
8月以来、何度も台風が来たり、竜巻、大雨など、今年の夏の自然の変化はすごかったですね。個人的にも、公私ともにバタバタと過ごした数ヶ月だったせいか、最近何だかとても眠いです。ボケーっとしていたい気分満タン。
そんな中、先週は瞑想会、今週はベリーダンスエクササイズに参加することができ、心と体をお掃除したり、ほぐしたりして、ようやく少しホッとしてきたところです。
ちなみに、「ベリーダンス」と言ってもダンスのためのエクササイズではなく、ベリーダンスの基本の体の使い方を覚えながら、特に女性の体の持つ本来の機能を生かしていこうという素敵な企画なのです。指導をする友人から声を掛けられて初めて参加しましたが、終わってとてもスッキリと気持ちが良かったです。最後に少しだけ、ベリーダンスの音楽を掛け、あの(名前はわからないのですが)ジャラジャラと音のするベルトを着け、ダンスの真似事をさせてもらえたのも楽しかったです。東京と埼玉で少人数の会を催されているようなので、興味のある方はご紹介しますので遠慮無くご連絡下さい。
瞑想会についてはこちらに感想を書かせていただきました。
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「10月の瞑想会の感想」
朝晩はだいぶ寒くなってきました。心と体のメンテナンスをしつつ、元気で冬を過ごせるようお互い気をつけましょう。
子どもは「今を生きる」天才だ
またもや長らくのご無沙汰になってしまいました。
皆さま、お元気でしたか?
私は大学の相談室が7月末まで怒濤の忙しさでしたが、夏休みを経て何とかペースを取り戻しつつあるところです。ということで、まあまあ元気にやっています。
さて、 この夏、私は4歳になる孫(男の子)のお守りで、まるまる一日を、朝から夜寝るまでつきあうという体験をしました。孫が寝ついた時には、こちらもグッタリ。でもそのおかげで、翌朝が実に爽快でした。子どもの相手をするということは、あれこれ考えたり悩んだりする間もなく、日頃使っていない心や身体をぜ~~んぶ使い、体力も五感もフル動員しなければならないからだと思います。子どもとつき合っていると、素の自分が出ざるをえず、結果、自分自身がラクになっていたようです。
たとえば、こんな体験もしました。
ゲームセンターでのことです。実はあのガチャガチャワ~ンとした騒音が私は苦手で、できるなら避けたい場所だったのですが、スーパーの一角にあるので買い物の途中でいやでも通らなければなりません。孫にせがまれてゲーム機の前に座ることになり(二人一組のゲームだったので)、しぶしぶコインを入れました。「1回だけね」の約束で、出てくる怪獣をやっつけるシューティングゲームに挑戦することになりました。
途中、ボーナスポイントが出て私が対応に戸惑っていると、孫がすかさず「これ!」と言って、横合いから小さな手が伸びてきてポチッとボタンを押してくれたり、どっちがお世話をしているのだかわからなくなりました(苦笑)。私もチームとして貢献せねばと、妙にやる気になってしまい、気づいたら本気モード。結果はゴール寸前でタイムアウトになってしまったのですが、「よし、次回こそは」と心密かに次回を期待してしまったのでした。まさかゲームでこんなに自分が盛り上がるとは・・・。
この意外で新鮮な体験から気づいたこと。ふだん使っていない頭とからだのすべてを使い全力で時間を過ごすと、それが何であれ、実に気持ちがいいことなんだという、当然と言えば当然なこと。まさに、瞬間を全力で生きることにおいて、子どもに勝る師はないと実感しました。
ふとここで、10月の瞑想会に寄せて講師から届いたコメントが思い出されます。
。。。。。。。。。
あなたは今何処に居ますか?
いえいえ場所ではありません。
お聞きしたいのは「未来」なのか「過去」なのかです。
奇妙な質問です。
でもよーく心の中を覗いて見て下さい。
今あなたが感じているかもしれない
希望や不安、夢や苦悩、恐れや後悔、、。
それらは私達が今何処に居るのかを表しています。
さてあなたは今何処に居ますか?
。。。。。。。。。
「あなたは今何処に居ますか?」
この真摯で高尚な問いかけに対して、私の体験はあまりにささやかな日常の一コマですが、コメントが届いたときに真っ先に思い出したできごとでした。
皆さんはそれぞれの体験の中で、「今、どこに?」の問いかけをどんなふうに受け取られたでしょうか?そんなお話も、みなさんで分かち合えたら嬉しく思います。
来月10月22日(土)の瞑想会、どうぞお気軽にお出かけくださいませ。お待ちしています。
奇跡の存在
新緑はどうしてこんなにみずみずしいのでしょう。目にしみるという表現がぴったりです。一年を通して、浅い緑色のこの色合いは、今この時季にしかない色彩と、光の反射の微妙なハーモニーがあって初めて可能になるのでしょうね。一年の中でも、生命の萌え出るこの時季にだけ与えられた恵みとでもいうのでしょうか・・・。
季節の変化がもたらしてくれる希望が、ことのほかありがたく思えるこのごろです。最近、あちこちで同じようなことばかり書いている気がしますが、いくら書いても出てくる言葉は同じような言葉ばかりです。3月11日の衝撃は大きかったです。その後の原子力発電所の事故も、生命のことや自然と人間のことなどを考えずにはいられない出来事でした。
生きていることそれだけで、ありがたいことだなあと思います。あたりまえと思っていることが、実はあたりまえなんかじゃないということに気づいてきます。
以前、瞑想会の折に、「生きていることはそれだけで奇跡なんですよ」ということを聞きましたが、まさに今、そのことを実感しています。
「生きている」というより、「生かされている」・・・かもしれませんね。自分が生きているのはたまたまそのチャンスを与えられているからに過ぎなくて、だから一瞬一瞬をもっと大事に生きなくてはいけないとも思います。
とはいっても、人間てすぐ忘れるし、怠け者だからサボるし・・・。気がつくといつものだらだらとした日常になっていたりします。この「人間」って、そう、まさに私のことです。
それでも、気づいたら、そのたびにたて直ししながら、自分という存在が「奇跡」の存在であるということを、できるだけ忘れないでいたいと思います。
瞑想会、雪混じりの日に
今日も寒~~い!エアコンの設定温度がいつもと同じだとちっとも暖かくなりません。
昨日は昨日で、雪がパラパラと舞うお天気。そんな中、今年最初の瞑想会でした。
「積もったらどうしよう」「交通機関がストップしたらどうしよう」と心配だったのですが、雪混じりの雨ですんで助かりました。子どもの頃は、雪が降るのを楽しみにしていたのになあ、と雪を手放しで喜べない自分がちょっぴり淋しい。
肝心の瞑想会は、「無事に」よい時間を過ごすことができました。「無事に」というのは、1時間以上も前から部屋のエアコンを入れていたにもかかわらず、二部屋続きの広い和室はなかなか暖かくならなかったのです。開始から1時間もした頃、ようやく暖かくなり始めましたが、こんなことは初めてでした。自然の力とはすごいものですね。大気が冷え切って、建物全体が冷蔵庫みたいになってしまうのですものね。
寒さに加え、雪かき、雪下ろしと大変な、雪国のご苦労を改めて思いました。