カテゴリー 『 雑感 』
新年に「時」を思う
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
年々お正月らしさが薄らいでいく感じですが、特に今年は、あっという間に三が日が終わってしまった気がしています。皆さんはいかがでしたか?どんなお正月を過ごされたでしょうか?
この年齢になると、一日一日が「何となく昨日の続き」みたいになりがちです。が、幼い子どもの成長を見ると、昨日と今日が確実に違うと思わされることがあって、時は流れていることをハッキリと感じさせられます。
時間の経過だけではなく、その時間をどのように成長に生かしているかという証しとでもいうのでしょうか。一日で、「昨日できなかったことが、できるようになった!」と驚かされることがあります。子育てを経験された方なら、たぶんどなたにもそんな経験がおありでしょう。
昨日はまったくハイハイできなかったのに、今日は少し身体をずらして移動できるようになったとか、昨日は言えなかった言葉が、今日はちょっとだけそれらしい発音になったとか…。一日で、変化を感じることができるときがあります。
(おとな=私の場合、子どもとは反対に、悲しいことに記憶の低下だけは確実に早いです。まったく嫌になります。当然出てきて良いはずの名前が出てこないときとか、焦ります。幸い今のところ、出てこないのが女優さんの名前くらいですんでいますが、この先が心配~~~)
子どもにもおとなにも、同じだけの長さの一日。大事にしたいものです。それに、何と言ってもこれから先の長さを考えたら、時間の価値の大きいのはおとなのほうかもしれませんよね。
とまあ、こんなふうに今年も、愚にもつかないことをグダグダ書きそうな気がしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにとりまして、今年がよい年でありますように!
指先をケガして気づいたこと
「一般的に〇〇だ」と言いたいとき、自分自身もその中に含めた上で、よく「私たちは」という表現をします。でも、ふっと思ったのです。この「私たち」ってすごく大ざっぱだなあって。「私たち」と言うとき、「私たち」とはどんな人を想定しているのでしょう。考えてみると、とても曖昧なくくりであることがわかります。
言ってみれば、この「私たち」は「多数派」ということに過ぎないように思います。私自身、「私たち」と安易に使ってしまうのですが、そのとき、私は自分を多数派の側に身を置いて使っているわけです。そして「私たち」と何気なく使うことで、「私たち=多数派」に属さない人達を知らず知らずのうちに除外してしまう結果になっているのではないだろうか、とも思うのです。そんなことに気づかされた出来事がありました。
先日、料理をしていて包丁でほんの少し指先を傷つけてしまいました。たいした傷ではなく、「バンドエイドを貼って、ハイおしまい!」という程度のものでした。ですが、そんなたいしたことのない傷であっても、ドアの取っ手をつかんだり、重い物を持つときに力が入らず、とても不便な思いをしました。
ささいなことから不便が生じたり、何かができなくなってみて初めて、世の中は「元気な人=心身共に不自由のない人」を基準につくられているという現実に直面することになります。そこで初めて、ふだん何気なく使っている「私たち」という表現は、決してすべての人を意味する「私たち」ではなく、「元気な人=心身共に不自由のない人=多数派」を表している言葉に過ぎなかったということにも気づかされます。
指先の切り傷は、数日でほとんど不便なく使えるようになりました。「私たち」が意味するもの、忘れないように、何かしらの形で常に意識させることが必要なんだろうなと思います。自分の忘れっぽさ、を思うと…。
お元気ですか?(暑中お見舞い)
暑中お見舞い申し上げます。
このところ関東地方は、梅雨に逆戻りのようなジメジメお天気が続いていますが、皆さまはいかがお過ごしですか?
豪雨に見舞われた地方の皆さまにはお見舞い申し上げます。
朝から外を元気に走り回る子ども達の声が聞こえてくると、夏休みだなあと実感しています。そんなにぎやかさをアクセントに仕事をしています。
「暑い暑い」ってぼやきたくなるのですが(実際ぼやいてるんですけど)、夏を味わいながら過ごせたらなあ。
夏の空、夏の風、草や木々、水の色、そして味覚も…。今だけの楽しみですものね。
体調に気をつけて(自分に言ってる)、それぞれの夏を、ステキなことを見つけて過ごすことができますように…。
新緑の中で…近況報告
すっかり若葉の季節になりましたね。といっても、つい先日、「北海道は満開の桜の下でお花見です」とのニュースが流れていましたっけ。…と思いきや、沖縄はそろそろ梅雨入り?
日本って本当に南北に長いんですね~。特にこの時季、実感します。
大学へ行くときは、田園地帯を電車が走ります。田んぼ、田んぼ、が続きます。田植え前の、水の張られた田んぼは、黄緑色の鏡みたいできれいですよー。
大学は丘陵地帯にあるので、雨上がりの朝など、キャンパスはむせかえるような新緑に包まれて、朝から良い気分です。
でも、相談室はエアコン調整の建物の中なので、窓を開けたままにしておけないのがとても残念。ではあるのですが、たまに窓を開けては、思い切り深呼吸して「プチ森林浴」しています。
この間など窓を開けたら、聞きなれない小鳥の声。とてもきれいな声でさえずっていました。高い梢がザワザワと音を立て、雨上がりの土や草木の匂いがプーンと立ち上ってきます。
屋外でカウンセリングしたら、フェトンチット(でしたっけ?森林浴の効果)のおかげで、早く元気になれそうですよ。
熊の冬眠のように、今のうちにおいしい空気をいっぱい吸い込んで、ためておけたらいいのになあと、途方もない空想に浸りたい気分のこの頃です。
なんとも優雅(?)ですね~
と、
言いたいのですが、、、
、、、、、
現実は、原稿書きにあくせくしています ^^;;;
土日、頑張ろう!
梅以外にもウグイス
またまた、ご無沙汰してしまいました。
このところ、4月の瞑想会のご案内文に頭を悩ませています。「瞑想とはなんぞや?」と言う、当初の私自身の<???>を思い出しながら、少しでも瞑想に親しみを感じていただけるよう、無い知恵を絞っております。
会場の部屋は、明るくゆったりした和室なので、そんな春のひとときを思い描きながら作業をしているのですが、なかなか進まないで困っています。
それでも近々、アップするつもりですので、掲載したらお目通し下さいませ(というほど、大した内容ではないのですが)。
それはそうと、こちらでは梅がほぼ一斉に花開いてきたようで、あちこちで白、紅、桃色の梅を目にします。
それで思い出しました。
以前、秋口だったか、電車から降りたら、ホームでウグイスの鳴き声を耳にしてビックリしたことがあります。チャイムの代わりに流していたものだったのですが、季節外れな気がして驚きました。
それともウグイスって年中いつでも鳴くものなのでしょうか?
。。。。。。。。。。
気になって調べてきました。
2月から鳴き始め、8月か、場所によっては10月頃まで鳴くそうです。とすると晩秋から真冬にかけて以外は、鳴いてもおかしくないということになり、梅にウグイスどころか、梅以外にもウグイスなんですね。
でもやっぱり、最新建築のガラスとコンクリートの駅の中で、電車からホームに下りた途端にウグイスの声を聞くと、なんともちぐはぐな感じがしてしまうのです。本物のウグイスでないことがせめてもの慰めです。轟音を響かせて電車が滑り込んでくるホームは、本物のウグイスにとっては過酷な場所ですから。