セレニティカウンセリングルーム

新年

明けましておめでとうございます。
と挨拶しながらも、複雑な心境も混じる今年のお正月です。どうか今年が、少しでも明るい年になりますように・・・。

それにしてもこんなにお正月らしくないお正月も初めてでした。年々、季節感が薄らいできているとは感じていましたが・・・。そんな時代なんですね。時間に追われているということでしょうか。

たまたま昨日ラジオを聞いていて、豊かな暮らしとは何なのか、改めて考えさせられました。もう随分長いこと言い尽くされてきたことですが、未だに、というかさらに問題が深くなっている気がしています。「豊かさ」ということに関してです。

ラジオでは、コスタリカで女性の就業支援のNPO活動をしていた日本人女性へのインタビューが流れていました。

コスタリカは軍隊を持たない国として有名ですが、その分の経費を教育につぎ込み、女性たちが元気で、国民が自信と誇りを持っており、午後4時に仕事を終えると、一斉に家に帰り、家族と夕食を摂り、早々と9時には寝てしまうそうです。そんな国から日本に帰ってきて、女性が友人から聞いた話が、「この頃は、コンビニでなくても終夜営業しないとやっていけない」だったそうで、いったい日本はどれだけ貧しい国なのかと思ったそうです。

本当にそうですね。雇用も厳しくなって、病気になっても休むと職がなくなるから休めないということも、実際耳にしたこともあります。学生さんの相談をしていてもそれは感じます。相談の背景に伺える家庭状況からは、家族の気持ちに余裕がなくなってきていることを感じます。そのことはまた、家族一人ひとりの活動(勉強や仕事や家事等々)が喜びにつながっていきにくい状況を生んでいるように思われます。

4時まで働いて、家族で揃って食事をし、今は貧しくても将来は国が発展するんだと希望を持てる国。思い浮かべただけでホッと心が和みます。日本もかつてそうであったのに、高度経済成長を経て気づいたらここまで来ていて、いつの間にかあのほのぼのした空気はどこかに行ってしまっていました。。。。もう一度、原点に帰って、今あるものを見つめ直すことで、向かうべき方向が見えてくるのかもしれません。

新年だからでしょうか。妙に神妙に語ってしまい、失礼しました。
またまた昨年も、日記の更新が「月記」になってしまいましたが、今年はどうかなあ~(早くも???)がんばります!(いえ、ほどほどに、ね)。

今年もよろしくお願いいたします。

今年はまだ2ヶ月「も」

大学のキャンパスでは銀杏が色づき始めました。

またまたご無沙汰している間に、季節はすっかり秋の装いに変わってしまいましたが、皆さまお元気ですか?

もう11月も間近。本屋さんや文具屋さんの棚には来年のカレンダーや手帳がたくさん並び始めました。え、もうそんな時期?、といつにも増して早かった気のするこの一年にビックリです。

とは申せ、いえいえ、今年はまだ2ヶ月[ も ]ありますよ。2ヶ月しかではなく、2ヶ月もある。ということで、いろいろあった今年ですが、もう一度ここで気持を新たにしたいと思います。

あきらめず、前を向いて楽しく、少しでも良い年にしていきたいなあと・・・。ネガティブな情報が多いご時世ですが、子ども達や若者に接していると、この歳でなければできないことがあるのではと勇気づけられます。

深まりゆく秋の気配を日に日に感じながら、食欲の秋・芸術の秋も楽しみつつ、じっくり何ができるかを考えたいと思っているこの頃です。

子どもは「今を生きる」天才だ

またもや長らくのご無沙汰になってしまいました。
皆さま、お元気でしたか?

私は大学の相談室が7月末まで怒濤の忙しさでしたが、夏休みを経て何とかペースを取り戻しつつあるところです。ということで、まあまあ元気にやっています。

さて、 この夏、私は4歳になる孫(男の子)のお守りで、まるまる一日を、朝から夜寝るまでつきあうという体験をしました。孫が寝ついた時には、こちらもグッタリ。でもそのおかげで、翌朝が実に爽快でした。子どもの相手をするということは、あれこれ考えたり悩んだりする間もなく、日頃使っていない心や身体をぜ~~んぶ使い、体力も五感もフル動員しなければならないからだと思います。子どもとつき合っていると、素の自分が出ざるをえず、結果、自分自身がラクになっていたようです。

たとえば、こんな体験もしました。
ゲームセンターでのことです。実はあのガチャガチャワ~ンとした騒音が私は苦手で、できるなら避けたい場所だったのですが、スーパーの一角にあるので買い物の途中でいやでも通らなければなりません。孫にせがまれてゲーム機の前に座ることになり(二人一組のゲームだったので)、しぶしぶコインを入れました。「1回だけね」の約束で、出てくる怪獣をやっつけるシューティングゲームに挑戦することになりました。

途中、ボーナスポイントが出て私が対応に戸惑っていると、孫がすかさず「これ!」と言って、横合いから小さな手が伸びてきてポチッとボタンを押してくれたり、どっちがお世話をしているのだかわからなくなりました(苦笑)。私もチームとして貢献せねばと、妙にやる気になってしまい、気づいたら本気モード。結果はゴール寸前でタイムアウトになってしまったのですが、「よし、次回こそは」と心密かに次回を期待してしまったのでした。まさかゲームでこんなに自分が盛り上がるとは・・・。

この意外で新鮮な体験から気づいたこと。ふだん使っていない頭とからだのすべてを使い全力で時間を過ごすと、それが何であれ、実に気持ちがいいことなんだという、当然と言えば当然なこと。まさに、瞬間を全力で生きることにおいて、子どもに勝る師はないと実感しました。

ふとここで、10月の瞑想会に寄せて講師から届いたコメントが思い出されます。
。。。。。。。。。

  あなたは今何処に居ますか?

  いえいえ場所ではありません。
  お聞きしたいのは「未来」なのか「過去」なのかです。

  奇妙な質問です。

  でもよーく心の中を覗いて見て下さい。

  今あなたが感じているかもしれない
  希望や不安、夢や苦悩、恐れや後悔、、。

  それらは私達が今何処に居るのかを表しています。

  さてあなたは今何処に居ますか?

。。。。。。。。。

「あなたは今何処に居ますか?」
この真摯で高尚な問いかけに対して、私の体験はあまりにささやかな日常の一コマですが、コメントが届いたときに真っ先に思い出したできごとでした。
 皆さんはそれぞれの体験の中で、「今、どこに?」の問いかけをどんなふうに受け取られたでしょうか?そんなお話も、みなさんで分かち合えたら嬉しく思います。
来月10月22日(土)の瞑想会、どうぞお気軽にお出かけくださいませ。お待ちしています。

ご無沙汰しました!

随分長らくご無沙汰してしまいました。申し訳ありません。

一応元気?にしております。

なんだかんだで大学の相談室が大忙しでした。今年は私の担当日が週2日から3日になったというのもあるのですが、相談件数そのものがけっこう増えているようで、てんてこ舞いの毎日でした。

「夏休みに入るまでは、とにかく健康でがんばらねば・・・」と気を張っていたのですが、7月いっぱいで大学が夏休みに入った途端、ガタッと力が抜けてしまいました。これで猛暑だったら、どうなっていたことでしょう。このところの涼しいお天気に感謝、感謝です。

学生さんも大変だなあ、そのバックのご家庭や先生方も同じく大変だし・・・。こんな時代だから、いたわり合って、お互いにゆっくりやっていきましょうよ・・・などと声を掛けたくなってしまいます。簡単に一括(くく)りにしてはいけないとは思うのですが、ゆっくり歩いたり、時には立ち止まったりしてもいいのではないでしょうか。

お互いにめいっぱい頑張っている気がするのです。それでもどこか虚しかったり、孤独だったり、幸せになれていないとしたら、この社会は目指す方向を、少しばかり修正する必要があるのかもしれないなあと思ったりもするこの頃です。これは単に私の“お疲れモード”のせいなのでしょうか・・・。

ちょっと暗いですね、うつむき加減ですよね。

では、空に向かって・・・

緑の行進!!!

写真は3週間くらい前のものです。今はどのくらい伸びたでしょうか?

 

被災地の焚き火を囲む声

新聞にこんな記事が載っていました。今回の震災被害で復興の遅れているある地域の避難所で、記者が一泊を過ごした体験記事です。

場所は岩手県大槌町、人口一万五千人のうち今も五千人以上が避難生活を強いられています。小学校の避難所での状況は過酷です。6月に入っても冷え込むので、夜は7時ともなると布団に。眠れない人達が校庭の隅で焚き火を囲んで話し込むのだそうです。

記事にはドラム缶を切った中に赤々と炎が上がり、焚き火を囲んだ男性達が缶ビールを手に談笑している写真が。奥のテントにも数人の男女の姿が見えます。一見すると、楽しい集いの一場面のようにも見えるその語らいの中身は、悲痛な思いの吐露で、3ヶ月近い避難所生活の苦労がしのばれます。

朝は4時になると起き始め、6時には皆布団を片付け終わっているそうです。これを聞くだけても私などとても耐えられないだろうと思います。でも、そこで耐えられなければ生き延びられないのですから、これは辛いです。

「自分はいびきをかくから端っこで寝てる」という男性、奥さんを亡くした男性は、教室に行くと辛いからと、焚き火を囲む。

ウニ漁ができない男性は「今頃はウニ捕ってる時期だなあ」としんみり。

そこに10代のミクちゃんがやってきて、「仮設のトイレが真っ暗で恐い」。それで場が和んで、みんなに笑顔が広がる。ミクちゃんのおかげでみんなの気が紛れるんだそうです。こういうとき、若い人の明るい存在は貴重ですね。

「俺の部屋では受験生が勉強してる。ピリピリしてっから、戻れねえ」と語る人。ジャージー姿の男の子がうつむいて隅に座っている。「学校でいじめられてんだ」と一人がつぶやく。

「こんな思いすんなら、俺は次はもう、助かりてえとは思わねえ」という言葉に、数人が頷く。「皆、今疲れがピークじゃねえかな、もう3ヶ月だもんね」「大槌は町長が死んで復興計画も立っていない。・・・皆、先が見えなくて不安なんだ」午前0時を廻ったころ、焚き火を囲んだ人達もそろそろ引き上げ始める。

こんな風に記事は続き、次の一言で結ばれています。避難所を出るときに、記者が皆に言われた言葉。
「ここを忘れないで」

。。。。。。。。。

避難所の様子など被災地の現状が、だんだんとマスコミに取り上げられることが少なくなってきていますが、決して過酷な状況が改善されてきたわけではありません。3月11日の衝撃を受けて私たち一人ひとりが感じたこと考えたことを思い続けること、忘れないでいることが、まず被災地以外の私たちにできる最初のことではないかと気づかされました。

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「眠れぬ夜 たき火囲む」2011年6月6日(月)東京新聞夕刊、加藤美喜記者の記事を基に書きました。