セレニティカウンセリングルーム

カテゴリー 『 近況報告 』

今夏一番の猛暑の日に

残暑お見舞い申し上げます!

すっかりご無沙汰してしまいました。今年はいつにも増して、何だか月日が飛ぶように過ぎていきます。特に、6月頃からあっという間に過ぎて、あれよあれよと8月になり、気づいたらお盆も終わっていたという・・・。

何なんでしょうね。歳を取ったからだけでもないような・・・。

 

そんな日々ではありましたが、元気に動けているのはありがたいことです。

先日は小学生の孫二人と、電車を乗り継いでアスレチックのある公園に行ってきました。それが今年一番の猛暑の日!!

そんなに市街地から離れているわけでもないのに、バスは1時間に1本しかないし、ほかに交通手段もなく、タクシーで公園に、という贅沢(孫には甘い)。というか、とにかく暑くて、早く涼しいところに移動したいと思う、ひたすらそれだけ。タクシーを待っている人達も、タクシー乗り場から離れた日陰に避難して待つほど。

やっと乗ったタクシーで、運転手さん「今日は38度だそうですよ」「!!!」宮城から来た孫達はそれでなくても連日暑い暑いを連発。タクシーの中ですっかりぐったり。

公園に着いてみると、何やら工事をしているではありませんか。それにやけに閑散としているし、子ども達の声も聞こえない。イヤな予感。

通りかかった男性が「今日は暑いねえ」管理人室の方に向かっていくので、「管理人さんですか?水遊びのできるところがありましたよね」とネットで調べた情報を元に尋ねる。

「ああ、今日はお掃除だ。お休みです」と背後の噴水らしき一角を指さす。昼休みから戻ってきた作業員達が作業に取りかかり始めた。さっき、公園の入り口の木陰で昼寝をしていた人達だ。

「ええ~~!!」と子ども達、と私。「たまたま今日が清掃日だったんだよね」の管理人の声も遠くに聞こえる。。。。。。

こんなに暑い中をタクシーでやってきて、水場は無し。

気を取り直して、「残念だったねえ。じゃあアスレチックで遊ぼうか。木陰だから涼しいんじゃない?」と極力明るく声を掛けてみるが、子ども達は「あつ~~い」。それでも、手近な遊具に上り始めるが、だあれもいない公園はモチベーションが上がらないようで、「しょうがない、まあ上ってみるか」感がハンパではない。

上って下りてきたら、「もういい。帰ろう」(今来たばっかりでしょ?)

「貸し切り状態よ、滅多にないでしょ、こんな事」と励ましてみる(こんな猛暑の日に出てくる人はいないよ、と自分にツッコミを入れながら=あ~あ、せっかく楽しませてやろうと思ったのに。もしかしたら公園のインフォメーションに清掃日の注意書きがあったのかもしれないな~と反省もしつつ)

子ども達の好きなタラコおにぎりを並べても、あんまり飛びつかないし、昨日プラネタリウムで買ったおみやげの宇宙食「イチゴ味のアイスクリーム」を期待と共にひとかけらを口に。「これ、アイスじゃないよ」確かにあのトロッとしたアイスを期待すると大はずれ。普通は期待しますね。

形状はフリーズドライで、厚さ1センチ弱、切り餅くらいの大きさに成形してあります。いわゆるアイスクリームを期待してはダメです。イチゴ味のアイスを食べた後の口の中を再現するためなら◎。孫達には、「噛まないで溶けるのを待っていると、アイスを食べた後の味がするでしょ」と味わう秘訣を指南。

少し離れたベンチでは、オカリナの練習をするお兄さんが「コンドルは飛んで行く」などポピュラーな曲をマイペースで練習している。たまに犬の散歩の人が通り過ぎる。この何にも無さも、これはこれで私自身は結構好きなんですが、子どもにとっては面白くもなんともないだろうなというのもわかる。

それでも、ブランコに乗ったり、公園の全体をぐるっと回ってみる。こんな日でも、木々を渡る風はさすがに涼しく、緑の多いありがたさを痛感する。

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写真では見えませんが、この緑のアーチにはブーゲンビリアが絡まっているんですよ。オレンジ色の花がグリーンに映えてきれいでした。こんなに暑くなかったら、きっと居心地の良い公園だと思います。そしてもう少しアクセスが良かったらなお良いですけどね。

☆ ☆ ☆

教訓:猛暑の日はおとなしく家にいること。
たとえ子どもでも暑い日には水遊び以外はしたくなくなるのだ。

おかげで一夏分の暑さを体験した一日でした。でも、涼しい所にいて一夏終わってしまうのも何だか夏らしくないので、この日は夏の暑さを満喫したということで、これはこれで良かったのかな?

↑ ・・・負け惜しみ^^;

 

 

 

霜柱

霜柱

霜柱。大学のキャンパスで、山茶花の植込みの下で見つけました。

ここしばらく、この時季としては暖かな日が続いていますね。
春の陽気を思わせる日もあります。

一方、インフルエンザが流行っているらしく、大学では休んでいた学生たちが、ここへきて徐々に大学に戻ってきている様子です。

皆さんはお変わりありませんか?

私はおかげさまで今のところ元気です。

大学では学期末試験がほぼ終わり、今週末からは大学入試が始まります。

先日、キャンパスで見つけたこの分厚い霜柱。長さ、4~5センチはありました。こんなに長い霜柱を見たのは(湘南生まれの私は)初めてです。通りがかった学生も、思わず手に取って眺めていました。

長さ4~5センチはある?

長さ4~5センチはある?

こんな寒い中で、これから試験が始まります。

せめて雪が降りませんように。

電車が遅れたり、ストップしたりしませんように(この路線は日ごろよく遅れます)。

受験生の皆さんが、それぞれの力を最大限発揮できますように・・・。

 

黄葉の午後、「ゴッホとゴーギャン」

上野公園の銀杏先々週の休日、久しぶりに上野公園に行ってきました。

お目当ては「ゴッホとゴーギャン展」です。

会期末まではまだ10日ほどあったので、混雑はしていないだろうと高をくくって行ったところ、見事に予想は外れました。

朝の通勤ラッシュほどではなかったですが、お昼時の山手線(?)くらいには混んでいました。

絵は素晴らしかったです!
でも、人混みで疲れました。できればゆっくり静かに観たかったな~。

画材を買うのもままならないほど貧しかったゴッホが、待ち望んだゴーギャンとの共同生活を控え、ゴーギャン用の椅子を購入して到着を心待ちにしていたというエピソードは、ゴッホのピュアで一途な人柄を物語っているようで、その椅子を描いた絵はひときわ印象に残りました。

絵の具の退色がかなり進んでいると解説にありました。
実際、会場の概説案内のビデオに映し出される絵画の色合いの鮮やかさと、展示された実物の色合いとの違いは(デジタル表示と実物の違いを考慮しても)歴然としており、ゴッホが描いた元々の色はどんなだったのだろう?と、もはや見ることのできない色彩に興味をかき立てられました。

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こうした疑問が湧いてくるのも、時代の空気まで感じさせる展覧会ならではの感想だったような気がします。

すっかりゴッホとゴーギャンに浸った2時間。その後、見事な銀杏の黄葉の中を歩く。

ささやかだけど、何かとっても贅沢~!そして幸せ~!

 

温かいお別れの会

20161120年齢のせいでしょうか、このところ、葬儀やお別れの会に出席することが続きました。

そうした会場では、喪主や主催の親族の挨拶があり、故人と縁のある人が思い出のエピソードや短いメッセージを語ります。出席者はそれらを聞きながら、故人をしのんだり、久しぶりに顔を合わせた親族と近況を伝え合ったりすることで、普段とはちょっと違った流れのひとときを過ごすことになります。

懐かしい面々と久しぶりに顔を合わせ、同窓会のように話が弾んだり、そんなときでもないと会うこともない遠い親戚と初めて言葉を交わしたり・・・。悲しみの席ではあるけれど、どこか穏やかで優しい空気に包まれていることが多いです(もちろん病死や事件や事故など、亡くなられた原因によってはまったく違うでしょうから、あくまで私の経験した中でということですが)。

そこでは、死という普遍的なものにまつわる話題だけに、深い洞察につながる思いが想起してハッとさせられることもあります。

先日、出席したお別れの会でのこと。
喪主は人前での挨拶が苦手な人でした。ゆっくりと落ち着いた口調で始まり、しばらくは順調だったのですが、次第に言葉に詰まる場面が増えてきます。沈黙があり、また思い出しつつ先へ進む。また少し話しては、言葉が止まって5秒10秒と時間が流れる。ついに、ポケットからメモを取り出して確認し、また一言一言ゆっくりとスピーチを始める。という具合で、聞いているこちらがハラハラ、ドキドキしてしまい、「もう読んでくれていいから~」とすら思ってしまいました。

それでも、途中ではしょったりすることもなく、用意されていた言葉を最後まで言い終えて、何とか無事に挨拶が終わりました。終わったときは、こちらもホッとしました。

会が終わって、「まったく冷や冷やしたよね~。もう原稿読んじゃえば良かったのに~」と、身内の気安さもあって数人で笑い合ったのですが、みんな同じことを思っていたみたいです。こうして、ちょっとした笑えるエピソードで終わるはずの出来事でした。

ところがそれから数日して、そのスピーチを思い出したとき、私の中に別の見方がふっと湧いてきたのです。

あの日、喪主が、用意してきた原稿の内容を全部話さなかったとしても何の問題もなかったでしょうし、途中でキリの良いところで終わってもよかったはず。そうすれば、本人も聞く側も安堵の胸をなで下ろすことができたでしょう。でも、それをせずに最後までとつとつと、故人の生い立ちや略歴を律儀に紹介したのは、喪主としての、故人と会葬者に対する誠実さの表れにほかならなかったのではないか、と思い至ったのです。

スピーチする本人もきっと冷や汗をかきながら、ドキドキしながらのスピーチだったことでしょう。聞き手もハラハラさせられて、うまいスピーチとはお世辞にも言えません。しかしそれでも、そのときにできる精一杯の誠実さで、会を準備し挨拶をしたことが、故人への何よりのはなむけになったのだと思います。

そのことに気づいたとき、うまいスピーチって何だろう?要領良くって何だろう?(生い立ちや履歴は細かく話さなくてもすんだし、忘れたら途中からメモを読んでしまえばよかったのに・・・。)要領の良さ、うまいスピーチ、それらとは対極に位置するこのスピーチ。周りが抱く危惧や評価とは、まったく別次元のところにあるスピーチ。

ただひたすら、丁寧に誠実に弔いをするという思いだけがあり、それを実行に移す。人により思いを表す方法はさまざまで、それがどのように人の目に映るかも考え方によってかわるものだということを改めて知らされたできごとでした。こうしてこのお別れの会は、私にとって故人を送るとても良い会となり、かつほのぼのと温かい思い出となりました。

 

 

 

夏の終わりに・・・

山形2

暑さの中にもどことなく秋の気配が感じられるようになりました。

早く涼しくならないかな~と思っていたのに、涼風が吹き始めると夏が名残惜しくなるというこの気まぐれ!なんなんでしょう?

写真は8月に学会で山形に行ったときのスナップです。

ここは駅に続く大通りなのですが、人通りは多くなく、片側3車線くらいの道路に広い歩道もあり、背景には山波が見えるという、ご覧のようにのびのびした風景です。

朝から大学の構内で缶詰になって講演を聴き、帰りは疲れた頭で、この道をのんびり宿泊先のホテルまで歩くと、ほんのちょっとした時間なんですが癒されました。8月にしては涼しい日だったのも幸いでした。

ところで、この写真の右奥の樹木、一抱えもある大木が数本切られずに歩道の中央に残してあるのです。樹木の下にはベンチ(これも切り株)が置かれていて、良い木陰を作っていました。道路の拡張などであっさり大木が切られてしまうことも多い中、地元の人や行政の優しさを感じました。

さて、今回の旅行、どこへも観光にも行かず、コンビニ弁当を昼食用に買い込んで、大学とホテルを往復していたという・・・こうして自分で書いていても、「なんと味気ない旅行!」としか思えないのですが、ところが個人的には満足だったんです。まず、講演の中身がとても良かったこと(聴きたい話が聴けたこと)。そしてやはり、初めて訪れる土地は、別にイベントや観光地に行かなくてもリフレッシュさせてくれました。

山形1

学会の今年のテーマは「こころとからだ」

カウンセリングの分野も、混沌とした世界の動向と無縁ではなく、これからは、人の生き方、人権、環境、社会とのつながりなど大きな枠で見ていく時代にならざるを得なくなるだろうということ。
過去の知見や学派(もちろんそれらが無用だというのではありませんが)に縛られず、人間丸ごとを見ていく必要性が出てきたのだと思います。

それらは頭の中で構築された回答ではなく、感情や直感を含めた(むしろそれらを信頼した)人間観が基になっていくように思われました。
ようやくそこに至ったという感じですが、希望もまたそこにあるように思いました。